第四十話

 病院で診察と治療を受け、一号と共に帰宅しようとした仁だったが、片腕がない状態で実妹が待つ家に帰るのは危険と判断。

 最悪、命懸けの死闘に発展しかねないことを考慮して帰宅は後回しにして腕を治すためにある家へ電話を掛ける。

『もしもし?』

 数回の呼び出し音の後に聞こえてくる少女の声。

 聞き慣れた彼女の声に笑みを零しながら簡潔に用件を伝えるべく口を開く。

「ああ、アカエリオンちゃん。ちょっといいか」

『仁さん、どうかされましたか? メンテナンスまでまだ日がありますが』

「そうじゃない。実は少し厄介な天災に巻き込まれてな。右腕がなくなった」

『――成る程。すぐに準備しますから、少しだけ時間をください』

「そんなに急がなくていいぞ。病院での治療は済ませたから、後は新しく腕を生やせばそれで終わり――」

『失礼します、仁さん』

 やや一方的に通話を切られ、珍しく焦っているような声音に違和感を覚える主へ一号が蔑むような眼差しと共に肩をすくめるが気付かず。

 日が傾き始めている中、夜が訪れる前に彼女の家に到着すべく寄り道せずに真っ直ぐ走り出す。

『マスター、乗り物は使用されないのですか?』

「バイクを取りにいちいち家に戻るのも面倒だからな。最悪、アカエリオンちゃんの家で一夜を過ごすのも有りだし」

『健全な男女が一つ屋根の下で過ごされるのは些か問題では?』

「間違いが起きるって? そりゃ二人きりならもしかするとって感じだが、お前やアイツがいるなら間違いなんて起きたりしない」

『……それもそうですね』

 失望を多分に含んだため息。

 まるで間違いを起こして欲しいと言わんばかりの態度にお仕置きの蹴りを入れ、横倒しにしてから再度道路を駆け抜けて到着したのは十数分後。

 全力で走らなかったが片腕がないことで重心のバランスを崩してしまったのか、次光たちを追い駆けていた時以上の疲労感に苛まれ、呼吸を乱しながら呼び鈴を鳴らそうと腕を伸ばしてから一旦後方に下がる。

 刹那に落ちてきたのは地球外生命体としか形容できない異形の生物。

 成人男性を超える身の丈と前後に細長い形の頭、黒い光沢のある外殻、五指の先端の爪は鋭く研ぎ澄まされ、鞭のようにしなる長い尾の先の針は非常に鋭利。

 目や耳に該当する部分は存在していないが、何らかの方法で周囲の情報を知覚しているらしく、仁と一号を明確に餌と認識している。

 怖気の走る凶悪な化け物。大抵の人間ならそのような第一印象を抱く生命体に仁はフレンドリーに手を振る。

「よお、ヘプタゴン君。久しぶりだな」

『マスター、アレはヘプタゴン君ではなく、ペンタゴン君です』

「あれ? そうだったっけ?」

『はい。ヘプタゴン君には頭部に斬られた痕が残っております。それが無い以上、外見は似ていてもアレはペンタゴン君です』

「けど屋根の上から俺たちを観察している奴も頭に傷なんてないぞ」

『…………』

 確認のために視線を屋根に移し、仁の言葉通り地上に降りてきた生物と同じ外見の生物が唾液を滴らせながら二人を観察している。

 その頭部に傷跡などなく、地上の生物と外見で見分けることは不可能。

 どちらがヘプタゴン君でどちらがペンタゴン君なのか、わからなくなってしまった一号は自然な動作で頭を抱え、一連のやり取りを忘却し、快活な声を発する。

『さあ、マスター。立ちはだかる敵を蹴散らし、早くアカエリオンちゃん様の家の中へ入りましょう!』

「つっても、アイツ等は源さんのペットだからな。俺たちの独断で仕留めるわけにはいかないだろう」

『邪魔をしているのは彼等の方です。どうやら腹を空かせているようですが、まったく、餌やりをサボるなんて、我が妹ながら情けない限りです』

『失礼な。餌やりを忘れてなどいません。ただ、餌やりの前に買い物へ行っていただけです』

 新たな声の主は彼等の背後。

 地面に置かれた巨大なペット用の皿の中に本日のご飯が入れられ、二体の化け物は飼い犬の如く餌に食いつき、食欲を満たす。

 ご飯に夢中になったことで無害となった地球外生命体たちより離れ、仁たちの前に移動したのは一号とほぼ同じ姿の機械。

 外見で異なる点を敢えて挙げるとすれば、一号が使っている物とは違うエプロンを装着していること。

「弐号改、買い物ご苦労様」

『マスター。お話は事前に聞いておりましたが、本当に片腕を失われていたのですか。何をしたのかは存じませんが、もう少しご自身のお体を大切にされた方が良いですよ。マスターに何かあってはアカエリオンちゃん様が悲しまれます』

