第百話
メイドの手引きの下、黛が捕らえられているロウオウ支部に潜入。
自身の役割はここまでとメイドが姿を消し、そこでようやく目を覚ました仁に事情を説明すると、彼は深く――大袈裟なほどに盛大なため息をついて一言。
「バカなのか?」
端的過ぎる言葉に思わず噛みつき掛けた理香を手で制した仁は話を継続。
彼から見れば理香の行為は愚行を通り越した自殺行為。
相手は設立して比較的日が浅いといっても、既に並大抵のマフィアを超える大物へと成長した組織。
正面から喧嘩を売れる者はごく少数。そして例えその少数に入っていたとしても学生の身で手を出していい相手ではない。
淡々と語る仁に憤怒で顔を赤く染めていた理香が落ち着きを取り戻すべく息を吐き出し、頭を冷やしながら食って掛かる。
「でも、黛を放っておくわけにはいかないでしょう!」
「ああ、そうだな。昨日、黛をあのまま放置して監視を付けなかったのは俺たちの失策だ。あるいは監視を付けても振り切って捕まっていたかもしれないが、どっちにしても全ては後の祭り。今となっては俺たちにできることなんて何もない」
「捕まっているなら助け出せばいいわ。じゃないと何のために日頃から心と体を鍛えているのかわからなくなる」
「立派な心掛けだが、現実を見ていない。そうだな、方法を問わなければこの支部を壊滅させることは可能だ。血の海と死体の山が築かれることになるが、黛救出のための安い代償とでも割り切ればいい。で、その後はどうする?」
「……支部を壊滅させた後、マフィアと本格的な抗争になるって言いたいの?」
「察しが良くてキスしたくなった。これは偽りのない本心。とまあそのことは後回しにするとして、その通りだ。相手は泣く子を殺す冷酷非道なマフィア。俺たちみたいな取るに足らない子供たちの麗しい友情に感涙して見逃してくれるほど甘い相手じゃない。本格的な抗争――いや、戦争になれば魔境もタダでは済まない」
「じゃあ、どうすればよかったって言うのよ。友達が危ない目に遭っていることがわかっているのに、黙認しろって言いたいの?」
「そうだ。俺たちが何もしなくても委員長が動いているんだろう? どんな交渉が行われるかはわからないが、委員長に限って下手は打たないはずだ。相手が余程の大バカ者でもない限り、黛は戻ってくる」
「可能性の話なら何でもあり得るわ。もしものことが起きた時、何かできたかもしれないのに何もしなかったなら、私は私のことを許せなくなる」
平行線を辿る話し合い。
周囲に人影や監視カメラは見られないため、騒がなければ発見される危険は少ないとはいえ、長居すればそれだけ見つかる恐れが高まる。
できるだけ早くこの場から立ち去るべきなのだが、内輪揉めの火種をそのまま残しておくのは危険。
和解させようにも、どちらの意見も正しいと感じてしまっている東間には口を挟むことができず、仁と理香が真っ向から睨み合う。
「仁、私だって考えなしのバカのつもりはないわ。私たちだけで動くのがどれだけ危険なことかも承知している。でも、私たちだけで動けば万が一の時、バカな学生たちが先走ったって言い訳ができるじゃない?」
「犠牲になるのが俺たちだけで済むと。成る程、確かにマフィアは組織だ。益より害の方が大きいことはしたくないはず。俺たちが捕まったとして、俺たちの独断専行ということにしてしまえば魔境と戦う理由に繋がる可能性は低いし、抵抗しなければ無意味に殺そうとすることもないだろう」
「だったら――」
「俺たちはみすみす捕まりに来たのか? 委員長への負担を大きくするために、ロウオウにとって有利に交渉を勧めさせるためにここまで来たのか?」
「そんなわけないじゃない! 私が言っているのは万が一の時のことよ! どうしようもなくなったなら捕まるしかないっていう話!」
「とっくにどうしようもない状況だってことがわからないのか! 現在位置は? この建物の内部構造は? 敵の数と質は? 黛の居場所は? スパイ映画を見ていれば俺たちも華麗な活躍ができるとか勘違いしているならバカを通り越した阿呆だぞ!」
「阿呆って何よ、阿呆って! そんなのこれから調べればいいじゃないの!」
「どうやってだ! お前たちの身体能力が高いことは認める。実戦経験も少なくないことは俺も知っている! だが何処かの組織に潜入したことはあるのか? この際だからごっこ遊びでもいい、何処かに潜入して、目的を果たしたことはあるのか?」
