最凶最悪絶対無敵彼女!
万卜人
第一章 暴君現る!
1
がらがらぴしゃん! と、雷鳴のような大きな音が轟いて、教室の出入口の、引き戸が荒々しく開けられた。
突然の騒音に、教室の僕を含めた全員は、一斉に、出入口の方向に顔を向けた。
出入口に立っていたのは、一人の女子だった。
身長百五十センチに、体重は軽く百キロを越える。特注の制服は、中身の巨体に、はちきれそうだ。
半袖から覗く腕は、僕の太股ほどはあり、短くしたスカートから床を踏み締めている両脚は、僕の胴回りほどはある。
小山のように盛り上がった両肩の間に、石臼のような顔が鎮座していた。髪の毛は頭頂部に向かって、黄色いリボンで縛って、ぎゅっと絞っている。顔には、ピンク色をした縁の、眼鏡を架けていた。眼鏡のレンズ越しに、その女子は教室中をねめまわした。
女子の姿は、縄文土器の、遮光器土偶のように見えた。ほら、日本史の教科書に載っている、あれだ。
巨体の持ち主は、右手にまだ土がこびり付いたままの、大根を握り締めていた。多分、近所の畑から掘り出したものだろう。葉っぱもついている。彼女は大根を口の近くへ持って行くと、がりがりと齧り始めた。しばらく生の大根をぼりぼりと咀嚼して、まだ足りないのか、葉っぱもむしゃむしゃと口に押し込んだ。
彼女の登場に、教室中の全員が張り詰めた緊張を、ありありと示していた。皆、女子の視線を避けるように、俯いている。
勿論、僕も同じ気持ちで、何とか自分に注目が来ないよう、必死に祈っていた。
「あ、あのう……、あなたは?」
その時、授業を受け持っていた桐山という新任の教諭が、恐る恐る、といった態度で声を掛けた。
あっ、ヤバイっ! と僕は思った。
桐山先生は、絵里香を知らないのだ……。
ああ、肝心なことを忘れた。
教室に現れた女子の名前は
だから僕は、絵里香のことは、一から十まで、よーく知っている。
絵里香は、眼鏡の奥の目玉をぎろっ! と動かし、桐山を睨みつけた。
桐山は、絵里香の凝視を受け、ぎくっと全身を強張らせた。
絵里香の唇が開かれ、言葉が押し出された。
「何か言ったか?」
絵里香の声は軋るようで、耳にしているだけで背筋が凍りそうな、不吉な響きを伴っていた。絵里香の声を耳にした途端、桐山教諭の顔から、さーっと血の気が引いていった。
まるで血の気の引く音が、聞こえるようだった。多分、絵里香の凝視を受け、桐山も、何か尋常でない相手と対峙していると察せられたはずだ。
それでも桐山は、教師としての義務感に衝き動かされたのだろう。たーらたらと、蟀谷から冷や汗を噴き出させつつ、決死の表情を浮かべて、絵里香に話し掛けた。
「あ、あなたはこのクラスの人ではありませんね……。今は、授業中ですから、用があるなら、休み時間に……」
教師の言葉が言い終わらないうち、絵里香は猛烈な怒りの色を表した。
来るぞ……っ!
