3. 2番目の本音
この世で一番大切なことは
「コスプレグリーティング……?」
スマホの画面に羅列する言葉の意味がわからず、私は首を傾げた。詩恵奈が続きを読み上げる。
「『二月一日、国民的大人気コミックの実写映画公開記念にコスプレグリーティングイベントが開催されます。コンパニオンの方にコスプレをしていただき、ショッピングモール内をグリーティング、お客様による撮影に応じていただきます。』モデルの案件やな。こういうの珍しいし、コスプレ系は人気高いねんけど、主人公のバンパイア鈴木(見つめた者の血液型を自分好みのAB型に変えてしまうバンパイア界の異端児)に当たってた人が急病で欠員出てんて。他の子探してるみたいやねんけど、すでに他の案件決まってる人が多いらしくて『本来は事務所と契約の無い一般の方には案件を回さないのですが、とにかく急を要しますのでもしお知り合いの方に・一六三センチ以上 ・ショートカット・ビジュアルのいい方がいらっしゃいましたら是非ご紹介ください。』やって。志維菜、どう?」
「ビジュアルのいい方」
首を横に振ると、詩恵奈は why !? と大仰に手を身体の横に開いた。
「バンパイア鈴木やで!? 今現在の落ち込みまくりんぐオブザ根暗っち志維菜にはピッタリやん! 自信を持て!」
「誰が根暗やねん! 言葉に気をつけろ! 写真苦手やしやめとくわ、明日バイトやし」
私の眼前に突き出された人差し指を払うと、詩恵奈は大きな瞳をさらに見開いた。
「はーー!? 意味わからんこと言うなって! あたしはクロコダイル
「でも……!」
「『日給一万八千円(交通費・昼食別途支給)』」
「やる」
詩恵奈と固い握手を交わしてオーディション用の宣材写真を送ったところ意外にも採用されたので、バイトを休み、翌日の朝八時、イベントが行われるショッピングモールへと向かった。
スタッフやモデルと顔合わせをし、早速準備に取り掛かる。コーンロウで全身を真っ黒にコーディネートしたヘアメイクの女性がクッチャクッチャとガムを噛みながらメイクを施してくれる。
「このアイプチ、触っても取れたりしませんか?」
「大丈夫です」
コレ整形なんで! と言える図太さは私にはまだない。美容室などでもそうだが、沈黙を埋める目的で当たり障りのない世間話をするのは苦手だ。そういう話ばかりしていると、つまらない噂話しかできない人間になりそうで怖い。
だけど今回はメイク中、難なく会話ができた。話は弾まなかったけど、私にとっては話をしたということが大きな進歩である。自分の中で、何かが昨日までとは違っていた。
準備を終え、企画者と広報の偉い人の話を聞き、内容の説明を受けた後、さっそくグリーティングが開始された。私と詩恵奈を含めた計四人で館内を回るのだが、後の二人はプロのモデルと頻繁にメディアに露出しているコンパニオンだったので、私だけが場違いだった。しかし、そんなことはすぐにどうでもよくなった。人前に出ると私はバンパイア鈴木でしかなく、役者志望のフリーターでも、人見知りな二十代の女性でもなかった。私たちが地に足をつけている限り、ショッピングモールは上演中の舞台になる。この件とは無関係の一切を捨てて、私はバンパイア鈴木らしい冷酷な笑みを浮かべながら歩いた。
詩恵奈扮するクロコダイル
撮影ポイントに着くと、同行しているスタッフにポーズを取るように促された。基本的には四人セットで撮影されるのだが、間近で亜麻寝を撮りたがる客が多かった。私もピンで撮られたが、その際撮影者に興奮気味に「鈴木様ァ……♡」と呼ばれたが、案外満更でもなかった。その人は作品の大ファンで、わざわざ遠方から二時間かけてこのイベントに来たという。移動と次の次のポイントにもついて来て、熱心に撮影をしていた。作品を好きな気持ちを裏切るわけにはいかないな、と思い、懸命に鈴木らしい表情を作って応えた。静止して人物を表現するのはとても難しかった。
ひとつの撮影ポイントにつき十分ほど滞在し、三、四ヶ所回ったら三十分の休憩を取る。これを前半二回、昼休憩を挟んで後半二回の計四回繰り返す。
立ってポーズを維持し続けるのは結構キツくて、人目を意識するとかなり体力を消耗する。モデルは体力勝負らしい。バンパイア鈴木はアイテムとして十字架にトマトを刺したものを持ち歩くのだが、軽いわりに長時間持つと腕が痛くなった。黒いマントも銀髪のウィッグも慣れなくて、捌き方に手こずったが醜態を見せるわけにもいかない。想像していたよりもずっとハードな仕事だった。
だけど、悪くない。派遣や塾のバイトよりずっといい。モデル同士もスタッフも、互いに相手を尊重して丁寧に接している。失礼やトラブルを起こしてはいけないので当たり前のことだが、そのことがとても心地よかった。
昼休憩では偉い人が弁当を用意してくれたので、モデルとスタッフで偉い人たちの裏話を聞きながら食べた。
「亜麻寝の候補が一番多くって、審査に難航したんですよ。でもほら、ものすっごいブリブリの衣裳だし、相当ビジュアルのいい方じゃないと耐えられないなって話になって、候補の中で1番綺麗で雰囲気が合った
