Ⅰ-Ⅱ
「ほら、早く行こう! 敵の数とかなら、私の方で把握できるだろうし」
「だ、大丈夫なのか?」
「もちろん!」
「……」
握り拳を作る彼女に、大きな違和を覚える。
見れば顔色もそうで、今は完全に回復しきっていた。ついさっきまで辛そうにしていたのが嘘みたい。かといって演技にも見なかった。
「なあミドリ」
「うん?」
「体調はいいのか? 馬車で移動してた時は、まだ辛そうだったけど……」
「そりゃあまだ――って、大丈夫だね? さっきより全然身体が軽いや。下からの声も、少しずつ鮮明になってるような感じ」
「それは……」
スキルをより制御できるようになった、のだろうか?
ミドリの話を聞く限り、彼女はこれまで上手く出来ていなかったように思える。だから無尽蔵に人の声を汲み取ってしまうし、魔力だって消耗し続けた。
「酔った感覚も無いのか?」
「無いよー。魔力酔い? は治ったんじゃない? 時間が立てば治るって、カッサンドラさんも言ってたし」
「いやまあ、丸一日は経たないと難しいけどな? 俺も何度かやった経験あるし」
「え、意外。ベテランの魔術師さんだと、起こりにくいんでしょ?」
「ベテランも最初は初心者だよ」
特に、最初の数カ月は苦労したものだ。
度が過ぎた魔力の消耗は魔力酔いを起こしやすい。無理やり通常の食生活に例えると、空腹だからと調子に乗って大食いし、気分を悪くする――というようなものだ。
魔力の摂取を制御するのは、ミドリが口にした通りベテラン魔術師でないと厳しい。成り立ての頃だと、勝手に流れ込んでしまう。
なので、まともに魔術が使えないミドリは、それを制御できる道理などない筈だ。少なくとも学者連中は、有り得ないと声を大にして否定するだろう。
「……相性とかあんのかな」
「魔力と、ってこと?」
「ああ。ほら、都会の空気はまずいって言う人いるだろ? アレと同じで、ミドリには外の魔力の方が合ってる……っていうか、制御しやすいのかもな」
「ふうん……まあよく分かんないけど、良かったね!」
「自分のことだろ……」
他人事みたく言うのはいかがなものか。
でもまあ、変な表現ではないかもしれない。彼女が回復して、俺は確かに喜んでいるのだから。
「じゃあ降りるか。索敵の方はよろしく頼むぞ、ベテラン魔術師さん」
「……魔術が一つも使えないベテラン魔術師って、何だか最近の小説とかに出てきそうだね!?」
「あー、ネタとしてはありかもな。どうしてベテランなのか、って設定は練らないと駄目だろうけど」
あと、既に誰かがやっていそうだ。アンブロシアではどうだか知らないが。
石畳の階段を、俺とミドリは慎重に降りていく。照明はほとんどなく、一歩踏むたびに闇の色が濃くなっていった。
階段はなかなか急な作りになっている。底が見えないこともあって、踏み外した時を想像すると足が凍りそうだ。
明るさが取り柄のミドリは、いつの間にか俺の手を掴んでいる。恋人という雰囲気ではなく、辺りの暗闇に怯えながら。
本当に妹でも出来た気分で、俺は気合を入れつつ歩いていく。
「むー」
「? どうした?」
「さっきと今、私のこと妹みたいって思ったでしょ?」
はい。
心の中で首肯すると、やはりミドリには聞えていたんだろう。ムッと頬を膨らませて、前置きをしながら見上げてくる。
「私の方が誕生日は先なんだし、普通はお姉ちゃんでしょ?」
「気にするのはそこなのか……」
「え、変? だってちょっと怖いのは事実だし、ここぞとばかりにユウ君を頼るのはおかしくないでしょ? 駄目なお姉ちゃんなのです」
「自分で言うなよ」
「あははっ」
ミドリが笑って流す頃、ちょうど階段が終わりを迎えた。
辺りは完全な暗闇で染まっている。頼りになるのはゴブリンの森と同様、魔弾による照明だ。昼時である地上には及ばないが、視界は十分に確保できる。
「……洞窟?」
魔弾の光に照らされるのは、広々とした空洞。
天井はそこまで高くない。逆に横の幅はかなり広く、教会の敷地ぐらいなら丸ごと入ってしまうだろう。トラシュスの邸宅だって同じかもしれない。
見える範囲に魔物はもちろん、人の姿も見当たらなかった。第六感に訴える何かもない。