『今回の件に関してはマスターに非は――まったく無いとは申しませんが、どちらかといえば災害に巻き込まれてしまった感が強いですので、そのようにマスターを責めるものではありません』

『責めているつもりはありません。私は事実を述べているだけです。大体、マスターが片腕を失われるなどという、大変な事態に遭遇されている中で一号は何をされていたのですか?』

『私は四六時中、マスターと一緒にいるわけではありません。マスターの呼び出しがなければ家事を行うのに忙しいのです』

『それは単なる言い訳に過ぎません。まったく、我が兄ながら見苦しい言い訳です。いくら試作機とはいえもう少し成長の片鱗くらいは見せて頂けませんか?』

『……私より性能が劣るダメな妹が、言ってくれます』

『私たちの間に性能差などありません。そんなことも忘れてしまったとは、マスター、一号のメンテナンスはキチンと行っているのですか?』

『性能差がない? それは貴女の向上心がないだけでしょう。私たちは完成品ですが同時に試作機。完全とは程遠く、だからこそ成長の余地がある』

『そのようなことは私も知っています。私が言っているのは基本性能のことです。如何に内面が成長しようと、如何に経験を積もうと基本性能に変化が生じることなどあり得ません。大体、一号は成長していないどころか、以前よりも劣化しているように思えますが』

『……あまり暴言が過ぎますと、妹といえども容赦致しかねます』

『容赦? 容赦などしている余裕があるとお思いですか? 私たちの戦いにマスターが介入することはまずありません。そうですよね、マスター?』

「えっ? あっ、うん」

『そしてこちらには餌に夢中になっているペンタゴン君とヘプタゴン君がいます。彼等を餌付けしている私の方が断然有利』

『数の上では負けているかもしれません。ですがその程度のハンデでは覆らない力の差というものを兄として貴女に教えてあげます』

『ですから性能差などないと何度言えば理解できるのですか。本格的に壊れてしまわれたのですか?』

 同じ姿の機械、兄妹機として開発された二機の間を漂う一触即発な空気。

 開発者の仁はどちらの作品の味方をすることもできず、けれどこのまま二機を争わせるわけにもいかないと割って入ろうとする寸前で玄関の扉が開く。

 その音を合図に駆け出すのはアストロゲンクン弐号改。

 不意の突進に多少驚きつつ、迎撃体勢に移行する一号の横を凄まじい勢いで駆け抜け、開かれた玄関の中に突入。

 数秒して玄関の奥より姿を現すのは車椅子の少女。

 フランス人形が着ているような純白のドレスを纏うその少女は作り物めいた美しさや可憐さを持つと同時、ドレスから露出している手や足、顔などには無数の継ぎ接ぎの痕跡が残されている。

 比喩ではなく痛々しい様相の少女が仁に向けるのは微笑み。

 優しい笑顔は歓迎の印。軽く手を振りながら彼女の前に移動する仁の両肩を掴み、持ち上げては少女の背後に立たせるアストロゲンクン弐号改。

「……おい、弐号改?」

『マスター。アカエリオンちゃん様の車椅子をお押しください。というかそれくらい私に言われなくとも実行するのがマスターの務めです。いえ、義務です』

「それくらいなら言われずともやるつもりだったんだが」

『行動が遅いです、マスター。本来ならアカエリオンちゃん様が姿を現す前に中へ入り、後ろからだーれだ、と目を両手で塞ぎながら甘くて優しい声で問い掛けなければならないのですよ』

「どうして俺がそんなことをしなくちゃならないんだ?」

『口答えなど聞く気はありません。一号、なんですか、マスターのこの体たらくは。貴方が付いていながら情けない』

『……それに関しましては返す言葉がございません』

「返せよ。なんでもいいから返せよ、一号」

『まったく。成長などと口にしていながらマスターを導くこともできないとは。大体マスターもマスターです。もっと定期的に、休み時間のたびにこの家を訪れて三十分から一時間ほどまったりした時間を過ごすべきではありませんか?』

「そんなことをしたら教師陣を敵に回すことになりかねない。ある程度は大丈夫だが、本気でキレたリューグはこの上なく厄介だから、定期的にガス抜きさせないと俺の命が危ういんだぞ」

「弐号改、あまり仁さんに無理を言ってはいけません。それに今は仁さんの腕を治すことが先決です。仁さん、地下の施設の準備は既に済ませてありますから、いつでも使えますよ」

「さんきゅ。と、素直にお礼を言いたいところなんだがアカエリオンちゃん、地下室から不穏な気配を感じるのは俺の気のせいなのでしょうか?」

「ああ、そのことですか。隠してもすぐにバレるでしょうから、今の内に言っておきます。実は仁さんが来られる五分くらい前に保険医さんがやって来て、地下の施設で仁さんを待っているんです」

