第75話 ア・イガ・ト -Kazu side-

 数日後。日本から彼女の母親が駆けつけた。がんと闘病中の夫を「甲州市」に残しての渡航である。


 この頃、アヤカの父は国立がん研究センターの医師が「前例がない」と、舌を巻くほど病状は快方に向かっていた。

西洋医学のアプローチが八方塞がりだと聞いた俺が、抑身鍼の件でお世話になった雨宮氏を紹介したところ、三大療法(手術、抗がん剤、放射線)からは一旦離れ、温泉と鍼灸を組み合わせた東洋医学中心の治療方針を採ったのだ。

そして、人間がもつ本来の自然治癒力が高まったことで、驚異的な回復を遂げたのである。


次に奇跡を起こすのはアヤカの番だ。


 彼女は容態の安定を待ってバンコクの病院へ移り、脳神経外科で治療を受ける予定である。

言語障害のリハビリは言語聴覚士(ST)を中心に行われるが、なによりの鍵は家族や恋人のフォローだという。短い言葉で丁寧に会話し、ボディーランゲージを汲み取りながら根気よく続けなければならない。


「この子は、私よりもアナタに側にいて欲しいと願っているはずです。どうか、シンイチをよろしく頼みます」


     ※     ※


 その日の午後はうっちーさんも顔を見せた。

病院に担ぎ込まれた翌々日の夜に、泡を食って飛んで来て以来二度目の面会である。


「万に一つでも、アヤカちゃんが目を覚まさないようなことがあれば、僕は腹を切るつもりだった。ほんとうに申し訳ない・・・」


うっちーさんの目は真剣そのものだ。けっして大袈裟なセリフではないだろう。彼はやるといったらやる男だ。


「アヤカちゃん。これは、さくら苑の子供たちが徹夜で折ったんだよ・・・」


こんな時、多くの言葉はいらないのかもしれない。


「ア・イガ・ト・・。リガ・ト・・」


千羽鶴を受け取ったアヤカの目尻から涙が溢れた。


 かくして、メコン・デルタから始まったL&M作戦は予期せぬ結末で幕を下ろしたのである。


※本章で鍼灸治療のエピソードが登場しますが、「西洋医学の否定」ではないことを念のため書き添えておきます。

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