第52話 告発

 

 会見からしばらくの日々は、怒涛のようだった。

 と言ってもその激しい流れは中心近くにいる筈の彰を綺麗によけていき、そこから抜け出せないのに足元さえ濡れないまま、ただ眺めていることしかできない、そんな日々が続いていた。

 それをさびしいような、後ろめたいような気持ちで見守っている彰の気持ちを和らげてくれたのは澄子の存在だった。

 会見は神崎の家で行われて、その日の数日前から当分は仕事に来ないよう澄子は神崎にきつく言い含められていた。更に「マスコミの目を避ける為」と言って、彼は彰を彼女の家に預けることにしたのだ。

 それはこの問題に彰を巻き込まない、という神崎達の方針の為だろうが、澄子を自宅に来させない為もあったのではないか、と彰は推察した。

 会見も含めて、マスコミが殺到するだろう神崎の自宅に澄子が現れれば、取材は彼女の家にも及ぶ。その時に家に彰がいれば、彼の存在も詮索される可能性があるだろう。彰のことを守りたいから当分は自宅には来ないでほしい、そう頼めば彼女は受け入れざるをえないだろう、と神崎は考えたのではないか、と。

 会見予定日の数日前に、澄子は大量の料理の作り置きを神崎宅の冷蔵庫に残していった。そしてやはり大量の注意点を紙に書き出して、短期住み込みで来ることになったヘルパーの女性にひとつひとつ伝授していった。

 澄子はもともと、夫と男女二人の子供との四人家族だったが、夫は八年前に病気で亡くなっていた。子供二人も既に独立していて、家にはひとりで暮らしている。

 神崎の面倒が見られなくなったのと子供達との暮らしを思い出したのか、澄子はまるで小さい子供のように彰の世話を焼いた。神崎の家ではどうしても彼にあわせてヘルシーかつ量も少なめなメニューだったのが、彰が自宅に来てから連日、食卓には高校生男子が喜ぶようなメニューがずらりと並ぶようになる。

 実際のところはもう三十に近い大人だというのに、あれやこれやと面倒をみられるのが彰は可笑しく、けれど何とも言えない幸せな心地も覚えていた。考えてみれば彰は両親を失ってから、いやもっと前、父が亡くなり母と二人になった時から、経済的な面はともかく、日常生活については可能な限り自分で自分の面倒をみる生活を送ってきたのだ。

 だから久々のこんな暮らしはこそばゆく、また心あたたまる思いがした。澄子のおせっかいぶりはどこか皐月の祖母を思い出させ、それも彰の頰をゆるませた。

 多分ここにいるのは一、二週間程だろうけど、この短い間に自分はかつて得られなかった子供時代をすっかり取り戻せる気がする、そんな風に彰は感じた。自分の中のある部分をすっかりひとに任せてしまえる、それに何の疑問も不安も感じずにいられる、そのとてつもない安定感。

 そんな数日の後、彰は神崎達の会見を、澄子の家で一緒に見た。



 ある程度の概要は神崎から聞いていた彼女だったが、詳細を知ったのは無論この時が初めてで、青白い顔をしてハンカチを引き絞るように握りしめながら、無言でじっと画面を見守っていた。

 神崎と磯田がひと通りの話を終えた後、その場に清美が現れた。

 当初、神崎達は英一や清美については匿名の扱いにする予定だった。事故にあった青年A君、そのお姉さん、といった風に。そして勿論、清美の顔は映さずに声も変えて話してもらうつもりでいた。

 けれど彼女は、自分の顔と声で語らなければ何の意味も無い、とそれをすべてはねのけた。

 全員で説得を試みたが、彼女は涼しい顔で受け流した。どうせどこの誰かなんてことはすぐにマスコミはかぎつける、だったらこそこそしているよりは最初から正面切って臨んで芯からの謝罪の姿を見せる方がよっぽどいい、と。確かにその意見には一理あったので、最後には全員清美に従った。

 洋次は直前まで自分も会見に出る、と言っていたが、彼女はそんなことをしたらこの先一生、絶対に口をきかない、と言ってそれを断念させたのだという。「他の人ならそんなこと言ったってどうせ口先だけだろうけど、彼女は本気で実行するから」と洋次は諦めきった様子で後で話してくれた。

 薄灰色の色無地を着てきつく髪を結い上げ、殆どノーメークに見える薄化粧で、彼女は平坦な口調ながら淀みなくはっきりとすべての経緯を事細かに語った。

 父の借金で旅館が担保に取られ、母親は体調を崩し頼りにならず、将来旅館を継ぐことになっていた弟に相談したこと。弟は献身的に仕送りをしてくれたが到底どうにもならず、申し訳ないが大学を辞めてもらうことも考えてほしい、と頼むと、「判った、でも今かなり金になるバイトをしていて、夏くらいに終わるからそれまではこちらにいる」と言われたこと。

 英一から「大学辞める、て言ったら姉に反対された」という話を聞いていた彰は、「ああ、また自分を悪者にして」と胸が痛む思いをした。とにかく様々なことの責をすべて彼女がかぶろうとしている、そう感じる。

 そしてある日唐突に機関の関係者を名乗る男が旅館にやってきて、英一がバイト先で事故にあったことを告げられ、清美は仰天した。最初は「事故で昏睡状態だが命に別状はない、回復に全力をあげて取り組んでいる」と説明され、「特別な施設で治療中だから面会はできない」と言われたのだそうだ。

 その状況が半月程続いた後、また訪問者がやってきて「生命維持には問題ないが昏睡状態から回復する見込みはゼロである」と語られた。そして「彼のことは亡くなったものとして処理をしたい、代わりに今必要な額以上の金を出す」という条件を告げられる。

