第14話 罪咎に非ず、故に罰に非ず

 人や物の出入りが多い都市は、完全に払い落とされない灰が防毒隔壁の中に持ち込まれやすい。


 旧アベリー市はまさにそれだ。


 大量の降灰があって無毒化しきれない灰が街中に積もった場合にも、でたらめに入り組んだ構造が災いして、灰が払いきれずに建物の隙間や物陰に溜まってしまう。


 そこに加えて灰の毒を利用した薬物アッシュ・ラッシュの蔓延だ。


 灰から逃れるための街、そして魔法の力で人間は生きながらえていても、生存圏そのものは少しずつ灰に埋もれ、心は恐怖に抗えず、守り切ることはできない。


 じゃあ、どうすれば守ることができるんだ?


 もうこの世界が持ち直すか、そこまでいかなくても今のままでとどめておくことはできないんだろうか?


 地獄が噴火してから半世紀が経つという。


 そんな方法があるなら、俺が問う必要もなく実行されているに決まってる。


 今日もどこかで人の居場所が灰色に塗りつぶされていって、俺はどうすることもできない。同じ異世界から転移した佐久間と再会しても何も変わらない。


 傍観者か被害者か。


 この世界に放り込まれてから俺はふたつの内のどちらかでしかなかった。


 その日の俺は被害者だった。


 つまり、そういうことだ。


     *


 においが漂ってきた。アンモニアとアルコール、それに焦げ臭い煙がまじっていて、俺と佐久間はどこかで火事が起きたことを知った。


 売春街の暗い通りからでも炎と煙が見えて、思ったよりも近い。勢いも強いようだった。火の手がこの区画にまで広がるかもしれない。


 その時になって俺はルシウムからはぐれてずいぶん時間が経っていることに気づいた。道に迷って偶然この場に来て、本当に偶然に佐久間に出会った。


 佐久間が生きていた事自体はいい。会って話を何も得るものが無いのを再確認しただけで、そんなことは前からわかりきっている。


 俺は元々何をするつもりだったかというとルシウムの後に付いて行って彼女と護法軍に依頼された大荷物を運んだ特別料金を受け取って、それからこんな街からは引き返すはずで……。


 なんでこうなるんだ。


 道に迷いっぱなしの俺はルシウムの居場所も、避難すればいいのかもわからない。


 そして、佐久間だ。


 佐久間に対して俺はどういう態度を取ればいいのか。


 それが一番わからない。


 やっぱり顔を合わせるべきじゃなかった。結局話し込んでしまったけど、三年前とは何もかもが違う。後戻りなんて不可能だ。


 佐久間を見捨てて逃げたとしても、一緒に逃げたとしても、その先の展開は予想できる。どっちに向かっても共倒れになるだけだ。


 だから俺は男色専門の売春街の只中で立ちすくんだ。


 どうにもならない選択の積み重ねで佐久間は男娼になった。


 ほんのわずかの違いで俺は雇い主に言われた場所に向かって馬車を走らせる御者として生きている。


 積み荷を運んでどこかとどこかを往復するのが俺の仕事で、だから――だからやめてくれ。


 どこに行けばいいのか、そんなこと俺に聞かないでくれ。


 わからないんだよそんなもの。俺はたまたま流されて死ななかっただけだ。最後の生き残りである佐久間ともう一度別れるか、行動を共にするか。他に選べる道はないのか?


 どうすればいい? 


