「腹減ったな……」


 片手にアラウネ石を握り締めながら、俺は町を歩いていた。

 邸宅を出てからに比べると、空腹はより深刻なものとなっている。何せトラシュマスの野郎、帰りの足を出してくれなかったのだ。


 提案を断ったんだから当然だろうけど、多少の苛立ちは感じてしまう。現に腹の虫は大忙しで動いているわけで。

 教会に戻るまでの道が、何となく恨めしい。


「うん?」


 その教会が正面に見えたところで、前回とは異なるものが目に入った。

 人混みである。一体何を目当てにしているのか、教会の中を覗き込もうとする人達が数十人もいた。


 ミドリに何かあったのかと脳裏に過るが、人命が関わっているような切迫感は彼らにない。空気感そのものは和やかだ。

 俺は小首を傾げてから、人の邪魔になる一歩手前の彼らへと近付いていく。


「! おい見ろよ、アイツじゃないか?」


「確かに黒髪だな……本当かよ? 領主の側近を何人もヤっちまったって」


「ああ、船にいたやつから聞いたから間違いない」


 やっぱりですか。

 彼らが噂にしているのは、どうも俺のことらしい。当時いた船員には黙っているよう頼んでおいたのだが、人の口に戸は立てられぬ、とも言う。諦めよう。


 それに、ちょっと目立つぐらいなら構わない筈だ。致命傷なのは英雄王だと世間的に発覚すること。

教会にあった木像を見る限り、俺と魔王討伐の英雄を一致して見るわけがない。あちらは筋肉隆々の逞しい青年だが、こっちは細身の子供でしかないんだから。


「……」


人々の注目を受けながら、俺はどうにか教会内へと入ることに成功した。

訪れている数名の参拝客も、チラチラと横目を向けてくる。決して気分のいいものではないが、反論したって逆効果なので我慢しよう。


「っ、ユウ君!」


「お?」


 右手の信徒席に座っている少女が、飛び跳ねるように立ち上がった。そこから先は弾丸よろしく一直線に走ってくる。


 そのまま抱きついたりはせず、心配のあまり今にも泣きそうな瞳が見上げてきた。


「だ、大丈夫だったの!? 船で会った男の人に連れて行かれたって……」


「ああ、別に何もなかったよ。まあ仲良くなったわけじゃなかったけどな」


「え、喧嘩でも売ってきたの?」


「まあ近いものはあるかもな」


「そ、そっかあ……」


 肺の中にある空気をすべて吐き出して、ミドリは一つの安堵とした。

 どうもかなり心配させてしまったらしい。大丈夫だとシスターの方には言い含めておいたのだが、本人が直に聞いたわけではないのだから印象は異なるだろう。


「いやー、良かった良かった! あ、お腹空いてない? お金はあるんだしさ、せっかくだから美味しいもの食べに行こうよ!」


「……」


 まだ万全じゃないだろうに、ミドリはいつも通りの賑やかさ。

 素直に頷きたいところだが、囚われているという彼女達のことが心配だ。時間を空けて好転するものではなし、今すぐにでも調査に向かわねばなるまい。


「……ゆ、ユウ君?」


「ん?」


 考えを巡らせている内に、焦りが表へ出てしまったのか。ミドリはまた、一杯の不安を訴えている。


 いや、顔に出ていたかどうかは然して関係ないのかもしれない。彼女は読心のスキルを持っているのだ。感情の微細な変化を感じ取ってくる。


 あまり気持ちのいいものではないが、止めろと要求する気分にはなれなかった。自分の意思によって思考が行われていることは、何一つ誤魔化せないのだから。


「……なあミドリ」


「な、なに?」


 少しでも長く、一緒にいてやる。

 それぐらいしか、今は出来ない。


「飯食ったら、後で一緒に仕事しないか? っていってもギルドのじゃない。ジュピテルの方に関係があって、お前の協力があると助かる仕事だ」


「う、うん、いいよ!」


 ややぎこちない態度で、彼女は力強く首肯する。

 どこか晴やかなその表情は、ミドリが生来持っているものだ。不安を一切感じさせない、無邪気な天使の微笑み。


 安心する一方で、少し迷いがある。

 悩みがあるのなら聞くべきかどうか。読心というスキルが、具体的にどんな悪影響を及ぼしているのか、と。


「ああ、私なら大丈夫だよ」


 血の気が戻っていない顔付きのまま。ミドリはハッキリとした口調で、こちらの不安を拭おうとしていた。


「制御しきれてるわけじゃないけど、ちょっとは我慢できるから。さっき寝たお陰で、気分も良くなったしね」


「……本当に大丈夫なんだな?」


「もっちろん。……でも出来るなら、少し静かなところで過ごしたい、かな。今も教会前にたくさん人が来てるし……」


「ぬ」


 追い払いたいところだけど、こればっかりは難しい。シスターにでも頼めばいいんだろうか?


 言った傍から、礼拝堂を大股で歩いていく修道服の少女が一人。額には青筋が走っており、爆発寸前なのが一目瞭然である。


 彼女は身振り手振りで群衆を追い払うと、そのまま無言で扉を閉めてしまった。三、四メートルの高さはありそうな二枚扉が、軋みを上げながら閉ざされていく。


 礼拝堂は礼拝堂に相応しい、静謐な空気を一瞬で取り戻した。町の喧騒はボヤけて聞こえる程度で、ミドリも肩の力を抜いている。


「これで宜しいですか? ミドリさん」


「あ、ありとうございます。えっと……」


「カッサンドラです。ユウさん、ミドリさん、良ければお昼ご飯を御馳走しますよ? 司祭も一緒にどうか、と」


「い、いいんですか?」


 はい、と頷くカッサンドラに、ミドリは両手を合わせて喜んだ。

 いつも通りに振る舞っている幼馴染に代わって、俺はカッサンドラに頭を下げる。……相談に乗ってもらったりと、何だか世話になりっ放しだ。


 参拝に訪れている者達が残る礼拝堂を、俺達三人は歩いていく。

 今さらだが、教会のシンボルでもある女神像と目があった。槍と盾を掲げ、鎧によって身を纏っている石像である。


 喋らない筈の像は、奢りだぞ? と無言で感謝を求めてくるようで。

 俺は呆れた気持ちになりながらも、こっそり女神への礼を口にした。

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