泣いてすむなら泣きやがれ

@iamakebono

第1話

笑顔が世界で一番大切で、幸せなものなんだ。だからどんなに辛くても、笑っていればそいつが一番幸せなんだ、ってお母さんが死ぬ前に僕にだけ教えてくれた。僕は小学生ながらもなるほどと思った。だからどんなに先生から怒られたって、友達と喧嘩したって、僕は笑って幸せさを保っていた。

 僕にとっての人生の教訓を授けて、お母さんは盲腸をこじらせて死んだ。死ぬ前にお母さんが笑っていたのかは分からない。だって盲腸で死ぬなんて思ってなかったから僕はサッカーの試合に呑気に出ていて、お兄ちゃんは家でゲームをやっていて、お父さんは元から居なくて、誰一人としてお母さんの最期を見た人はいなかった。

 お母さんを失って、僕たち兄弟はおばあちゃん家に住んだ。おばあちゃんは半ボケだけど、保険金とか年金とか補助とか何とかで細々とやっていけていた。そしてその環境に僕は結構満足していた。何しろおばあちゃんのボケは面白かった。意表を狙ってつくボケは、どこの誰にもできない技だと思う。僕は楽しかった。多分僕は頭のねじが少し緩んでいてちょっとしたことでも面白く思える体質なんだ。まあこれは先生から言われたんだけどね。

 その分お兄ちゃんは頭のネジがきついようだ。学校のクラスでは僕が笑えばみんな笑うのに、お兄ちゃんだけは僕がどんなにふざけようと無視を決め込んだ。お母さんが死んでからなんだか輪をかけて真面目さが増して学校ではどうやって過ごしているんだろうと僕はひっそりと心配している。でも、そんなお兄ちゃんも面白いとすら思うのは、やっぱり僕の頭のネジが緩んでいるからだろうか。お兄ちゃんは来年中学校に上がる。

「ひでお。しーしーまったか。」

 僕はひでおじゃない。しいて言うなら智也だけど、振り向いたらおばあちゃんが僕の腕を引っ張ってトイレに連れ込もうとしてきて、ヘルパーのお兄さんが慌てて止めに来てくれた。最近のおばあちゃんは半ボケどころではなく完全にボケてて面白さも二倍になった。ひでお、ひでお言いながらヘルパーのお兄さんに連行されていくおばあちゃんを見ながらへらへらしていると、麦茶を飲みに来たお兄ちゃんが冷たい目でこっちを見ていた。

「お兄ちゃん。ひでおって、おしっこも一人でできないちっちゃい子なのかな。」

おばあちゃんは誰にでもひでおと呼ぶ。おじいちゃんの名前でもないし謎の人物だったんだ。お兄ちゃんは何にも見なかったかのように麦茶を飲みほして自分の部屋に戻っていった。僕は知ってる。お兄ちゃんのコップを持つ手が震えていたことを。お兄ちゃんはおばあちゃんのボケが怖いんだ。確かにおばあちゃんはボケてるし、まだ60代で足腰もしっかりしているけど本気を出せば勝てないこともない。何が怖いんだろう。こんなに面白いのに。おばあちゃんが変な行動をするとお兄ちゃんは決まって肩を強張らせた。

 一回おばあちゃんとヘルパーのお兄さんの強引なやり取りをテープに録って、放送委員の友達とふざけてお昼に学校中に流したことがある。みんな大爆笑で最高だったのに、先生達が駆け付ける前にお兄ちゃんが放送室にすごい顔で殴りこんできた。それが、お母さんが死んでからした初めての兄弟喧嘩だった。    

すぐさま放送席から引っ張りだされて、腐れた廊下で色んな本とか飛んで、髪を引っ張られて、たたきつけられて、蹴飛ばされて、やり返して、傷だらけで、僕も泣いて、お兄ちゃんも泣いて、駆けつけてきた先生達も巻き込んで、結構大きくやった。BGMはおばあちゃんのボケ話。あまりのお兄ちゃんの勢いに、誰もテープを止めなかった。

 でも、最後に勝ったのは僕だ。お兄ちゃんの右からのパンチが入って僕が飛んでちょっとあたりがシンとなった時、タイミング良く聞こえてきたヘルパーのお兄さんの声。

「そうだねー。マツ子さん、みかんの皮は食べられないよー。あ!だめ!だめだめ!僕の携帯舐めないで!」

ブハッて噴き出してからは痛みも忘れて大爆笑した。僕の笑いだけが響く。面白い。本当に面白い。お兄ちゃんが息を切らしながら僕を見てる。流れていた涙は止まっていた。

「お前まじ嫌い。」

 お兄ちゃんは先生に連れられて保健室に行った。先生達はみんな僕を怒った。そしてお兄ちゃんに謝りに行かされた。お兄ちゃんはその場では先生のいる手前、許すと言ったものの絶対に許していない。そのことについて一切触れてこないし、ずっとずっと許してくれない気がする。でも、クラスのみんなは僕を英雄扱いしてくれた。そうそう、こういうこと。笑ってるやつが幸せ者なんだ。僕の勝ち。圧倒的な勝ち。

 まぁなんでこんなことを思い出したかというと、おばあちゃんの物を整理(強制)させられていたからで、なんで整理(強制)させられていたかというと、おばあちゃんが死んだから。おばあちゃんは死ぬ前に笑ってた。幸せ者だな。

 葬式は僕達の受け入れを拒否した親戚の人がやってくれて、僕たちは式の中、人の行き来を見ているだけだった。なんとひでおが来たんだ。普通のおじさんだった。

「ひでおが来たよ、お兄ちゃん。つーかおじさんじゃん。」

「うん。」

お兄ちゃんはいつもより姿勢を良くして、ずっとあったこともない親戚の人たちに気を使っていた。ひでおが「ご愁傷様です。」って僕達に向かって言って、お兄ちゃんが頭を下げる。僕がニヤニヤしていると、大きな手で僕の頭をポンと叩いて席に行ってしまった。どういう関係なのか聞けばよかった。思ってたより普通な人すぎて何も言えなかった。

 それにしてもお葬式って面白い。お焼香の時しずしず現れて気まずそうに粉を持ち上げて戻すのとか謎すぎるし、お前どこの誰だよって人が泣いていた。生きていたうちはおばあちゃん一人でボケて意味分かんないことになってても誰一人来なかったくせに。笑ってたらお兄ちゃんに連れ出された。

「笑うのは勝手だけど、ここから抜け出すなよ。」

 とんでもなく辛そうな顔のお兄ちゃんが言った。僕がちらちら時計を気にしてたからバレたのかな。ごめんね、お兄ちゃん。明後日はクリスマスだ。僕には出なきゃいけないパーティーがある。手に握っていた派手な蝶ネクタイをポケットに隠す。

「お兄ちゃん、ひどい顔してる。」

うるさいと平手打ちされた。あんまり痛くない。お兄ちゃんの手は震えていた。さっきまであんなにしゃんとしてたのに。

「お兄ちゃん、人生は楽しんだもん勝ちなんだ。僕こんなの一日だって参加したくないよ!もう挨拶もしたしいいでしょ?見逃して!」

「おばあちゃん死んだんだぞ。」

涙をため出すお兄ちゃん。だめだお兄ちゃん。泣いちゃだめだ。

「お兄ちゃん笑えよ。どんなに辛くても笑ってるやつが幸せなんだってお母さん言ってた。ほら、兄!今がその時!」

お兄ちゃんは笑った。ひくひく頬をひきつらせて無理やり。もう消えるんじゃないかってくらいひどい。そんな笑顔で僕の足を止められるとでも思ったのか。

「もういい。行くから。大人が何とかやってくれるでしょ。適当にごまかしといて。」

付き合いきれない。泣き顔よりひどい顔見せられた。見たくなかった。少し走れば、町中赤と緑に飾られて夜なのに明るい。おばあちゃん家の白と黒のモノクロワールドなんて幸せ者には似合わないさ。少しだけ優しいけど、地味で陰気で、無愛想なお兄ちゃんにはぴったりじゃないか。黒いネクタイを外しながら僕は走る。そうそう。こっちだよ僕の世界は。何教でもないけど、僕は楽しいほうに行く。

「お前だって泣いてた!」

陰気な声が商店街に響く。振り向くと惨めな小学生がこっちに向かってくる。

「お母さんが死んだ時、泣いてたぞ!」

お母さんの死?あの、盲腸をこじらせたおまぬけな死に?僕が?泣いた?

「俺よりも泣いてた!だから俺は守ってやろうと思ってた!」

お兄ちゃんが僕に追いつく。二人の服、モノクロワールドだ。

「お兄ちゃんスリッパだよ。面白い。」

笑う僕の頭をつかんでぐらぐら揺らすお兄ちゃん。

「バカ、お前バカ。無理してんなよ。お母さんだってお前にそんなイカレポンチになって欲しくて笑えって言ったわけじゃねえよ!泣けよ!俺達もう頼れる身内がねえんだぞ!俺はお前のその張り付いた笑いを見てるとたまんなく辛ぇんだよ!」

半端じゃないくらい揺らすから、僕もあの世に行きそう。

「俺はお前が心配だよ!」

何が心配だよ。お前が揺らすから、僕もあの世に行きそうなんだよ。

「戻れよ!戻れよ!お前がそんなんになる前に!」

カップルが僕達を避けて通る。幸せな人達が可哀相なものを見るような眼で僕を見る。頭をぐらぐらさせれば戻るとでも思ってるのかな。真面目な割にお兄ちゃんバカだからテレビと同じだと思ってるのかな。でも僕の頭はテレビじゃないから違う所が壊れた。目が壊れた。

 気がつくと僕は、みんなの帰った葬式場にいた。おばあちゃんにしがみついて親戚の人たちが引くほど泣いた。初めて僕が認めた不幸は、笑っちゃうくらい辛かった。

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