第2話 恐れていた事態

・前田俊介(30歳)の場合

恐れていた事態がついに、起きてしまった。


交通事故で脊椎を損傷し、車椅子生活を強いられていた俊介は、『健康度レベル制定法』の成立されるその瞬間を、作業所の同僚と一緒に固唾をのんで見守っていた。テレビで、多くの野党議員が罵倒が飛び交うなか、万歳三唱で決まったその場面は、今でも忘れられない。


周りの同僚ともうまく会話できないまま、その日の仕事は終えた。


そして法律の施行日からしばらくして、作業所の労働衛生管理者からの説明があり、健康診断を受けることが求められた。


事前に調べた結果では、俊介は判定Cとなるはずであった。重度の障害があり、定期的な医療機関への受診はあるものの、車椅子での生活に支障はなく、毎月の労働収入もあることから、そんなに医療や社会インフラへの負担は少ないものだと考えていた。


しかし、実際に健康診断を受けた結果、判定Eと診断された。

この判定には大いに不満であり、受診機関に異議申し立てを行った。制度上、1回のこうした申し立てが認められている。しかし、結果は覆られなかった。


現状は、定期的なメンテナンスのための受診のみで済んでいるものの、事故による入院・手術やリハビリなどのこれまでの総医療費が大きいこと、障害者の認定によってこれまで多くの優遇を受けてきたこと、車椅子であることによる社会インフラへの負担などが、その主な理由だった。現状は、健康上の問題はほとんど無いにも関わらず。


判定Eでは、医療費は5割の自己負担になる。これまで1割で受けられていたものが大きく増えることになる。また、電車賃・バス代なども1.5倍になる。

誰が言い出したのか知らないが、車椅子はスペースを取るから、普通の人が2人以上入れるスペースを多く独占しているのだ、という。そんなの太った人も同じだろう、と愚痴をこぼしていたら、太った人までがその対象となっているようだった。荷物だって重量の重いものほど、送料が高くなる。人も同じだろう、と。


会社の同僚のほとんどが、やはり判定Eとなっていた。車椅子である、という理由だけで、社会の中でかなり不健康な部類に認定されてしまうのだ。

そして、私たちには、回復の見込みはほとんど無い。一生判定Eの刻印を背負って生きていくのかと思うと、心が重い。


同僚たちも、自分に刻まれたその烙印の重さに落胆していた。自分たちは、社会にとってお荷物だ、と正式に認定された。それはこの先、ずっと続く。


一方で、少し気が楽になった部分もある。

これまで、「障害者」だからということで遠慮していたことがいっぱいあった。

バスに乗るときも、電車に乗るときも、いろんな人が無償で助けてくれていた。そのたびに、「ありがとうございます」「すみません」と言いながら、一人では自由に動けない不自由さ、無力感、周りに迷惑をかけながら生きる後ろめたさを感じていた。

満員の通勤電車でも、場所を空けてくれ、駅員は補助板を出してくれる。それらは、たしかに社会的なコストがかかっているはずであった。みんなの善意に甘えていた、そんな自分がいたのは事実である。でも、その分の社会的コストはこれからはしっかりと払うことになるのだ。だから、後ろめたい気持ちにならなくてもいい。


法案が認められるまでの期間が一番つらかった。

これまで自分たちは、そんなに重荷に思われていたのか。「障害」の有無なんて関係ない、なんて言ってたのは、何だったのか。全部嘘だったのか、皆本当は迷惑でしかなかったのか、あるいは自分の善意に満足するために助けていたのか、と。


だけど、実際に法律が施行され、こうした判定を受けたのに、それにほっとした気分にもなっている。助けてくれる人も以前に比べて増えた気がする。


俊介には以前、恋人がいた。まだ、体が自由に動く頃に付き合い始めた「健康」な女性だった。

交通事故の後の不安定な時期も献身的に支えてくれた。再就職するまで、ずっとリハビリを見守ってくれた。感謝しきれないくらい感謝していたし、お返しをするためにと必死で自立しようと頑張っていたが、結局別れることになった。

「あなたの負担を全部私が受け止めることはできない」と。


一生こんな負担に付き合わせるのは申し訳ない、と同意した。そう思うのは、当然だろうと思った。一方で、もっと気兼ねなく皆に助けてもらえれば、という気持ちもあった。彼女だけに甘えるのではなく、もっといろんな人に助けを求めればよかった。もっといろんな人が助けてくれる世界だったら、よかった。


今なら、それができるだろうか。




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