「それは! ない、けど! それでも、友達を助けたいと思っちゃったんだから、何もしないわけにはいかないでしょう!」
額と額をぶつけ合わせての口論。
激しくなっていく二人の口調に比例して声量が増していき、そろそろ止めに入ろうとした東間の頭上、通気口の中から何かが落ちてくる。
咄嗟に横に跳んで落下してきたものを回避。
床に落ちたそれは血飛沫を撒き散らして一面を血に染める。
それは黒い服を着た人間――人間だったモノ。
抉り取られた腸、あらぬ方向に捻じ曲げられた腕、一部を失った下半身。
おおよそ人間らしい殺され方をしていない、無残な死体を直視することになった理香と東間は吐き気を催し、隅の方で嘔吐する。
彼等が落ち着きを取り戻すまでの間、暇だった仁は無残な死体の懐を漁り、青色のカードキーを入手。
付着した血は死体の服で拭き取り、試しに近くの扉の傍に付けられている、何かを入れるような穴にカードキーを入れてみれば扉の鍵が解除される。
「ほう。中々悪くないものを手に入れたな。これは使えそうだ」
「あ、アンタ、平気なの? その、そんなモノを見て」
「ガキの頃に潜入した、ある組織が自分たちの開発した生物兵器の暴走で虐殺された時も結構な頻度で似たような死体が誕生していたから、もう慣れた」
「ッ、冗談に聞こえるけど、冗談じゃないんだよね」
「こんなところでこんな冗談を言えるほど、胆は据わっていない。にしてもこの殺され方、普通じゃないな。どうする、引き返すなら今の内だぞ」
「私の答えはとうに決まっているわよ。それでもアンタは私に問うの?」
「だよな。東間はどうする? 多数決の結果、二対一ということになれば力尽くで理香を連れて逃げ出すこともできるが」
「ゴメン、仁。僕も黛のことが心配だから行くよ。君の言っていることもわかるんだけど、逃げるわけにはいかないんだ」
「……やれやれ。じゃあ一つだけ条件を出す。それをお前等が呑めるって言うのなら俺も賛成してやるよ」
「条件?」
「いざという時は俺がお前等二人を全力で逃がす。その時が訪れたらお前等は俺を見捨てて逃げろ。できるか?」
「わかった」
「良し、決まりだ」
激昂する理香を押さえつけて東間が即答。
勝手に話を進めようとする男二人を怒気を孕んだ瞳で睨み、物理的に噛みつこうとする彼女を押さえ込みながら開いた扉の先に進む。
鋼鉄製の施設は物音一つしない静寂の空間。
防音対策は完全らしく、聞き耳を立てても他の部屋の様子は探れない。
尤も、ただならぬ事態が起こっていることは先の死体と全ての扉にロックが掛けられていることからも明白。
扉の先に何があるのか、実際に行ってみなければわからないのは痛いが、覚悟を決めた三人は試しに扉の一つを開けてみる。
「うっ……!」
開けた途端に出口目掛けて放出される、鼻を覆いたくなる新鮮な死臭。
壊された通気口とだらしなく横たわっている複数の死体。
銃器を持つ彼等が必死に抵抗したことはいくつもの弾痕と血とは異なる緑色の液体が証明している。
粘り気のある液体を躊躇わず手に取った彼は間近で液体を調査。
調査といっても道具はないので、できるのは観察と、観察により得られた情報を知識と照合すること。
結果、似たような成分の液体が一つ、思い浮かんだが、知識と照らし合わせたというより直感でそう感じた程度なので確証を得るにはまるで至らない。
「仁、何かわかったの?」
「何も。強いて言えばアレを思い出した」
「アレって?」
「樹冥姫」
出された名前に理香と東間の動きが止まる。
記憶に新しい大妖怪になれなかった強大な力を有する妖怪。
特筆すべきはその生命力と繁殖力。
無数の花を生み出し、獲物から養分を奪い取ることで成長する化け物。
善戦はできた――と信じたいが、最終的に大人たちの力を借り、本体は古の幻獣の糧となった植物の妖怪。
本体を古の幻獣に食い尽くされ、本体が存在しなければ花も散る運命なため、生存は絶望的。
その目で死の瞬間を見届けたモノの名を口にした仁に、緊張した面持ちの理香が問い掛ける。
「――それって本当なの? それともいつもみたいな悪ふざけの冗談?」
「思い出した程度で確証は持っていない。詳しく調べてみないと何とも言えない」
「でも、アンタが樹冥姫のことを思い出したってことは、その液体と無関係ってことはないんじゃないの?」
「わからん。ここにちょうどいい設備があれば調べられるんだが。誰かさんに気絶させられて強制連行されたせいで、十分な準備はできなかったからな」
「うぐぅっ! い、痛いところを突くわね」
「こんな発言で痛みを感じるようなことをする奴が悪い。あーあ、前もってちゃんと準備ができていれば黛救出の可能性も上がったんだけどなー。誰のせいで準備不足なまま、黛救出に向かわなくちゃならなくなったんだろうなー?」
「う、ううう……」
皮肉たっぷりな台詞に心を穿たれ、自責の念からよろめき壁に寄り掛かる理香の腕を何かが掴む。
掴むというよりは絡め取るといった方が正しいか。それが仁や東間の――否、人間のものではないとわかり、戦慄と警戒を露わとする彼女の体が宙に浮く。
彼女の腕を掴んだモノの正体、それは壊れた通気口から伸びている、植物の蔓を一つに纏めたような太い触手。
絡め取った獲物を通気口内に引きずり込もうとするその触手を投げ渡された銃で撃ち抜き、破壊する。
銃撃によって切断された触手は通気口内に撤退。
触手の姿が見えなくなり、音も聞こえなくなると尻餅を突いた理香の全身から汗が噴き出し、止まっていた呼吸が再び行われる。
「――ハァ、ハァ。い、今のって、もしかして」
「油断していたな。犯人は犯行現場に戻ってくる、か。まさか獲物を殺し尽くした場所に再び姿を現すなんて。それとも新たな獲物の匂いを嗅ぎ取ったのか?」
「新たな獲物か。やっぱり僕たちのことだよね?」
「他に獲物らしい獲物がいるのなら会ってみたいが。仮に生存者がいたとしても侵入者である俺たちの味方になってくれるはずもないが」
「そうでもないわよ。こういう緊急事態なら互いの事情は無視して一時的に手を組む展開だって珍しくないじゃない」
「またドラマの影響か? それともアニメか? 状況が状況だから発見した生存者と共闘すること自体に反対はしないが、足を掬われないように注意しないと、後ろから撃たれたり、囮として使い捨てられる危険もあるぞ」
「わかっているわよ。敵の敵は味方、ってほど単純じゃないってことでしょ。この場で信用するのはアンタたちだけにしておけば大丈夫よ。たぶんだけど」
ウインクしながらの強気な態度は自身を鼓舞するための強がりか。
汗に濡れ、素肌に付着する服を神妙な顔つきで見つめる仁の腕を掴み、現実に引き戻した東間が壊れた通気口を見つめる。
「どうした、東間。何か見つけたのか。それとよくも俺のドリーミーな時間を邪魔してくれたな。せっかく目に焼き付けようとしていたのに」
「この状況でそんなことができる君のことを素直に尊敬したくなってきたけど、それは置いておくとして仁、さっきのは樹冥姫、なのかな?」
「植物っぽい見た目ではあるが、殺し方が不自然だ。樹冥姫は接触した獲物の養分を吸収する。吸い尽くされた獲物は干物と化すが、コイツ等は干物どころか養分を吸われた様子もない。どちらかといえば食われたと表現するのが正しい。食べたというより食べ散らかしたって感じだけどな。意地汚く」
「じゃあ彼等を殺したのは樹冥姫とは関係ない植物の妖怪なの?」
「そもそも植物の妖怪に分類できるのかもわからん。コイツ等が何らかの実験で創り出した生物兵器なら妖怪に分類するわけにもいかない」
「そっか。それともう一つ、君は僕たちのことを獲物って言っていたよね?」
「気に入らなかったか? 他にもっと相応しい呼び方があるのなら聞いてやるのもやぶさかではないと俺の中に眠る中二病センスが囁いているが」
「そんなセンスには心の底から、それこそ完全無欠なまでに興味がないけど、僕が言いたいのはこの建物にいる人たち全員があの植物に獲物と認識されているのなら、ここに捕まっている彼女は――」
凍り付く仁と理香の脳裏に浮かび上がる最悪の光景。
如何に委員長といえど死者を蘇らせることはできない。
生ける屍として再利用することはできても、死んだ人間を完全な形で生き返らせるためには相応の準備と手順を踏んでの死が不可欠。
あり得ないとは言い切れない、むしろそうなっている確率の方が高いと言えてしまう事態に三人は頷き合い、一秒でも早く黛を探し出すべく部屋を飛び出した。
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