他のモデルが複雑そうに相槌を打っている。亜麻寝は客からも偉い人からもモデルからも評価が高かったが、そこまで一人だけをベタ褒めされると居心地も悪くなる。その後一人一人が決定に至った経緯を聞くというハートブレイクな流れになってしまった。詩恵奈のエピソードを越えるものがあるはずもない。
「鈴木はね、直前で決まってた子がキャンセルになってテンヤワンヤだったんですよ。で、何名か代わりの候補を頂いた中で、最も身長が高かったのが山平さんだったんです。他の方とのバランスを考えると高い方が好ましかったので。一六七センチは魅力的でしたね〜〜」
ほらな。
微妙な気持ちになったが、ありがとうございますと笑って冷たい唐揚げをかじった。
その後偉い人とSNSをフォローし合うタイムが始まった。詩恵奈や他のモデルはそれ用のアカウントを持っているようだが、私は仕事用のアカウントを作っていなかったので後悔した。こういう縁を繋ぐことで、何かしら次の仕事に繋げられるかもしれないのに。帰ったら作ろうと固く決めた。
後半の残りのグリーティングを終え、メイクを落とし、衣裳を返し、帰り支度と挨拶を済ませて詩恵奈と帰路に着いた。ずっと屋内にいると外の気温がわからなかったが、やはり二月の夜は寒かった。
……何も変えられないまま、二月になってしまった。
「な、見てこれ。ひどない?」
詩恵奈が笑いながら差し出してきたスマホの画面にはSNSが開かれていて、「似てないバンパイア集団がいた」とピントがズレた私たちの写真が投稿されていた。
「確かに似てるか似てへんかでいうと微妙やったわな。ま〜〜、スタッフに大切にされたし、そのへん楽やったしいいか。体バキバキやけど」
空はもう真っ暗で、街灯が無ければ右も左もわからないような夜だった。よくこんな中途半端な場所で記念イベントなんて開いたものだな、と思う。
体はヘトヘトで、駅に向かって足を進めるのもしんどいようなコンディションなのに、どこか満たされている部分があって、明日から今までと同じ日常に戻ることに憂鬱を感じていた。
こんな夜だったから、少しだけ詩恵奈と話をしてみたくなった。
「詩恵奈はどうしてコンパニオンにしたの?」
詩恵奈が息を吐く。
「前も言ったやん、絵と給料との兼ね合いで」
「そういうことじゃなくて」
もっと心の奥の話を。
私がそう続ける前に、詩恵奈は「えー?」と苦笑を挟んで話し始めた。
「あたしも最初はふつーに働いとってんで? ファミレスとかコンビニとか掛け持ちして。けど、そん時の店長に、就職せんとフリーターやってるとか人生ドブに捨ててるよなって言われてムカついて水かけて、その勢いで全部のバイト辞めたんよ。たかが店長にそんなん言われる筋合い無いやん。世の中の皆さんはそういうのに耐えて頑張ってるんやろうけど、あたしは耐えられへんかった。侮辱に耐えて得られる物がお金だけなんやったら、それはマイナスやろ。無駄に傷つくことないわ」
詩恵奈らしい話だ。大きな目はしっかりと開かれて、暗い夜道を真っすぐに見つめている。
「これはこれで女同士の繋がりがあって面倒いこともあるけど、基本初対面やし、だいたい似た者の集まりやから、そういう風にバカにされることも無いし……。その辺歩いてる人よりよっぽどキチッとした人ばっかりやから、楽やねん。普通に働くのはもう無理やなって思う」
「そっか」
突然、詩恵奈が立ち止まって空を仰いだ。口元で白い息が揺れるのが見えた。
「さっきの、偉い人の横にずっと付いてた人の顔、見た?」
「女の人?」
「そう。つまんな〜〜い、って顔しとったけど、アイツ、あたしらがウィッグ着けた瞬間後ろ向いて笑いやがったからな。バカにしてんのかって感じ。アイツ、やりたくないけどしゃーなし仕事してるんやろうな。帰って、酒飲んで、ご飯食べて、風呂入って、寝て、起きて、愚痴って、またやりたくもない仕事を嫌々やるんやろうな。おもんない奴ばっかやわ。社会ってなんなんやろうな」
私も詩恵奈に倣って空を仰いだが、何も見えなかった。
やりたいことをやればいいと叫んでいるのは、自分の人生の真実を掴むことができた人間だけだ。社会は無理解。腹を立てて水をかけてもわかってはもらえない。だから、わからない相手には理解を求めなくてよいのだと思う。そういう手合いと私達は、根本的に生き方が相容れないのだから。
詩恵奈は本当に彼女に似ている。舌ったらずな口調とか、手首をくねらせながら話す癖とか。綺麗な顔は笑うと愛らくて、私はそんな風に笑えないから、羨ましくて、妬ましい。
「いつか、わたしと志維菜ちゃんと二人でお芝居できたらいいよね」
そんな風に笑う彼女の顔は、ハッキリと思い出せないくらい薄れてしまったけれど。
まだ終わらせるわけにはいかない。随分深くまで沈んだけれど、芯は折れていない。先行きなんて何も見えないが、それでも私は意志を燃やし続ける。
「私はこの前牛乳かけた」
「何に?」
「ご近所さん」
暗闇に目が慣れると、さっきまで見えなかったところに星が瞬いていることに気づいた。
隣で腹を抱えて笑う詩恵奈を見て、もう簡単には野垂れ死ねなくなったな、と思った。
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