第一話

 靴箱で靴を脱ぎ、上履きに履き替えた三人の少年少女は二階にある自分たちの教室を目指して移動開始。

 その内の一人が何の意味もなくカサカサと廊下を這い始めたため、紅一点である女子が遠慮容赦なくその背中を踏みつける。

 いつもと変わらぬ朝の光景にすれ違う他の生徒たちは苦笑を漏らしながらも無視して各々の目的地へ足を運び、残りの一人は半ば他人事のように二人を置き去りに自分一人で教室へ向かう――

「……朝から何をやっているんだ、お前等は」

「あっ、リューグ先生、おはようございます」

「おはようございます、リューグ先生」

「ちーっす。相変わらず不景気な顔をしているなー」

「余計なお世話だ。というか朝から床に這い蹲って幼馴染みの女に踏みつけられているバカに不景気云々言われたくない。あと、おはよう」

「バカだなー、リューグは。俺は好んで踏まれているんだ。つまりこれこそ俺の理香に対する愛情表現!」

「だ、そうだが?」

「バカのバカな発言は無視してください、先生」

「それより先生、そろそろご自身のクラスに向かわなくていいんですか?」

「んっ? ああ、うちのクラスは優秀な生徒が多いからな。伊達や酔狂でAクラスなどと呼ばれていないといったところか」

「ちなみに俺たちのクラスはCクラスだぜ。最底辺というより問題児を集めまくったクラスと言った感じなんだぜ」

「仁、誰に向かって言っているの?」

「気にしちゃいけないんだぜ。俺は時々、毒電波を拾うんだぜ。実は俺の両親は人間じゃないとか、父親に至っては元魔王だとか、そういう電波を拾うこともある」

「取り敢えず、このバカが人間を超えたバカだということだけはわかった」

「すみません、先生」

「なお、無頼漢的な奴等が多いCクラスには問題があるだけで性能はAクラスに匹敵するどころか凌駕している面もあるため、中にはライバル視する奴もいたりする」

「だから誰に向かって言っているの?」

「強いて言えば天に向かって唾を吐いているんですよ、東間君」

「なんでもいいが、予鈴が鳴る前に自分たちの教室に行けよ。担任の貞娘先生に迷惑を掛けるわけにもいかないだろうからな」

「ハーイ」

「先生、それじゃあまた」

「せいぜい気張るがいい」

「はいはい。威張るような態度を取るのは構わないが、せめて立ち上がってから威張った方がいいぞ」

 呆れて肩をすくめながらAクラスの教室に移動するリューグ先生の背中を見送った三人は未だカサカサと黒光りするGが如く這い回ろうとするバカの首を掴み、力で引きずりながらCクラスの教室の扉を開ける。

