終わりの続き
第22話 「灰色の、べたべたしたもの」
いっぺんにいろんなことが起きた。
リアルタイムで見た出来事だけで説明するのは難しい。
何から説明すればいいのか、ちょっと整理させてくれ……。
*
グレイ=グー。
名前だけは聞いたことがあった。でもその正体についてはよくわからない。
と言うのも、カルト集団だとか、フィーンドの群体だとか、死に絶えた灰の平原に潜んでいる悪魔だとか、人によって話が一致しないからだ。
こっちに来てその言葉を聞いた俺はこう理解していた――子供を怖がらせる時に使う『おばけ』みたいな言葉だろうと。悪い子には夜中に『グレイ=グー』が出るぞ、みたいなものだと。
正体不明の恐ろしい何か。
疑心暗鬼の中を渡り歩く悪夢。
穢された無数の魂と灰の荒野で踊る影。
あるいは生きた人間で、生きたまま人間であることを放棄した背徳者だとも。
そんなつかみ所のない、実在するのかどうかもわからないを指す言葉。
それがグレイ=グー。
言葉だけならよかったんだが、残念ながらグレイ=グーは実在していた。
*
灰賊の軍勢が魔法の塔の麓の街へと攻め込んだのと、旧アベリー市のウロコ馬たちが毒殺されたのが同じタイミングで起きたのは偶然ではない。
結論から言うと裏で糸を引いていたのはグレイ=グーだ。グレイ=グーが『戦争』を仕掛けた黒幕だ。
最後の魔法の塔は世界滅亡を食い止める最後の砦だから、世界中で一番防備が堅い。選りすぐりの軍人たちが駐留し、持てる手段を全て投入して絶対死守の体勢を構えている。
そうすることで、護法軍の残りの戦力を世界各地に振り分けることができる。自由に動ける軍人たちがいなければ、生存圏を守りぬき、人間を襲う敵を殲滅し、街の犯罪者を取り締まることはできない。どうしても手におえない時は近隣の担当部隊と協力して対抗する。
そういう戦略をとっていた。
これまではそのやり方で問題なかった。他にいい方法を出せと言われても思いつかない。だから決して手落ちがあったと非難するには当たらない。
グレイ=グーが突いたのはまさにそこだった。
魔法の塔から旧アベリー市と同じくらいの距離に、もうひとつ大きな都市がある。
かつては学芸都市、今では過剰なほどのバリケードで全身を覆われた有刺鉄線の街と呼ばれているモッゾラブ市においても大量毒殺は起きていた。旧アベリー市とほぼ同じ方法で同じ毒が盛られ、使える馬は全部潰された。
このふたつの都市が、小村や集落を除けば魔法の塔と地理的に一番近い大規模な生存可能拠点にあたる。こういう比喩で合っているのか自信がないけど、東京駅と羽田空港、成田空港の関係みたいなものを想像して欲しい。で、成田エクスプレスの車両が全部故障させられた。合ってるかな。まあ大体そんな感じだ。
つまり、空港に物資や人員が輸送されてきても、現場に送る手立てがない。ウロコ馬をほぼ壊滅させられたというのはそういうことだ。
灰賊の群れが攻め寄せてきてるのを魔法による通信で知っていながら、両市の駐留軍は動くに動けない。
おまけに、その時はまだわかっていなかったことだったが、街道のいくつかの関所はフィーンドの群れに襲わて陥落していた。
関所の番を務めていた部隊は抵抗むなしく皆殺しにされた。どうも守備についていた人員の倍以上の化け物に襲われたらしい。酷い状況だっただろうな。
破壊された関所はフィーンドの巣みたいになって、事実上の通行止めだ。
その後フィーンドは追い払われたものの、関所は誰のものだかわからない手足や内臓を洗い落とすところから始めないと復旧すらままならないという地獄絵図だったという。
何というか……ひどい話だ。交通網を潰される意味は大きい。俺のような運び屋にとっては特別に深刻だ。街道を外れて移動するのは手こぎボートで外洋に出るようなもので、死の危険は一桁から30%以上に跳ね上がる。徒歩で渡るのは自殺行為かそれ以上だ。死ぬだけならまだしもフィーンドになって戻ってくることもある。
そうした条件が重なった結果、魔法の塔とその麓の街は陸の孤島と化してしまった。
アベリー、モッゾラブの両市に駐留する護法軍は援軍として駆けつけることすらままならず、結局、斥候として護法軍の志願者数名を徒歩で向かわせるのが精一杯だった。
斥候はあくまで志願者のみで行われることになった。つまり、捨て駒になることを覚悟の上ってことだ。
街道に沿って歩いているだけでも死の危険があるのに、一度に大人数を送り込んで戦力をまるごと失ったら目も当てられないからだ。
斥候による情報収集を待つ間、ふたつの都市の護法軍はさらに遠方からの支援が到着するまで戦力を温存することくらいしかできなかった。十分な数の戦闘員と輜重を輸送するにはどうしても馬車か、それに類する手段が必要になる。
悪いことが重なる。
悪いことを重ねたやつがいたからだ。
俺もこの時点では、旧アベリー市で落ち着きなく過ごす以外なかった。
*
灰賊は死を恐れない。
勇気がある? もちろんそんな意味じゃない。
自分の命に対しての想像力が欠落しているからだ。死ぬかもしれない、危険を避けるべきだ、もっと安全なやり方がある――そういう想像が。
だからこその灰賊とも言える。この先自分がどうなるかと想像できるなら灰賊になる道なんて選んだりはしない。
灰に触れすぎると手遅れになる。直接吸わなくても灰は灰だ。アッシュ・ラッシュの常習者みたいに少しずつ神経を冒されて、灰の中にまみれていないと落ち着きをなくすようになって、そうなるともう人間社会には戻れない。
完全に狂っていて、無軌道で、闇雲に標的へと襲いかかるケダモノになる。フィーンドでもないのに、自分から人間以下の存在に成り下がるんだ。
凶暴なサルが鈍器を持って玄関のドアをぶち破ろうとしている状況を想像して欲しい。相手は人間に似た姿形をしているけど、交渉の余地はない。略奪のために殺し、暴力を楽しむために殺し、食欲のために殺す。そんなやつが襲ってきたとしたら?