「なんで?」

「仁さんの腕を治すため、と言っていました。真偽のほどはわかりかねますが、保険医さんにもお世話になっていますので通しましたが、ダメ、だったでしょうか?」

「いや。まあ意図的に避けていたとはいえ、いつかは知られることだし、生物系はあっちの方が俺より遥かに上だから、頼った方が腕を治せる可能性があがる」

 面倒事が増える可能性も上がるがな。と、口から出かかった言葉を呑み込み、左手でアカエリオンちゃんの頭を撫でてから車椅子を押して居間に移動。

 あらかじめ用意されていた紅茶を飲んでリラックス後、左手で頬を叩いて気合を入れてから階段を下りていく。

 慣れ親しんだ地下への階段。唯一、普段の地下室には存在しない余計な異分子の気配を気に掛けているものの、歩みは止めずに施設の扉を開ける。

 見慣れた機械に見慣れた装置、見慣れた台に見慣れた人物。

 精密機器が多いことを考慮してか、煙草は吹かしていないが、煙草を吸えないことでニコチン不足になったのか、不機嫌そうな仏頂面で仁を迎え入れる。

「よく来たな、馬鹿弟子。歓迎するぞ」

「どうしてここにいる、アホ師匠。お前は死んだはずだ!」

「なんだ。勝手に殺すなと言って欲しいのか? 大体、私が死ぬような出来事は何も起きていなかったはずだが」

「いやー、お前って結構小悪党感があるから、気付いた時には巨人に食われて死んでいたとかそういうオチがあってもいいじゃん?」

「外では未だ巨人騒ぎが続いているようだが、まあ放っておいても政府の連中に殲滅されて終わりだろう。そもそもあんな不出来な生物兵器で私の知っている弟子が満足するとは思えん。お前と同じでな」

 呆れと嘲笑交じりの苦笑を漏らしつつ、台の上に仁を座らせて傷口を確認。

 細胞を一切傷付けていない滑らかな切り口は国宝級の業物を真の達人が振るったことで生まれる斬撃痕に酷似しており、人間ではどれほど技を極めようと素手でここまで綺麗な傷を作ることはできない。

 改めて古の幻獣の凄まじさに戦慄を、そしてそのような生物と遭遇して腕を一本奪われた程度で済んだ弟子の不幸と悪運の強さに鼻を鳴らす。

「やれやれ。お前はどういう運の持ち主なんだ?」

「知らんがな。いずれにしても幸運ということはないだろうな。幸運な奴はあんな天災と何度も遭遇したりしないし」

「そうだが、そんな天災と何度も遭遇して生き残るお前は強運かもしれんぞ」

「こんな強運は欲しくなかったなー。で、さっきの話の続きだが、満足するような生物兵器ってどんな兵器?」

「超生物の類いだろう。巨人はそれを開発するためのただの試作品。どうやら理性もなく食欲で動いている上に単身で敵陣に放り込んだところでたいした戦果をあげられず、二、三人くらい敵を殺したところで殺されるのがオチだ」

「それはちょっと過小評価し過ぎじゃないのか? 巨大生物は大きさに見合ったタフさを有していることが多い。それに一体じゃ簡単に殺されるとしても複数体、投入すればそれなりに役立つぞ」

「そこでも理性がないというのが最大の欠点となる。兵器である以上、ある程度の制御が利かなければ役に立たん。あんなでかいだけの役立たずを作るくらいなら拳銃を三丁ほど作った方が有効だ」

「……いやに辛辣だな。そのお弟子さんとの間に何かあったのか?」

「別に何も。ただ、弟子には苦労させられるとつくづく実感しているだけだ」

 切断面は確かに綺麗。しかし接合するならともかく、一から生やすことは困難。

 尤も、困難なだけで時間を掛ければ確実に治せる自信と確信は持っている――けれども不遜な態度で座している弟子を見つめて悪戯心が芽生えてしまったのは彼に対する少々歪な愛情の表れなのか。

 保険医の目が一瞬だけ細まった刹那、経験則よりその場から飛び退く。

 が、しかし同じく経験則によって仁の動きを完全に読み切った保険医は待っている間に仕掛けていた特性の粘着液の入った袋を爆散させ、目暗ましに利用した直後に本命の粘着液を彼に浴びせて身動きを封じる。

 台の上から動けなくなってしまった彼を例えるならまな板の鯉か。

 動けなくなってなお瞳に輝きを失わせず、反骨の意思を見せている愛弟子に、師は両手の指を蠢かせ、狂気を宿した瞳や微かな愛情を感じさせる微笑みと共に恐ろしくゆっくりと腕を伸ばした。

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