第四十五話

 早撃ちによって救出されたのは東間と理香の二人。

 怒りを覚えているからといって――怒っているからこそ制裁は自らの手で行わなければ気が済まないリューグにとって仁もまた救出対象だったのだが、想像以上に素早く地中へ連れて行かれてしまった彼を通常の弾丸で救出するのは不可能。

 穴の中を突き進む仁はモグラやミミズの気分を味わいながら日の光の届かない地中奥深くへ引きずり込まれ、広い空間に出た次の瞬間に放り投げられる。

 二、三度地面を転がって土壁に背中をぶつけたことでようやく止まった彼の手に付着する緑色の何か。

 植物の蔓か何かだと考えたのは最初の一瞬のみ。

 それが植物ではない、腐食性を有した物体だと判断を下したのは左掌が腐敗し、嫌な音を立てて溶け始めたから。

 腐敗の侵食は目に見えて進み、全身が侵食されるのも時間の問題。

「チッ。酸素が少ない地中でこういうことはあんまりやりたくなかったんだが」

 無事な右手を懐に忍ばせ、油とライターを取り出すと躊躇なく左手を燃やす。

 焼け焦げる左手は付着した腐食物質を焼き尽くし、侵食が収まった頃を見計らって左手で土壁を貫き、密閉空間を作り上げて鎮火させる。

「凄え痛え。なんでこんな無茶をしなくちゃならないのかって誰でもいいから八つ当たりしたくなるくらい痛い。ってなわけでこの状況を作り上げた犯人さん、何処に潜んでいるのか知らないが、かくれんぼを楽しむような年頃じゃないんだろう?」

 問いは虚しく地下空間に響き渡り、犯人からの反応はない。

 ただ、彼の左腕を腐食させた緑色の物質は段々と地下空間に広がっていき、地面を腐らせながら仁の周囲を包囲する。

「おいおい。だんまりな上にセコい手を使うな。俺と直接、殺り合う勇気がないからこんなしょうもない手で来るとか、種族として恥晒しもいいところだぞ?」

 挑発に乗ってくる気配は無く、無駄口を叩いている間にも腐食物質の侵食は進み、時間の経過に伴って逃げ場が失われ、追い詰められていく。

 現状打破の方法は無い。燃やせることは判明しているものの、下手に火を使えば今度こそ酸素が尽きて窒息死する可能性が高く、引きずり込まれた際にできた穴から上に逃げ出そうにも既に腐食物質が開いた穴を覆い尽している。

 腐食されながら脱出するのはまず不可能。特に頭や心臓に腐食物質が入り込めば数秒保たずに死を迎えることは想像に難くない。

 万事休すな状況。諦めようとした仁は右腕に違和感を覚え、まさかと思い右腕を適当に弄ってみれば掌に穴が開き、白いガスが噴出される。

「ッ、アホ師匠、俺の右腕に何を仕込みやがっ」

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」

 驚きの声は悲鳴にかき消され、大地に擬態していた植物の化け物の全身が塵となって砕けて散り、同時に地下空間を覆っていた腐食物質も命を失ったように色褪せ、大地に溶け込むように跡形もなく消えてなくなる。

 腐食物質も植物の化け物も消え、地下空間に取り残された仁は危機を脱せたことに安堵しつつ、右腕から噴き出ているガスの臭いを嗅いでみるものの、無臭性なのか臭いと呼べるものはなく、嗅いだことで気分が悪くなるようなこともない。

「……人体には害のない除草剤の一種か? また変なものを仕込んでくれたな。で、そのおかげで助かったってことは保険医の奴、何か知っているな」

 このような事態に陥るとわかっていたので仕込んだとは考え難いが、植物に関連した化け物と遭遇することは想定しており、だからこそ除草剤を埋め込んでいたという可能性は大いにあり得る。

 最低でも彼等が掴んでいない情報を持っていることは確実。

 腐敗した土を靴底で踏み締め、腐食物質の危険がないことを確かめた彼は地上まで繋がっているはずの穴を見上げる。

「ここから出られるんだろうけど、問題はどうやって出るか、か」

 通って来た穴をそのまま戻れば確かに地上へ出られるが、地面を掘る練習をしておらず、道具も持っていない彼が闇雲に穴を掘ったところで地上に出るまでに力尽きてしまうか、空気がなくなって窒息死するかのどちらか。