 俺は、火事が、火の手が、佐久間が、俺のこっちでの暮らしが……。


     *


 アッシュ・ラッシュで一時的な安らぎを得るために集まった六人の浮浪児がいて、その全員がフィーンドになった。


 全員が一度にというのは珍しいといえば珍しいが、灰の毒が人体に対してどういう魔法的影響を与えているのかはっきりとしていないので、ありえないほど珍しいことではない。


 一時的な安らぎどころか、灰に取り憑かれフィーンドに成り下がった浮浪児たちは、脳を灰の毒に乗っ取られた。周りの人間を食い殺すよう強要され、それを実行した。


 フィーンドになっても元々の人格は維持されているという。良心に基いて命令を拒否すれば拷問に等しい苦しみを与えられ、フィーンドは泣き叫びながら人を殺す。


 全身が異形に作り替えられ、浮浪児たちもそうやって人を殺した。


 未来は灰に閉ざされ、人が簡単に死ぬのが当たり前の環境で、街のほど近くに死体が山積みになっている場所で暮らし、親もおらず、アッシュ・ラッシュにすがるしかなかった子供たちが果たして『命令を拒否』していたかどうかなんて俺にはわからない。


 していたかもしれないし、生まれてからずっと沈殿し続けた暗黒の魂を、化け物になることで解放できたのかもしれない。


 そこから先は立ち入らないようにしておく。


 旧アベリー市は人口密度が多く狭苦しい道が多いので、フィーンドたちは獲物を選び放題だったようだ。


 街の外に積まれる死体の数が少し増え、パニックが起こり、建物に火がついて燃え広がった。


 その六人のフィーンドが暴れていた事件を俺が知ったのは後になってからのことだ。


 それとほぼ同時刻、俺と佐久間の目の前にも別のフィーンドが現れていたからだ。


 叫ぶことはなく、静かに涙を流しながら俺を爪で引き裂こうとするフィーンドの目は悟ったように澄んでいて、そいつが道に迷っていた俺を佐久間のところに導いたアッシュ・ラッシュ中毒者だと理解した。


 俺はこの時、このまま死んでも仕方ないという気持ちだった。


 こいつは知っていたんだ。


 毒だと知っていた。化け物になると知っていた。誰かを殺すことを知っていた。だから澄んだ目をして、苦痛に叫ぶこともなく……。


「こんなところで何をしているんだ、君は!」


 切羽詰まった声に、俺は現実へ引き戻された。


 俺の目の前には、フィーンドの爪を腕で受け止め、渾身の力で押し返そうとしているルシウムの姿があった。


 俺はまた生き残ることになったようだ。


     *


 ルシウムの軍用大型拳銃はフィーンドの水死体みたいな体を撃ち抜き、3発目で頭部が完全に吹き飛んで死んだ。


 この世界の銃は火薬ではなく銃身に組み込まれた念動魔法で弾丸を撃ちだす。


 フィーンドや灰賊は生かしておく必要がないので、護法軍の銃は基本的にとても強力だ。弾頭にも霊薬を使っていて、命中と同時に体内で膨張するようになっている。


「まったく、勝手にどこかへ消えたと思ったら何でこんなところに……君はその、こういう趣味なのかイリエ?」


 ルシウムは戸惑いながら周りの売春宿と男娼たちを見渡した。ロシアの女軍人という感じの短い金髪頭を上下左右に動かす様は、俺が初めて見る彼女の動揺した姿だった。


 彼女は今度こそちゃんとついてくるようにきっぱりと言い放った。俺に同意を求めてはいない。


 俺は彼女を追って売春街を後にした。ここにはもう用はない。


 佐久間が俺の背中に何かを叫んでいた。


 たぶん待ってくれとか、俺を置いて行かないでくれとか、そういうことだったと思う。


 俺はそれを無視した。俺は佐久間を選ばなかった。


 ルシウムの方を、こっちの世界で御者として生きる方を選んだ。


 特に心は傷まなかった。


 俺はもう多くのことを諦めてきた。日本に帰ることも、クラスメイトの安否も。みんな死んだものと思って、それもしょうがないと受け入れていた。


 佐久間が生きていたこと、それ自体に何の文句もない。嬉しいし、喜ばしいと感じたのも本当だ。


 でも、俺の中で佐久間はもう存在しない人間だった。


 俺には佐久間を背負えない。


 だから――俺は佐久間を見捨てた。


 ためらいはそれほど感じなかった。


     *


 翌朝、売春街で男娼がひとり首を吊って死んでいるのを発見された。


 それが誰だったのか、俺は確かめていない。


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