 新たなるクラスメイトの到着に視線が集まったのはほんの一瞬。

 すぐさま自分たちのおしゃべりに戻り、三人もまた自分たちの席に座る。

「フハハハハハ! 皆の者、王子の帰還であるぞ!」

「ああ、まだ魔王云々って話、続いていたんだ」

「首でも叩けば元に戻るかしら?」

「うーん。首はあんまりお勧めできないかな。この前もちょっと強めに叩き過ぎちゃって、保健室に行く羽目になっちゃったし」

「あー、あの時は大変だったわね。養護教諭こと保険医が気絶した生徒たちで人体実験を行おうとしている真っ最中だったんだっけ」

「というか学校側に気付かれずにあそこまで準備を進めていたことに我が師ながら驚いたぞ、俺は」

「あっ、元に戻った」

「そういえばアンタが保険医の弟子になってからどれくらい経ったんだっけ?」

「十三、四年くらいだな。技術を仕込まれたのは良いんだが、いちいち人体実験を行おうとするのは止めるのが面倒だからやめて欲しい」

「逆に君くらいなものだけどね。子供たちの中で暴力に訴えることなく保険医の暴走を止められるのって」

「頼られても困る。後が面倒だし、拗ねられると家事が面倒臭くなる」

「といっても今はアンタ自身が家事をしているわけじゃないでしょ」

「まあなー。魔境でも中々の頭脳を誇る俺様にできないことはない!」

「超技術を用いた未来機械か、取扱いに困る微妙な物しか創らないくせに」

「だって気分次第なんだもん。科学者はフィーリングが大切なんだもん!」

「ちゃんと狂を付けなくちゃダメだよ。っと、そろそろ先生が来るかな?」

 鳴り響く予鈴の音と、東間の言葉を肯定するかのように扉が開き、全身を真っ白い布で包んだ腰まで伸びる長い黒髪の女性が出席簿を片手に教室内へ入ってくる。

「……皆さん、おはようございます」

『おはようございまーす』

「……本日もとても元気ですね。先生はとても嬉しいです」

 長い黒髪に隠され、表情が窺えないものの、その声には確かな喜びがあることをクラス中の生徒たちが認識する。

 最初の頃は微妙な違いに気付けないが、慣れればその程度のことはわかるようになる。むしろわからない者は強制的にわかるようになるしかないのだが、そのことを口に出す者はおらず、貞娘先生も気に留めることなく出欠を取り始める。

 そうして始まるホームルームと授業。何事もなく時間が過ぎ、昼休みへ。

「ふいー、今日も疲れたぜー」

「前にこの程度の授業、欠伸が出るとか言ってなかったっけ?」

「やめろ、東間。無駄だ。この男に常識など通じない」

「失礼だぞ、次光君。俺は常識というものを理解し、弁えている。その上で電波を受信したり、無意味に暴走を繰り返しているのだ」

「阿呆。相手。無駄」

「堂々と相手を阿呆呼ばわりするのはどうかと思うぞ、神凪君。ちなみに次光君はカラス天狗で神凪君は河童だったりする」

「今更。説明。意味。不明」

「我々の種族のことなど何故説明する」

「いやー、なんとなく説明しないといけない気がして。ほら、二人とも種族はともかく容姿は割と人間に近いじゃん」

「それがどうした?」

「いや、どうしたって訊かれると返答に困るんだけど。まあそんなことはどうでもいいとして、お昼ご飯にしましょう、そうしましょう」

「胡瓜。巻物。美味」

「今日も河童巻きなんだ。きゅうりが好きなのは知っているけど、たまには他の野菜も食べた方が良いよ」

「野菜。苦手。牛肉。美味」

「きゅうりと牛肉って何の関係があるのかな?」

「嗜好は人それぞれ。ツッコむだけ野暮というものだぞ、東間」

「仁に賛成だ。神凪が何を食べようと私たちには関係あるまい。私たちも私たちで昼食を済ませないと、お昼休みが終わってしまうぞ」

「今日もワンダフルなお昼だったぜぇ」

「犬がなんか言っている」

「いつものことだろう。放っておけ」

「ちなみにあの犬は北海道犬だぞ。うちのクラスには他に柴犬もいる」

「だから誰に向かって言っているんだ。まったく。お前の相手をしていると弁当を食べる時間がなくなってしまいそうだ」

「とかなんとか言いながらちゃっかり弁当箱を広げて食べている次光君でした。そして俺もまたお昼ご飯、お昼ご飯」

 鞄の中から取り出したるは如何にも男子高校生らしいシンプルな弁当箱。

 開けた中身もシンプルであり、おにぎりと唐揚げ、プチトマトと漬物のきゅうりが入っているだけというもの。

「胡瓜」

「自分の物があるんだから、反応するなよ、神凪君」

「本当に神凪君はきゅうりが好きだね」

「で、東間はパンか。今日は後輩の女子たちからの弁当の差し入れはないのか?」

「うーん。それが朝から結構な揉め事を起こしたみたいで。全部保険医の実験材料として没収されちゃったみたい」

「こういう時の処分場としては便利だよな、保健室」

「食べ物を粗末にするのは感心しないがな。そもそも保険医はちゃんと食事を取っているのか? 保険医のことだから、適当に済ませている気がしてならない」

「そりゃまあ、三度の飯より研究が好きなお師匠様だからなー。研究というか人体実験が好みな感じもするけどー」

 おにぎりを齧り、プチトマトときゅうりを同時に口の中へ放り込んだ後、唐揚げを貪り尽くした彼は両手を合わせて会釈。

 蓋を閉じて布で包み込み、鞄の中に入れると椅子に背中を預けて息を吐く。

「いただきます」

「遅い、遅い。せめてご馳走様というべきだろう」

「早食い。体。悪影響」

「大丈夫だろう。健康に悪いことなら他にも山のようにやっているし、この程度で体調を崩すほど俺の体は軟じゃないさー」

「自慢できるようなことじゃない気がするよ――ッ!」

 パンを食べ終え、牛乳で咽喉の奥に流し込んだ東間が勢い余ってむせてしまったため、仁は苦笑しながら彼の背中を優しく擦る。

 その光景にクラス内の一部の女子が妄想を巡らせるも誰も気付かない――あるいは気付いていながら無視して各々の時間を過ごす。

「ねえ、理香っちさー、今日もコンビニ弁当?」

「うっ、ぜ、全部知っていながらそういう反応はどうかと思う」

「キャハハ。ゴメンゴメン」

「黛さん、冗談にも言っていい冗談と言ってはいけない冗談がありますよ」

「ゴメンってば、許して、いいんちょー」

 悪びれた様子も見せず、朗らかに笑う黛に理香は恨みがましい眼差しを向けていたが、すぐに彼女に非はないと視線を下げて冷えたコンビニ弁当を口へ運ぶ。

 お世辞にも美味しいとは言えない味。が、今朝、張り切って弁当を作ろうとした結果、未知の生命体を生み出すこととなってしまった彼女の料理(?)と比較すれば十人中十人がコンビニ弁当の方が遥かに美味しいと断言するであろうことが容易に想像できてしまうため、彼女にできることは口惜しそうに唸ることのみ。

 そんな彼女を気遣うように委員長こと黒澤は聖母の如き微笑みを浮かべながら理香の体を優しく包み込む。

「気にすることはありませんよ、理香さん。失敗は誰にでもあるものですから」

「うう、委員長。慰めてくれるのはありがたいんだけど、その大きく成長した物を押し付けられると同じ女として自信を喪失しちゃう」

「理香っちに女としての自信なんてあったのー? そりゃー、腰回りとかは割と嫉妬するレベルだけどー、胸はねー」

「黛さん、人の身体的特徴を悪し様に言ってはいけません。黛さんだって化粧を落とせばその下にある顔は――」

「ギャアアアアアアアアアアアアア! い、委員長! それ以上はダメ! っていうか、どうして委員長が知っているの!? 誰にもバラしたことないのに!?」

「ウフフフフフ」

「なにその意味深な微笑み!? り、理香っち、理香っちは何も知らないよね!?」

「やっぱりあの時入れた黒コショウがダメだったのかしら。でも、ニンニクとニンジンとシイタケを入れた時に放った謎の光の方が原因っぽいかも」

 騒ぐ女子たちの声に、しかし聞き耳を立てている者はいない。

 彼女たちの声に耳を傾ければ興味深い情報を得ることができたかもしれないものの、誰も委員長たる黒澤の情報を欲しがりはしないがために。

 一部、敢えて禁忌に足を踏み入れようとする被虐嗜好の持ち主たちもいたが、そういう者たちは既に全てを終えて悟りを開いているため、今更聞き耳を立てるなどという無粋な真似をする者はいない。

「しかし俺は敢えて危機に足を踏み入れるのであった」

「死にたいの?」

「バカだバカだとは思っていたが、まさかここまでとは」

「骨。回収。地獄。旅立つ」

「フッ。これが男の生きる道」

 友人たちの温かい声援を背に受け、少年は死地へ赴く。

 理由などそこには存在しない。得た情報もすぐに忘れることになる上、仮に忘れなかったとしても彼にとって有益とはなり得ない情報しか取り扱われていない。

 それでも彼は歩を進める。それが滅びへ続く道だと理解していながら彼は己の肝を試すように一歩、また一歩とその場所へ歩いていく――

『あー、あー、二年C組のバカ。至急校長室へ来るように。繰り返す。二年C組のバカ。至急校長室へ来るように』

 響く校内放送に二年C組の生徒たちの視線が一斉にバカへと集まる。

 バカと呼ばれる生徒は一定数いるけれど、校長に呼び出されるバカは一人しかいないので、集まった視線に応えるように彼は片手をあげる。

「あー、じゃあ行って来るわ」

「手伝いが必要になったら言って欲しいな。僕もできる限り力になるから」

「仕事の内容にもよるが、まあ昨日の今日でそこまで苛烈な仕事を押し付けられることはないだろうと思うが」

「注意。一秒。怪我。一生」

「仁、気を付けてね」

「仁っちー、怪我したら治療くらいしてあげるからねー」

「仁さん、ご無理は禁物ですよ」

「ういういー」

 クラスメイトたちの声に適当な反応を返しながら教室の外へ出る。

 昼休みももうすぐ終わりのため、教室へ向かっている途中の教師に軽く頭を下げながら校長室へ足を運び、扉を開けた瞬間に彼の視界を炎が覆い尽した。

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