おすしになりたい女
鰐川にわ
おすしになりたいわ
「おすしになりたいの」
最後のグラスが氷だけになり、そろそろ終電も気になりはじめたころ、彼女はしっかりとぼくの目を見て言った。
「寿司食べたいの?今度行こうか?」
「いいえ、食べたいんじゃなくてなりたいの。それに寿司じゃなくておすし」
「お寿司になるの?なれるの?」
そう聞くと、彼女はつまらなさそうな表情を浮かべ、伝票を取って立ち上がった。
何を言えばいいかわからずにいるぼくを見おろして、思いだしたかのように微笑む。
「おすしになりたいの。それだけ。わからないならいいわ」
なぜ自分が見下されなければならないかは理解できないけれど、彼女に少なからず好意を寄せていたぼくは、その態度にわけもわからず傷ついた。
「お寿司ね、しめさばって感じだよね」
なにか返さないといけないと思い必死に答えたぼくを、彼女は軽蔑した表情で睨んだ。
「あなたのそういうところ、本当によくない」
そう言う彼女の表情も悪くなかった。
結局、彼女は面倒くさそうに終電の1本前で帰っていった。発言の真意は謎のままだった。顔には出ていなかったが、実は酔っていただけなのかもしれない。
数カ月が過ぎたある晩、あれ以来何度も繰り返してきたように飲みに誘った女の子に終電で逃げられ、きれいに掃除したばかりの一人暮らしのボロアパートで安酒を呷っていると、1件のメールが届いた。
「おすしになりたいわ」
わからない。何と返せばいいのか、数カ月たってもわからない。あのあと簡単に諦めないで、あのことばにもっと真剣に向き合えばよかったのではないか。でも向き合ったところで正しい答えが見つかったのだろうか。そもそも答えなどあるのかさえもわからない。何もわからない。
「おすしになりたくはないけど、食べたい」
たぶん何と返信しても、返ってくるときはくるし、こないときはこないだろう。
ぼくは体を起こすと、寿司が食べられる居酒屋を検索した。
おすしになりたい女 鰐川にわ @wanisan17
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