「……ねえユウ君、なんか変な感じしない?」
「例えば?」
「人の気配っていうか、生き物の気配っていうか……あれ? 私だけ」
「まあ、俺は何も感じないな」
読心のスキルを持つ彼女だけに見える、姿なき誰か。
幽霊なんてものを想像するが、この世界では別に珍しくもない。生前、強大な魔術師だった者は霊体として生きていることもある。
彼女が感じたのもその類なんだろうか――警戒だけは怠らないようにして、俺は抵抗するミドリを引っ張って奥へ。
直後、
『あら』
「っ!?」
聞きなれない声に、ミドリは真っ青な顔で震え上がった。ああいや、青いのは魔弾に照らされてる所為か。
声の感覚からして念話だろう。ひょっとしたら近くにいるのかもしれない。
ズン、と鈍い足音が洞窟を振るわせる。
どうやら人間じゃなさそうだ。研ぎ澄まされた魔術師としての直感も、向こうが一匹の魔物であることを教えてくれる。
『珍しいわねー、お客様だなんて。主人にご用ですか?』
「――」
またもや届く、思念の会話。
魔弾の光は奥にある巨体を認めていた。翼はなく、四つの足を地面に付けている。尾にはヒレのようなものがあり、馬鹿デカイ魚でも見ているような気分だった。
「か、海竜……?」
震えた声のまま、ミドリは幽霊と思っていたモノも正体を言い当てる。
恐らくは成体、声からして雌の海竜だろう。数時間前に保護した子供の海竜・シー君よりも一回り大きい。
魔弾の光を反射する赤い瞳は、まるで宝石のようだった。
色は鮮血のように濃いものの、不思議とおぞましさを感じさせない。漲る生命力を讃えるだけの、高潔な赤色だ。
『……あら? 貴女、ウチの子と会ったことあるの?』
「へ……」
『あら失礼、勘違いだったかしら? 魔力の方に気配が残ってるものだから、てっきり……』
「あ、あの、シー君のことですか?」
いやその名前じゃ通用しないだろ。
何て思っていると、雌の海竜は大喜びで頷いていた。どういうわけなのか、あの子供は本名からしてシー君らしい。あるいはあだ名か。
海竜はゆっくりと向きを変え、さあ、と一声かけてくる。
『あの子のこと、主人がとても心配していたの。貴方達から直接話してくれるかしら?』
「はいっ、任せてください!」
快諾するミドリ。
しかし俺の方は、あまり乗り気になれなかった。別に海竜のことを疑っているわけじゃないし、面倒くさいわけでもないのだが。
彼女からはちょっと、懐かしい上に、会うのが面倒くさいヤツの気配がする。
「……あの、一つお尋ねしてもいいですか?」
『あら、何?』
お互いの間に念話は無い。使っているのは彼女だけだ。
どうやら人語を理解することが出来る魔物らしい。ドヴェルグと同じく、『王』に連なる個体が持っている能力だ。
とはいえ目の前にいる海竜は違う。独特の雰囲気がないし、海竜の王は以前戦ったことがある。ドヴェルグと同じ理由で生きているとすれば、一目見た瞬間に分かるものだ。
そう、故に嫌な予感がするというか。
「ご主人のお名前は?」
『ヒュドラよ。あら、もしかして貴方、主人の知り合い?』
「ええ、まあ……」
向こうが覚えてるかどうかは知らないが。
海竜皇帝・ヒュドラ。ドヴェルグと同じく、千年前に魔王を裏切った『王』の魔物だ。複数の首を持つ怪物で、最後に人間との同盟へ参加した魔物だった。
性格は一言で示すと頑固ジジイ。酷い時は、意に適わない仲間を食い殺すこともあったという。まさに文字通りの暴君だ。
『あらあら、主人も喜びますわ。ここ数百年、私以外の誰ともお話をしないんですもの』
「巣に引きこもってる、ってことですか?」
なんかどこかで聞いたような。
しかし、伴侶らしき海竜は遠慮なく頷いていた。相当歳いってるだろうし、まあ仕方ないんだろう、か?
『では付いてきてくださいね。直ぐにお茶を用意しますから』
「お茶……?」
いったい何を出されるのかと不安になりつつ、反転した海竜の後を追っていく。
かつて本気の殺し合いをした相手との再会は、どんなものになるのか。
期待と不安がごちゃ混ぜになる中で、穴の底へと潜っていく。
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