 僅かでも見込みがあるのなら試してみる価値がある。逆に僅かな見込みさえ存在しないのなら試す価値は皆無。

 今回は後者。腐食物質に腐らされる心配は無くなったが、彼だけで窮地を脱することが不可能なのに変わりはない。

「あー、どうするかなー、流石にこの死に方は想像していなかったぞ。想像力が足りないと言われてしまうと何も言い返せないが、こんな場面を妄想する奴の方がどうかしてるし。なんて無駄にしゃべっていると酸素が減るな。まあ十秒や二十秒、死期が伸びたからって救いは無いけど」

『だからといって諦めるのはマスターらしくありません。マスターはいつものように太々しく、最期まで生き汚さを発揮されるべきです』

「誰が生き汚い――って、おっ?」

 地響きが轟く中、上の土に新たな穴を開けて馳せ参じるアストロゲンクン一号。

 新しく作られた穴の影響で地下空間が音を立てて崩れ始め、仁が何か発言する前に彼を担いで空を飛び、右手のドリルで土を掘り進んで地下からの脱出を果たす。

 久しぶりに――地下に連れ込まれてから十分も経っていないのだが――見る太陽の眩しさに目を瞑りながら生を実感し、思い切り深呼吸。

 腐臭漂う地下の空気とはまるで違う新鮮な空気が肺を満たし、気分が高揚した仁は一号から離れて腕を天に伸ばす。

「うーん。空気が美味い! 今日はいい日だと実感できるぞ!」

『ご無事で何よりです、マスター』

「うむうむ。迎え、大義であったぞ、一号。後で褒美を取らす」

『もったいなきお言葉。しかしマスター、私に欲しい物などありません。マスターがご無事でしたら他に何も要りません』

「そういうことを言うものではない。忠節には褒美をもたらすべきと古今東西の貴族様たちもおっしゃられている。むしろ受け取らない方が忠節に背くというもの」

『ではマスター、もう少しでいいので危機感をお持ちください。あと、常日頃からしっかりとされて、無駄な変態行為を慎んで頂けると』

「褒美の件は無しということで。それにしてもよく俺の危機がわかったな。実は毎日毎日こっそりとストーキングしていましたとか言われても、ドン引きするけど受け入れる度量を見せねば」

『失敬な。そこまで暇ではありません。私は連絡を受けて飛んできただけです』

「連絡?」

「俺が呼んだ」

 振り返りざまに繰り出される回し蹴りを片手で受け止め、近くの木に投げ飛ばされるも空中で体勢を整え、木を蹴って飛び蹴りを放つ。

 不意打ち返しをいなしての急襲にリューグは顔色を変えず、再び足を手で掴むと今度は投げずに地面へ叩きつける。

「グフッ! や、やるではなイカ、リューグ。成長したな!」

「お前の行動パターンは把握済みだ。東間と理香は念のため、保健室へ連れて行った。事が事だから保険医も真面目に診察するだろう」

「その言い方、お前も保険医から何か聞かされているのか?」

「詳しいことは何も。ただ、煙草を買いに行かされた帰り道で偶然、植物みたいな触手に襲われている一家を発見してな」

「保険医のパシリになったのか、お前」

「五月蠅い。で、見過ごすわけにもいかないから助けたんだが、どうにも養分を吸い取られたらしく半ば干乾びて危険な状態に陥っていた。救急車を呼んでも間に合いそうになかったから保険医に治療を頼んだんだが、やけに真面目な表情で治療に当たり、最終的に一命を取り留めた」

「ほう? 保険医が真面目に治療を。それは確かに珍しい。まさに珍事だ」

「俺もそう思ったんだが、問い質す前にこの騒動だ。様子を見に来てみればお前が俺の名を叫んでいる場面に出くわして、で、お前だけ引きずり込まれたと」

「うむうむ納得。地下で人型っぽく見えなくもない変な植物と遭遇したことだし、覗きの一件の犯人もアレだってことでOK?」

「知らん。だが他に犯人の目星も付いていないようだから、その結論で終わらせていいんじゃないのか? 仮に真犯人がいたとして、また同じことをやったなら今度こそ捕まえて拷問にでも掛ければいい」

「それは自白と捉えてOKなのですかな?」

「お前が犯人だったということにしてやろうか」

「嫌です。そんなわけで俺も保険医のところに連れて行ってください。お願いします。この通りです」

「この通りって、俺にはお前が無様に倒れながらふんぞり返っているようにしか見えないんだが」

「その通りだが」

「……まあいい。引きずりながら連れて行ってやる」

「ナマ言ってスンマセン。立ち上がりますから引きずるのは勘弁してください」

「やれやれ」

 足を離され、自由になった仁が仕掛ける前に先手を取られて腕の動きを抑え込まれてしまったのでこれ以上、彼と遊ぶのは断念。

 意外と強く打ち付けられてしまった背中を擦ろうと手を伸ばしながら保健室に赴き、勝手知ったる我が家のように扉を乱暴に開ける。

「ウイーッス。来たぜー」

「仁!」

「良かった。無事だったんだ」

「まあ仕込みもしていたから、心配などしていなかったがな」

「フン? その割にはいつもより煙草を吸う量が増えていたように見えたが?」

「気のせいだよ、女狐」

 姿を見せた仁に向けられる四者の反応。

 胸を撫で下ろす幼馴染み二人と灰皿を吸い殻で埋め尽くしている保険医、そして普段は校長室に引き篭もっているはずの校長に仁が眉を顰める。

「BBAが保健室にいるなんて珍しいな。何処か怪我でもしたのか?」

「軽傷なら自分で何とかする。仮に重傷を負っていたとしても、この女に治療を頼むことなどない。他のことを頼むことはあるかもしれんが」

「フムフーム。つまりその他のことを頼みに保健室に来たわけか。東間と理香は何か知っているのか?」

「ううん。私たちがここでアンタを待っている間に校長先生が来て」

「で、校長先生が朝礼の時みたいに長々と無駄な演説を始めようとした矢先に君が入って来たから、まだ何も聞いてないよ」

「無駄な演説とは失敬だな。まっ、私を含めた世の大半の長話など真面目に聞いている者の方が少ないんだろうが」

 キセルを咥えたまま口から煙を吐き出し、保険医の煙草の煙を混ざり合って未喫煙者には少し刺激が強い臭いが生まれ、東間と理香が鼻を抓む。

 一方で煙に慣れている仁は平然としていたが、自身の煙草の臭いを侵食されたと感じたのか、保険医が鬱陶しそうに校長の吐く煙を払い除けようとして、彼女の反応を愉しむように更なる煙を吐き出す。

「……それは宣戦布告のつもりか? 受けて立ってやろうか」

「そんなつもりはないし、そう怒るな。ただでさえ、弟子の心配をしてストレスが溜まっていたんだろう? それとも息子の心配と言った方が正しいか?」

「コレを息子だと思ったことは一度もない」

「ソレを母親だと思ったことは一度もない」

「おやおや。息は合っているのに険悪な」

 面白い玩具を見つけた意地の悪い子供の笑顔を浮かべる校長に保険医は煙を払うのをやめ、代わりに自身の吐き出す煙を彼女の顔に浴びせる。

 キセルの煙を気に入っている彼女への露骨な挑発。

 機嫌が良いので乗るようなことはなかったが、からかい過ぎたことは反省したのか、数度咳払いをして本題へ入る。

「まあなんだ、素直に無事で良かったぞ、仁。続けざまに奴の眷属に襲われたのは災難だったとしか言いようがない」

「奴?」

「校長先生、それってどういうことですか?」

「眷属ということはあの植物の妖怪には主が存在するんですか?」

 生徒三名からの質問に不敵な笑顔で紫煙を吐く校長は自身の尻尾を撫でながらそれ以上何も言おうとはしない。

 何を尋ねようと答える気は無いと態度で示す彼女に問い詰めても無駄と判断したのか、仁は校長を無視して保険医へ詰め寄るが、彼女は彼女で煙草を吹かすのみ。

「おいおい、襲われた当事者たちに何の情報も与えないのはフェアじゃないな。あんまりふざけた態度を取るなら教育委員会に泣きつくぞ! それもかなり盛大に!」

「偉そうに情けないことを言うな、馬鹿弟子」

「ただ、それは少し困るな。面倒事はなるべく避けたい。いいだろう。話せることは限られているが、答えられる問いには答えよう」

 煙草盆の灰吹きのふちを軽く叩いて灰を落とし、新たな刻み煙草を詰め込んで点火させては煙を吐きながら満面の笑みで生徒たちからの質問を待つ。

 急な心変わりにそれほど校長と接する機会のない東間と理香は戸惑い、何を聞くべきか困惑するも、慣れからか最初から質問される気満々であったことを見抜いていた仁は遠慮なく聞きたいことを片端から尋ねた。

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