幸い、灰賊は大規模な灰賊団みたいなものをつくろうとしない。つくれない。数人の群れ程度が限界で、集団行動を取るには知能が低下しすぎているからだ。
だから対処できた。
街道を歩く旅人がいきなり待ち伏せされたらどうしようもないけど、十分な人数と武器を用意していれば返り討ちにできる。
略奪のために村を襲撃されても、防御を固め、近隣住民と力を合わせれば集落を守り切ることもできる。
何より護法軍の存在がある。護法軍が肩代わりし、法と秩序を守るために灰賊を容赦なく処分してきた。
ほとんどの局面で灰賊は護法軍に勝てない。
強弱の問題というより、プロの軍事集団である護法軍には一方的に相性が悪いと言ったほうがいいかもしれない。
凶暴で、命知らずで、残忍だがどうにもならないほど頭が悪い。灰賊とはそういうものだ。
ところが、300人の灰賊たちはその欠点を埋め合わせてしまった。
グレイ=グーによる統率のせいだ。
本来は5、6人の集団を作るのが精一杯のはずなのに、連携を取って一軍をなしてしまったのだ。
勘違いされるかもしれないから先に言っておくと、灰賊たちは正気を取り戻したわけじゃない。
目的意識に目覚めたとか、訓練されたとか、そういうことではない。個人個人は依然狂ったサルのままだ。
『教育された』のではなくて、『乗っ取られた』と言った方がいいと思う。ある種の寄生虫に寄生されて行動を操られる生き物とか、聞いたことあるだろう? そういうものを想像して欲しい。
かつて神聖都市クリュミエリと呼ばれていた街に侵攻した『軍勢』は、狂気をそのままに、意志と関係なく何かに操られて、一斉に街を攻撃していたんだ。
数十人単位の部隊に分かれ、武器を手に猛然と雪崩れ込み、フィーンドよけの逆茂木を倒し、防毒隔壁も兼ねた外壁によじ登り、奇声を上げながら火を放ち、通用門を打ち壊しに来る。
護法軍が銃で撃っても、手足がもげた程度では動きを止めない。頭か心臓を破壊されるまで絶叫し、少しでも襲撃の輪に加わろうとする。死ぬことすら忘れているそいつらは、もはやゾンビの大群よりたちが悪い。
灰が降り始めて半世紀。
人の命が最後の崖から押し出され続けてきたその半世紀の間でさえ誰も見たことのない狂気のありさまだった。
死ぬまで殺し、殺されるまで殺し、殺し終わって死ぬ。
狂人兵団――人間の形をした死と狂気の群体。
グレイ=グーの操る、悪魔の手先だ。
*
侵攻が始まって5日目の朝、300の狂人兵団はただの独りも残さず狂乱の中で死んだ。
護法軍側の被害も甚大だった。
住民も守備にあたった護法軍も無事では済まなかった。放たれた火によって防毒隔壁の一部が機能停止に陥り、逃げ遅れた人々は殺され、食料にされた。
護法軍の死傷者は魔法の塔絶対死守部隊の3割に及んだ。
塔のトゥルーメイジ自らが撃退のために動こうとしたものの護法軍は最悪の事態を想定してこれを制止し、いくつかの生命魔法による加護と現存する数少ない
この時のクリュミエリ防衛戦は、過去20年間をさかのぼっても2番目に激しい戦闘だったらしい。
一番激しい戦闘は、狂人兵団が進行してきたのと同じ日、別の場所で起きていた。
大坑道。
魔法の力に必要な秘石の多くを産出する、人類最後の生命線で。
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