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第17話 入院 (貴哉 side ② )
大学一年 秋。
貴哉はconnoグループ御曹司というのに相応しく、幼稚園からエリート街道を歩んでそして有名大学である桐王大学 経営学部に進学して、大学生活を送っていた。
サークルはテニスという、ありがちなものだった。
その眉目秀麗、容姿端麗である事と頭脳と、そしてconnoグループという後ろ楯に目をくらませた女性たちがまるで砂糖に群がる蟻のように思えて、うんざりとしていた。
健康体でもあった貴哉は風邪かな、くらいに思っていた症状はなかなか治らず、ついにこれはただの風邪ではないと、麻里絵に連れられて病院に行くと、肺炎だと診断された。
健康に自信があっただけに、過信しどうやらこじらせてしまったようだ。
個室に入院した貴哉は、点滴の生活が始まる。
「早めに病院にかからないから、こんなことになるのよ」
入院の準備をして、病院に戻ってきた麻里絵がもぅとぷりぷりと貴哉に言う。
「…はぁ…」
熱に浮かされながら、貴哉は返す言葉がなかった。確かに麻里絵は母親らしく病院に行けと何日も前から言っていた。
入院の手続きの為に、担当の看護師が部屋に入ってくる。
てきぱきと質問をして、麻里絵が具合が悪い貴哉の代わりに答えていく。
ベテランらしい看護師の後ろに、若い看護師が立っていた。彼女を気にしたのが解ったのか
「今、ちょうど看護学生が実習に来てますので、ご協力お願いします」
看護師がきびきびと言うと、後ろの若い看護師はよろしくお願いします、と頭を下げた。看護師の白の制服と違うピンクの制服を着ていた。
「花村さん、バイタル測ってね」
「はい」
そう、やり取りをする看護学生が体温計を持って近づいてくる。
「お熱を測らせて下さい」
熱に浮かされながら、その若い看護師がまだ幼さを残してる事により気がついた。
「失礼しますね」
微笑みながら、その手が貴哉の汗ばんだ脇に体温計を挟むのにふと羞恥心が芽生える。
それから、脈をとり血圧を測り、という当たり前の行為なのに貴哉は、彼女のくるんとしたまつ毛や、化粧をしていないのに薔薇色の頬に見とれてしまっていた。
「モニターもつけてね」
「はい」
「モニターつけさせて下さいね」
看護学生は丁寧に場所を確かめながら、機械を胸につけていく。つけ終わると、パジャマのボタンをはめていくのにも、熱のせいで顔が元々赤くて良かったと思ったのだ。
でないと、顔がさぞ赤くなっただろうと思うのだ。
「あとは、ルートチェックね」
そうして点滴をチェックすると、看護師を振り向いた。
「大丈夫だと、思います」
「失礼します」
看護学生が下がり、
「何かありましたらナースコールしてくださいね」
看護師がにこやかに言い、二人は部屋の外へ出て行った。
「可愛い看護師さんね。本当に白衣の天使みたい」
麻里絵が貴哉に言ってくる。
「貴哉よりも若そうに見えたわ。まだ高校生みたい」
「…看護…学生なら、高校、出てるだろ?…同じ、くらいか…年上だろ?」
「それもそうねぇ」
麻里絵は貴哉の荷物を病室のテレビの台や棚に収納しながら、返事をする。
苦しい呼吸だから、会話すら辛い。
「これを機会にもうちょっと早めに病院にかかりなさいよね。じゃあ、お母さんは帰りますからね」
麻里絵はそう言うと帰り支度をする。
「明日は絢斗と志歩も連れてくるわ。テスト休みだから」
「…いらね…」
「みんな心配してるわよ」
貴哉は適当に返事をすると、そのまま眠りに落ちていく。
熱はまだ高く、息苦しい。
一人寝ていると、額にひんやりとした手が触れて心地よい。
「氷枕、いれますね」
ぼんやりと目を開けると、それは看護学生だった。
まだぐったりとしていて、彼女の手が力の入らない貴哉の後頭部を華奢な手が支えて、そして氷枕があてられた。それかとても心地よい。朧気な意識に、彼女の香りがひどく近い。
「息が苦しそうですね」
顔と首の汗を拭かれ、そんな風にされると本当に麻里絵の言うように天使の微笑みに見えた。
ありがとうと、言ったつもりだが、声になったかどうか…。
点滴のお陰か、翌日にはかなり辛さが和らぎ薬の効果のありがたみを貴哉は感じていた。
「おはようございます。検温に来ました」
看護学生はこの日は一人で貴哉のベッドに来ていた。
「お熱もずいぶん下がりましたし、呼吸も楽になられましたね」
嬉しそうに微笑む彼女に貴哉はドキッとさせられた。
そっと触れる細い指先や、ほのかに香る女の子らしい匂いにさらにドキドキさせられてしまう。
そして、入浴が出来ない貴哉だから、バケツにお湯をはってカートに乗せて入ってきた。
「パジャマの替えを出させて下さいね」
荷物から新しいパジャマと下着を出し、セットすると
「体を拭きますね」
「え、君がするわけ?」
「はい。ボタンを外しますね」
と、手をかけられて貴哉はその手首を掴んだ
「駄目だ!」
とつい叫んだ。
「え」
彼女は戸惑ったように貴哉を見て、
「でも、汗をかいてますし拭くだけでもさっぱりして心地よくなりますよ」
掴まれた手と貴哉を交互に困惑したように見ながら説明してくる。
そういう問題ではなく、彼女に拭いてもらうのは男としては無理なのである。しかし、実習に来ている彼女は、そんなことはわからないのか、学生にされるのが嫌だと貴哉が思っていると思ったのか
「あの、確かに私は学生なんですが、たくさん練習をしてきています。ですから、任せて頂けませんか?」
