第27話 アーチエネミー

 魔法のある異世界といっても物理法則は基本的に同じはずだ。


 だから、アシカとアザラシが似ているように、同じ環境に適応しようとすれば同じような形になる。


 こっちの世界の気温の低い海岸にもアシカみたいな姿形の動物はいる。ワタラズという鳥の仲間で、翼から変化したヒレと、短いクチバシの生えた丸っこい頭はシルエットだけならアシカそのままだ。


 とはいえやっぱり異世界なので、地球とは似ても似つかない生き物もいる。


 肺呼吸する巨大昆虫の剛虫類とか、自力歩行する陸珊瑚とか、海棲類人鯨とか、そういうやつ。


 俺の馬車を引いていたウロコ馬はその中間くらいだろうか。足を長くして車高を上げたワニというか、ウロコのある爬虫類的なテクスチャなんだけど全体のフォルムは馬に似ている。ついでにいうと卵生の恒温動物だ。


 この世界でいわゆる馬といえば、かつてはオオウマという割とそのままの馬だった。


 前にも説明したかな。オオウマは灰の毒に特別弱く、ばたばた死にすぎて数が揃えられなくなった。陸運がどうにもならなくなって、比較的灰に強いウロコ馬が重宝されるようになったという経緯がある。


 その流れでもう一種、荷駄として活躍を期待された動物がいた。


 陸王リクオウサイは、一言でいうと馬の形をしたサイだ。


 シワの入った分厚い鎧みたいな皮膚、足はごつく横幅があり、見るからに力強い。無骨なユニコーンのようにも見える。ただしその角はサイそのものだ。


 陸王サイは本来軍事目的に使われてきたそうだ。要するに騎馬だ。背中に騎兵が乗って突撃するあれだ。


 戦場においては天性の力を発揮する。気性が荒く、危険に飛び込むことを躊躇しない。自らすすんで兵を踏みつけ角を叩きつけようとするくらいだという。生まれついての武闘派だ。


 そんな性格をしているからだろうか、馬車を引くという行為に難色を示す。つまらん荷車なんぞ引いていられるか――とでも言わんばかりに。


 ウロコ馬はかなりおおらかだ。おとなしい性格で人間の指示にはとりあえず従ってくれる。だから運び屋には重宝されている。一方の陸王サイは脚力と耐久性に恵まれていながら、使い勝手が悪く敬遠されている。


 灰の降る野外を走る馬車には危険がつきまとう。


 必要なのは御者のいうことに素直に従ってくれて、しかも我慢強い荷駄だ。短気を起こされて何かアクシデントが発生したら荷物を届けられないし、最悪の場合は命に関わる。


 じゃあ本来の軍馬としての用途ではどうか?


 需要はもう護法軍にしかない。他に軍がないからだ。


 その護法軍でも、陸王サイの存在は持て余している。しかもずいぶん前から。


 灰が降るより前、そして降りだした直後の動乱期、まだ人間同士の武力衝突が起きていた頃は戦場の花型だったそうだ。


 強力な魔法支援を何重にも張り巡らせ、超加速重突撃で敵陣を遮蔽スクリーンごとを粉砕するという、よくわからないが聞いただけで恐ろしい戦法に使われていたらしい。


 でも現在の護法軍に必要なのは、各地に現れる灰賊やフィーンドのような小集団の各個撃破と、あらゆる場面で不足している物資を速やかに行き渡らせるための機動力だ。怒れる陸王サイの突進が必要とされるような『敵陣』は、もうない。


 人も物も余裕のない時代で、戦闘で運用することが難しく、体格があるぶん大飯ぐらいで、しかも力がものすごいから暴れると手を付けられない。


 戦場の花型どころか危険動物扱いになってしまった彼らが、毒の灰の降る崖っぷちの世界でどう扱われるか。わかるだろう? 『かわいそうなゾウ』だ。


 とはいえ、ただでさえ死、死、死の世界だ。せっかく地獄の中で命をつないできたというのに、人間の手で殺していいのか。これまで人間の友だった動物を殺してまで生きるのは、ある意味人間を殺して生きるより辛い。


 護法軍もギリギリまで耐えた。耐えたが限界というものもある。


 そこに転機がきた。例のウロコ馬の大量毒殺事件だ。


 ウロコ馬をあっさり殺せる霊薬がこの世に存在しているという事実は、ウロコ馬が荷駄として使えなくなる可能性につながる。旧アベリー市で起こった時みたいに、一晩で皆殺しにされたらあらゆる物資の輸送がストップする。そしてその日はいきなりやってくるかもしれない……。


 そうなる前に、荷駄を務める動物を用意しなければならない。数も種類も限られる中、無駄飯食らい扱いになっている陸王サイの転用をもう一度試してみよう――と誰かが考えた。


 背に腹は代えられないというやつだ。荷駄として使い物になれば、処分する必要もなくなるわけで、そうする以外に陸王サイが突き進む道はない。


 それは大変な話だな、と俺は他人ごとながら心配になった。自分が御者として慣れるまでの日々を思い出す。


 いままで放棄されてきたところに調教を行うのは、ただでさえ人手が足りない護法軍には大きな負担になるだろう。民間に任せるかもしれない。

 

 少し話が長くなったが、何となく想像はつくだろう?


 全く知らないところで、その負担は俺に向かって突進してこようとしていた。


     *


「遅い!」


 旧アベリー市の護法軍駐屯地に到着した俺に、ルシウムは開口一番怒声を浴びせてきた。


 俺は腹をたてるのも忘れて口を半開きにして、隣のラルコの様子を見た。直立不動。緊張して、俺とルシウムの間を取り持つくらいの気を利かせることもしやがらない。


「十日以上も何をやっていたんだ、君がついていながら!」


 君、とはどっちのことだ? あんたのボンクラ部下のラルコか? それともボンクラ部下のお守りをしてやった俺か?


 やっぱり来るんじゃなかった。ロシアの女軍人みたいな彼女の顔を見て、俺はうんざりした。ベリーショートの金髪頭はできれば見たくなかった。ラルコの話に乗ってまたこの旧アベリー市に戻ってきてしまった時点である程度覚悟はしていたものの、いきなり怒鳴りつけられるいわれはない。


 だが俺はつきつめると小心者なので、こっちは長旅で疲れているのに茶のひとつも出てこないんですか――などと皮肉な台詞を思いついても、口には出せない。


「想定よりかなり時間を超過している。すまないが一緒に来てくれイリエ、歩きながら説明する。姉妹バウリ、同行しなさい。兄弟ラルコは詰め所にて待機」


 手早く指示を出し、ルシウムは有無を言わせず詰め所を出て行った。実際俺もラルコも、ついでに新しく借りたウロコ馬も、強行軍で疲れているのだがそんなことお構いなしだ。


「イリエさん、どうぞこちらへ」


 バウリと呼ばれた女性士官が俺の横に来て、一礼した。短く一直線に切りそろえた黒い前髪、小柄でまだ若い。軍人と言うより日本でいうところのサブカル女っぽい印象だ。どちらにせよラルコよりは有能そうな雰囲気をまとっていた。


 俺はなし崩し的にバウリに従った。


 俺はいつでもなし崩し的だ。


     *


 人類最後の希望、トゥルーメイジの死が与える影響は、俺の想像より早く現れていた。


 旧アベリー市から荷物を積み出した馬車が、突然消息を絶った。


 灰賊に襲われたのだ――と当初は思われていた。


 実際には、依頼を受けた運び屋が護衛のため同行していた護法軍兵士と結託し、荷物を犯罪組織に横流ししていたらしい。


 旧アベリーに駐留する護法軍は騒然となった。


 最悪の時代にあっても、法と秩序に命を捧げると誓うのが護法軍だ。上から下までその覚悟を決めた人間だけが所属を許される。いくら末端の兵士だとしても、はした金目当てに誓いを捨てるなどあってはならない。それが護法軍の立場で、だから信用を得ている。


 それがいともたやすく、しかも駐屯地のある街から大して離れていない場所で行われたわけだ。


 ケチくさい横流しに関わった連中は馬鹿みたいにあっさり捕縛されて、自白霊薬とペンチを用いた速やかな尋問のあと処分された。


 本当にただのカネ目当てだった。黒幕も何もない。ほとんどその場で思いついたような短絡的犯行ってやつだ。


「護法軍だけでは物資の輸送をまかないきれないのは知ってのとおり。だが先日の毒殺事件につづいて二ヶ所同時に起こった大規模な戦闘だ。無理を押してでも物資を回さなければならないのだが……」


 ルシウムは振り返ることなく大股で歩き、道幅に対して飽和気味の雑踏を物ともせず進んでいく。


「軍の人間を同行させて民間の業者に任せた矢先にこれだ。まったく、なんでこんなことになる」


 心底忌々しそうに吐き捨てるルシウム声は、怒りというより強い落胆を感じさせた。


 もう十分に死んで、あらゆるものが失われ、誰もが傷を負った。だからせめて生き残った人間は手を取り合って生きていこう――そういう空気は多かれ少なかれ共有されている。


 悪意は外にある、と考える人たちは多い。悪意は灰賊のような人間性を捨てて社会から出ていったようなクズが持っているものであって、人間社会の内側にはない。全くないのは無理だとしても少ないはずだ、という考え方だ。


 俺はこのことについて何も言えない。


 考えが甘すぎるとか、綺麗ごとだとか、そんな風に思うところもある。


 でもそれはこの世界の人間の問題だ。


 魔法が存在して、神様から言葉が違っても意志を通じ合える祝福を与えられて、地球とはぜんぜん違う環境に置かれた人間が終焉に向かう世界でどんな考えを持ち、行動するか。それこそ『外』の存在である俺は、根本的な部分で部外者のままだ。


 口を挟むことじゃない。


 だけど、護法軍だけはモラルを保ち続けてくれるはずだ――という期待は理解できる。俺自身もその気持ちはある。口先だけの正義じゃなく、本当に命をかけていると知っているからだ。


 ルシウムの落胆はこの世界全体の落胆だろう。


 心の支えを失うと人間はすさむ。


 わかっていたが、それでもやっぱり早すぎじゃないかと思った。


 トゥルーメイジの死からまだひと月も経っていないのにこれだ。


 この先どうなってしまうんだ?

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