僕は咄嗟に、両手で、自分の耳を抑えた。
桐山以外の、教室の全員、僕と同じように、さっと手を挙げ、自分の耳を塞いだ。
絵里香は大口を開け、叫んだ。
「うるさあ~いっ! おめえは、黙ってろ!」
絵里香の大声は、教室中響き渡り、窓ガラスがビリビリと震えた。それだけでなく、二、三枚など、バリっと音を立て、罅割れてしまった。天井の蛍光灯など、数本、ぴしっと音を立てて弾け飛び、ばらばらと破片が落下して、直下の生徒たちは悲鳴を上げた。
真正面で絵里香の叱声に向き合っていた桐山は、へたへたっと腰を抜かし、ぺたんと床に座り込んでしまった。両目が飛び出さんばかりに見開かれ、顔色は蒼白になっていた。
「あ……あう、あう、あう……!」
桐山はへたり込んだまま、口をぱくぱくと酸欠の金魚のように開閉させていたが、まともな言葉を発せないでいた。
僕は同情した。
絵里香の怒声を、真正面から受け止めたのだ。気絶しないだけ、感心だろう。絵里香の近くにいた、前の席の数人など、ぐたっとなって、机に突っ伏していた。
絵里香はぐいっと、教室内に視線を戻した。視線が、まともに、僕の方向を向いた。
大きく見開かれた絵里香の凝視は、まるでレーザー光線のように、僕を貫いた。
「
絵里香は大声で、僕の名前を呼んだ。
僕は「はいっ!」と思い切り叫ぶように返事をすると、躊躇いなく立ち上がった。ここで愚図愚図していたら、絵里香の怒りはますます募って、後が怖い……。
絵里香は僕に向かって、高々と命令を下した。
「明日、実験をする。おいらの研究室に、昼前に来るんだっ! 判ったな?」
「判った! 行くよっ!」」
僕の返事に、絵里香は満足そうに頷いて、どすどすと足音を残し、立ち去った。
絵里香の姿が視界から消えて、教室にほっとした安堵の空気が戻った。
おっと! 絵里香の登場に、自己紹介を忘れていた。
僕の名前は、絵里香が口にして判っていると思うが、紬啓太だ。高校二年の、十七歳。
身長百七十センチ、体重五十キロの、吹けば飛ぶような痩せっぽちだ。さっきも述べたが、僕と絵里香は幼稚園からの幼馴染で、小学、中学とずっと同じ学校に通っていた。
つまり十年以上、僕は絵里香のために、悪夢のような毎日を過ごしていたわけだ。これから述べる物語は、その中でも最悪の──いや、とにかく僕の話を聞いて欲しい。
「おほほほほ……」
何だか笑っているような、泣き声が聞こえ、僕は声の方向を見た。声の主は、さっき絵里香に怒鳴りつけられた、桐山だ。桐山は教壇に縋るようにして立ち上がると、情けなさを全身に表し、教室中を見回した。
教師の両手は、ズボンの前を押さえている。見ると、ズボンの股間あたりに、黒々と染みが広がっていた。
「自習にします……」
それだけを呟くように宣言すると、桐山教諭は、奇妙な格好で、よろよろと教室を出て行った。
きっと、絵里香の大声で、失禁したのだ。
前の席の何人かが、臭そうに顔を顰めていたから、もしかしたら〝大〟のほうも、漏らしていたのかもしれない。
教諭が逃げるように教室から出て行き、教室中が、わっとばかりに騒々しくなった。
「啓太はん、明日は、絵里香とデートでっか! いやあ、やりまんなあ!」
軽薄な声調子にそちらを見ると、並びの席で、高森がニヤニヤ笑いを顔に浮かべて、僕を見ていた。高森の顔は上下に引っ張られたように長く、顎も長い。口は長い顔の真ん中を分けるように横に裂けていて、笑いを浮かべると、まるでハイエナが笑っているように見えた。
高森は他人の噂話が大好物で、ことに絵里香と僕の関係には、並々ならぬ好奇心を抱いていた。
さらに、高森は、なぜか関西弁で会話をする。僕の知っている限り、高森は関西出身ではないはずだ。だから高森の関西弁は、どこか──いや、相当インチキ臭い。本物の関西人が高森の関西弁を耳にしたら、怒り狂うのではないか?
「高森、お前が代わってくれるのか? 明日、僕の代わりに、絵里香の研究室に行ってくれるかい?」
僕が逆襲すると、高森はニヤニヤ笑いを浮かべたまま、そっぽを向いた。勿論、僕の身代わりなんて、するつもりはないのだ。
明日、実験に立ち会えという絵里香の命令に、僕は暗然となった。
いつもこうだ。
どうか明日は、無事に実験が済みますように……。
僕は無駄な願いと知りつつ、天に祈った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます