第15話 オリジナルの消失

 フィーンドと化した者の腕力はほとんどの場合人間を上回る。


 力強く、鋭い爪の生えたフィーンドのひと振りを、ルシウムは左腕一本で止めた。普通なら腕が引きちぎれていてもおかしくないのだが、痛む様子もなく、出血もしていない。


 服の切り裂かれたところから覗いていたのは義手だった。


「化石病のせいだ」


 俺から尋ねたわけではないのにルシウムはわざわざ袖をまくって象牙色の腕を見せた。見た目は人工的なのに、その動きに不自然さはない。


「石化が左手一本に集中していてね。肘から下を切断することでそれ以上は進行せずに済んだ」


 ルシウムは口元にしわを寄せかすかに笑った。


 最終的に全身が石化することに変わりないものの、化石病にはふたつのタイプがある。


 ひとつは体のあちこちに斑点のような石化が起こり、ゆっくりと広がるもの。


 もうひとつは手足の先など一箇所に集中して石化し、そこから一気に進行するもの。


 後者の症状は、体幹部まで石化が及ばない内に患部を切り離せば助かる場合がある。


 幸いこの世界の義肢は魔法によってかなり自由に動かせる。比較してもあんまり意味は無いけど、コンピュータ制御の地球製よりも上かもしれない。


 そんな魔法式義肢にもピンからキリまで、ってやつだが、ルシウムのものはおそらく最高級品に近い。


 循環霊薬液と心話魔法を組み合わせた思念駆動式、それも戦闘仕様――テレパシーで意のままに動き、精巧なのにものすごく頑丈で、生身よりも強い力が出せるという代物だ。フィーンドの爪では表面のつや消し加工にさえ傷を付けられないし、殴りつければ一発で人間の下あごを吹き飛ばす。


 後から知った話だが、魔法文明の勢いがまだ続いていた時代の軍用重甲冑――鎧というよりは魔法を動力にしたパワードスーツに近いものらしい――を参考にして作られたという。すでに魔法が衰退してしまってからはその機能の一部しか再現できず、ましてや灰が降りだしてからは材料を揃えること自体が難しい。


「修行僧にこそならなかったが、私には心話魔法の素養があった。腕を失ったあと、こういう義手を操作するには最適な人材と判断され――以来、私は義手の対価に生涯を護法軍の旗に捧げている」


 ルシウムはよく通る声でそう言った。誇りとか決意とか、彼女の言葉にはそういう固い芯のようなものが感じられた。


 俺には何とも答えようがなかった。俺が立ち入ることのない領分の話だ。


 別にケチをつける気もないし、ご立派なことだと思う。かといって敬意を表するほど関心はない。今日はとにかく――いろいろあって疲れている。


 旅の疲れと、死体の山とその臭いと、そこで拾った靴と、佐久間との思いもよらない再会と、完全に終わってしまった過去と、それから……。


 これ以上はもういい。


 とにかく俺はへとへとで、何も考えず休める場所が欲しかった。


 できれば今すぐ自分の住まいに帰りたかったが、馬車を引くウロコ馬も休ませないといけない。


 不本意だが何日かこの街に逗留することになるだろう。


 とにかく俺は疲れていた。


 カネさえ払えばこの街でもまともな宿を借りられるだろう。


 とにかく俺は――少しでも早くひとりになりたかった。


     *


 旧アベリー市護法軍駐留本部――と銘打たれた場所に連れて来られたはずだが、そこは商家か何かを買い上げたか、あるいは借りたかしたもので、軍事組織専用に作られた建物ではない。幕末の京都で志士が集まっている藩邸――のようなものを想像して欲しい。たぶんそんな感じだ。


 難民たちが自分の力で造り上げた街――という自負からか、旧アベリー市は独自の自警団や取り締まり組織の権限が強い。だから護法軍はそれに必要な協力を行うという体制になっているらしい。


 慢性的な人員不足が悪化する一方の護法軍にとっては、むしろ歓迎すべきことなのだという。


「心配はしなくていい。ここは小さいが、君に特別料金を支払うことぐらいはできる」


 聞いてもいないのにルシウムはそう言って、俺を建物に招いた。


 手間賃の受け渡しぐらいで護法軍の本部に入るのは多少気が引ける。別に罪を犯したわけじゃないのに警察署に入ると緊張するのと同じようなものだ。


 面倒だが、中に入れば浄化された水の一杯も出るだろう。


 何となくそんなことを考えて俺はルシウムの後に続いた。


 眠気で少し足取りが怪しくなっている。


     *


 手続きそのものはあっさりしたものだった。


 役所仕事のようなものだ。一応確認のために掌紋を取られて――魔法による個人認証のようなものだ――約束の額がトレイに入れて持って来られた。内心、少しくらい色を付けられているのを期待していたのだがそんなことはなかった。


 それでも大きいカネであることには変わりない。今は使い道を考えるほど頭がまわらないが……。


「気をつけた方がいい。無防備にしていると路地裏に引きこまれて身ぐるみを剥がされかねないぞ」


 ルシウムは腕組みして俺に笑いかけた。皮肉か本気かわからない。言っていること自体はもっともだ。確かに警戒しないと危険な街であることは間違いない。


「では縁があればまた仕事を頼もう。信頼できる取引相手は少ないからね」


 信頼? 俺は面食らった。信頼に足るほどの仕事ぶりだったという自覚はない。言われるまま、言われたことをやったまでの話だ。


 俺の方から正直はもう関わりあいになりたくない。この旧アベリー市は――いろいろな意味でちょっと近寄りがたい。


 とはいえ護法軍からの仕事は払いがいいし、贔屓にしてくれれば助かることは確かなので、何とも対応に困る。


 そりゃどうも、と曖昧な作り笑いでその場をごまかした。


 結局水は出なかった。


 駐留本部から外にでると、空からちらちらと灰が降り始めたところだった。


 勢いは弱い。この程度なら、上空を屋根のように覆っている防毒隔壁を通過する時に無毒化され、落ちてくる頃にはただのチリになる。


 それでも俺は、すっかり習慣になっている防毒マスクを装着し、薄汚れたカラス人間のような出で立ちで人混みの中へと紛れ込んだ。


     *


 死体が捨てられているような西側は治安が悪いのは当然で、旧アベリー市の東側、それも港町に通じる南寄りの地区はかなりまともな場所だった。


 交易の要所という雰囲気があり、衛生的にもこちらの方がずっとマシだ。もし東側からこの街に入っていれば、印象は全く違っていただろう。まあ、それを言っても仕方ない。最後の魔法の塔はこの街から見て北西当たりに位置していているし、直に目にしなかったとしても街の西側には死体が折り重なっている事実は変わらない。そういうことは思い通りにはならないものだ。


 比較的まともで安全な宿を見つけた。


 俺はもう限界で、金を払って部屋にはいるとベッドに倒れ込むようにして、そのまま眠り込んだ。


 久しぶりに実家の夢を見た。


 もう手の届かない世界の夢を。

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