「ごめん、無理。誰かと代わってきて」
「貴哉ったら、ワガママ言ってる」
ちょうどそこに麻里絵と絢斗と志歩。それに洸介も何故かついてきた。
嫌な所を見られたと貴哉は思った。
「あ、こんにちは」
麻里絵に挨拶をしているが、その目はすこし潤んでいた。
「あの…看護師さんに代わってもらいますから、ここにカートを置かせていただいていても良いでしょうか?」
とペコリとおじきをする。
「いいわよ~。もぉ、ワガママでごめんなさいね、えーと」
「…花村です」
「花村さんね、本当にごめんなさいね」
「いえ、いいんです」
そう言うと足早に部屋を出て行った。
「貴哉~、泣いてたよ?」
洸介が呆れたように言う。
「じゃあ、洸介はあの看護学生に体を拭かせられるんだな?」
「は?」
「ふん」
貴哉はそっぽ向くと、ベッドにドサッと寝転がった。
「俺、貴兄の気持ちちょっと分かった。あの看護師さん可愛いもんなぁ~」
「…あ、なーるほ、ど」
志歩がニヤリと微笑む。
少しすると、担当の看護師が入ってくる。
「紺野くん、ごめんなさいね。やっぱり学生さんには嫌だったのね?すぐにするわね。少し、失礼しますね」
看護師はシャッとカーテンを閉めると、てきぱきと服を脱がせて有無を言わせずに体を拭いていく。
その看護師は貴哉の気持ちを正確にわかってるかのように思えたが…。
昨日、看護学生が汗を拭いた手つきは慣れていないかもしれないが丁寧で優しかった。しかし、ベテラン看護師はひたすら手際が良い。
「はい、ここは自分がいいですよね?」
と下はタオルを渡してくれる。
「…」
「はい、じゃあこれで終わりました」
看護師はにこやかに言うと、看護学生が入ってきてカートを看護師と共に運んでいく。
麻里絵が脱いだパジャマを持って帰る準備をしたり、貴哉の本を置いたりしていると、どこに行っていたのか絢斗が部屋に戻ってきた。
「貴兄、あの子、学校の先生かな?めっちゃ起こられて泣いてたよ。かわいそ」
泣いていた、と聞いて貴哉は自分のせいかと思うといたたまれない気持ちになった。
「えー、かわいそう、貴にぃ優しくしてあげなよ。頑張ってるのに」
「そうそう、昨日ナースステーションで聞いたら、今来てる学生さんたち、高校生なんですって。だから、まだ17歳。初々しいわよね」
泣いていた、と聞いていたが、昼食の配膳に来た時には笑顔で貴哉は思わずその顔をまじまじと見つめてしまった。
「学生さんも、休憩はあるの?」
麻里絵が愛想よく聞くと
「はい、食事の介助をしてから休憩に入るんです」
「あら、そうなの。頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
17歳…そう聞くと、頑張るその姿に自分が情けなくなってきた。
高校生なんて、勉強と部活くらいで、将来の事なんて何も考えずにいた。大学生の今も何となく親の会社に入るんだろうとそう思っていた。
その翌日は、貴哉の検温に来た彼女は昨日の貴哉の拒否を気にしていないのか、笑顔で測っていく。
その日もまだ入浴出来ない貴哉だが、看護師と二人でやって来てまた看護師がてきぱきと拭いていき、またカートを片付ける。
そして、数日後に貴哉は院内歩行とシャワー浴を許可されてホッとした。その頃には彼女は違う部屋の担当になったのか貴哉の部屋には別の学生が検温に来るようになった。
病棟にはナースステーションのすぐそばに患者の面会等で使うスペースがあり、本や新聞が置いてある。面会人と入院患者が話したりしている。貴哉も、病室に飽きていたので少しここでお茶を飲むことにした。
患者同士の話につい、聞き耳をたててしまう。
「学生さんたちは丁寧だし、何より初々しいな」
と患者同士が話していて、つい聞き入ってしまう。
「あの子、可愛い。花村さん」
「あー、あのいつもにこにこしてるし」
「あ、ちょうど戻ってきた」
見ると、ピンクの制服を着た学生たちはナースステーションに入っていく。
「あ、あれだよ。今日の実習終わりの時間」
ナースステーションでは学生が四人並んで立ち、看護師と話をしている。
その学生たちの表情は緊張しているように見える。
どうやら、発表を終えるとお辞儀をして学生たちは揃ってナースステーションから出てきた。
「学生さんたちお疲れ様ー」
と患者たちが言うと、
「ありがとうございます。さようなら」
と揃ってお辞儀をしていく。
階段のある方へ歩いていく彼女らを見送ると、
「みんな可愛いけど、由梨ちゃんがやっぱり天使だな」
「由梨ちゃん?」
「花村さん、由梨ちゃんって言うんだってさ」
「へぇ~名前まで可愛いなぁ」
そんなおじさんたちの話を聞きながら、貴哉は面会スペースを後にした。
花村 由梨。
その名前が、貴哉にくっきりと刻まれる。
貴哉が入院して、一週間。そろそろ退院が近づいたかと、思うと、由梨はその病棟に来なくなった。
面会スペースに行くと、
「由梨ちゃんは違う病棟になったんだなぁ、残念。今度の学生さんたちはどうかな?」
とまたおじさんたちは噂をしていた。
貴哉の病棟にはまた由梨と同じ学校の違う学生たちが、実習にきていた。
この、看護師を目指して頑張っているのを見て、貴哉はconnoグループの会社以外で就職をすることを決めた。
これまで何となく、親の言うままに進路を決めてきた。
しかし、由梨を見て、何がしたいのか何が出来るのか自分だけの力がどこまで通じるのか試したくなったのだ。
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