第25話 フロアに来たのは

(どうして……!?)


私の頭の中は、軽いパニックになっていた。


そもそも、こんな一般のフロアに、社長が来ること自体がない。


なのに、他の社員達がいる前で、堂々と、私の名前を名指しするなんて……。



(社長……何を考えてるの?)


激しく動揺する私とは対照的に、いつもと変わらない冷静な表情で、東条社長は、どんどん私に近づいてくる。



(まさか……この場で、私達のこと、公表しちゃうわけじゃないですよね?)


そんなことしたら、確実に、社内が騒然となる。


ただでさえ、あの若さで異例の昇進を重ねて、社長になった人。


噂に、事欠かない彼。


それが、こんな一般の社員とプライベートで会ってるって知られたら……。



(それでも、いいんですか……?)


彼の靴音が、もう間近まで、近づいてきた。


これから何が起こるのか分からない焦燥感に、視線をフロアの床に落とす。


私の目の前で、彼の足が止まった。


「綾瀬さん」


甘く低い声が、うつ向いた私の上から降ってくる。


「……は、はい」


答える声が、上擦った。


フロア中の視線が、ここに集中してるのが分かる。


次の言葉をドキドキしながら待っていると、社長が言った。



「落ちていましたよ」


「……え?」


彼の言葉に顔を上げる。


すると、目の前に、私の社員証が揺れていた。


「『社内の廊下に』落ちていました」



(……廊下に?そんなはずない)


一瞬そう思ったけど、それが、あえての嘘なんだって気づく。


(……そりゃあ、そうだよね。昨日、一緒にいたバーに忘れてたなんて言えないよね)


さっき、密かに抱いた「二人の付き合いを公言する」なんていう、あり得ない妄想をさっと頭の隅に追いやった。


「ありがとうございます」


ほっとしたのと、ちょっと残念な気持ちが入り交じりながら、私は、社長から社員証を受け取る。



その時。


社長の指先が、私の指先をなぞっていき、すうっと離れていった。


私が顔を上げると、彼の漆黒の瞳と視線が絡まる。


「気を付けるように」


そう言った社長と、わずかな時間見つめあったけど。


すぐに、彼は背を向けて、フロアを出て行った。



社長が出て行くと、静かになっていたフロアが、いつも通りのざわつきに包まれる。


(……仕事しよ)


気持ちを切り替え、社員証を首に掛けようとして、何気なく、佐倉さんの方を見ると。



(えっ……?)


ちょっと驚いた。


佐倉さんが、すごい目付きで、フロアの入り口を睨んでいる。


(何で……?)


その目は、明らかに怒気を含んでいた。


私は、小首を傾げながら、東条社長に手渡された社員証を首に掛けると、席に座る。


まだ、パソコンを立ち上げてなかったので、立ち上げた。


その間、デスクのファイルを手に取って、確認する。



そうしているうちに、パソコンが起動したので、メールボックスを開いた。


と、メールを確認している最中に、新着のメールが届く。


(何……コレ)

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