 塩をく勢いで追い返した相手は、数日もしない内にまた現れた。英一の手紙をもって。

 そこには英一が機関と交わした契約内容が記されていた。事故の危険を知った上で特別な実験に参加していること。それが無事に終了した場合に支払われる報酬、万一のことがあった場合に支払われる金額。ただし、事故については決して口外しないことがその金を受け取るための条件だった。

 そして、英一からの手紙。

 そこには「どうせ戻れないのだから金を受け取ることに躊躇する理由が無い」というような内容が記されていた。この先の旅館のことは全部姉に任せる、これはその為の代金なのだ、と。どうか旅館と、そこで働く人々や家族を守っていってほしい。

 その物事を現実的に処理する態度がいかにも弟らしかった、と彼女は語った。だがそれに乗っかってすべてを隠蔽することにしたこと、それは間違いなく自分ひとりの罪だと。

「あたしはそれが全部、弟の口車だと判っていて乗ることにしました。普通に考えたらこんなとんでもない事故を隠して研究を続けるなんてどうかしている、けれど弟だってこう言ってる、これは弟の望みなんだ、そう自分の中で筋道を立てて正当化したんです。これで家族を守るんだ、なんて綺麗事を言って、家族である弟を捨てたんです」

 そう淡々とした口調で語っていく清美を見ながら、澄子は涙ぐんでいた。「家族がこんな大変な目にあって、そんな若さですべてを背負って、おひとりで頑張ってこられたんですねえ」と。

 それを横目で見ながら、彰は「もしかしてこれは彼女の計算の内なのかも」と内心で思った。批判されることを承知で自分の姿をさらけ出して、誰のことも悪く言わず罪は全部自分がかぶり、苦労はあえて口にしないで、けれど見ている側には彼女が家族も旅館もすべてをその細い肩ひとつで担ってきたんだ、その健気さがはっきりと伝わる。

 更に、英一の事故については百パーセント機関が悪い訳で、しかもその後、金と権力にものを言わせてずっと口をつぐませてきた、という図式もあって、ある意味で間違いなく「金の為に家族を売った」清美達の当時の思惑が見ている側には殆ど感じられない。

 成程、これは確かに芯からの商売人だ、そしてやっぱりあの英一の姉だ、と彰はつくづく感心した。前回話をした時には旅館は手放してもいい、と言っていたが、最終的にそうなっても仕方がない、という覚悟は間違いなくあった上で、やれるだけのことはすべてやる、そういう決意と胆力を今の清美からは見てとれた。

 その目論見はぴたりと当たり、すべての事情を語り終えた最後に謝罪の言葉と共に清美は当分の営業自粛を宣言したが、会見が配信された直後から全国各地より激励と一日も早い営業の再開、そしてその暁にはぜひ泊まりたい、という申し出が殺到したそうだ。

 現在も英一と共に中にいる二人については、家族が一般人であることもあり匿名の扱いとなったが、当時学生だった萩原の家族からは書面のみで神崎達の告発を裏付ける旨の声明が届いていた。坂口の家族は「もう絶縁したので」と何の協力も得られなかったらしい。

 会見の直後から、当然機関にはマスコミの取材が殺到したが、上層部は完全にそれをシャットアウトした。配信が行われている最中に『パンドラ』は緊急ダウンされ、利用中のゲストは「機械のトラブルで」と説明され全員帰されて、サイトは無期限のメンテナンスの為利用中止する、予約についてはすべてキャンセルの上返金する旨が記載されているのみとなった。

 英一達の件や「事業」について何も知らないレベルの職員達は、マスコミの取材に一切答えないよう勧告されて全員帰宅させられ、当分の間自宅待機を命じられていた。そうは言ってもやはり何人かが匿名で取材に応じてはいたが、そもそも今回の告発内容については何も知らない人間ばかりなので、現状の都市や『パンドラ』の説明以上のものを語れる者はいなかった。

 残ったごく少数の者達は、まるで籠城するかのように帰宅もせずに東京の施設内にとどまっていたが、会見から一週間程してついに警察が捜査に動き出した。世論の高まりもあって、第三者委員会もほぼ同時に設立が決まり、機関の最奥にメスが入れられることとなる。

 今回何故このような告発に踏み切ったのか、というインタビュアーからの質問に対しては、神崎が部下から「事業」のことを聞きながら、自分が人生を賭けてきた仮想空間についての愛着から告発に踏み出せなかった、だが自身の余命を知り最後にもう一度英一達をあそこから出す為に現場に戻りたい、その為には自分を排除した機関の現状をすべて明るみにするしかない、そう思って一番信頼のできる磯田に相談し今日の会見となった、という説明をした。

 そこからは本当に綺麗に彰の存在は消されていて、だがここへ至るまでに「外部の匿名の協力者」が大きな尽力をしてくれた、とだけさりげなく語られた。

 連日あらゆるメディアがこの問題を取り上げ、様々な人々がこぞってこの話題を語り尽くした。その中でいわゆる有識者達が言うには、おそらく神崎はそれ程の罪に問われることはないだろう、との見解だった。

 そもそも本当に犯罪行為を含んでいる「事業」には彼は一切関わっていなかったし、英一達の件の発端は単なる不測の事故に過ぎない。その後の隠蔽工作は確かに問題だが、それから何年も目覚めさせる為の努力を続けていたことも考慮すると、果たしてこれを刑事罰に問えるかどうか、もしそうなったとしてもおそらく執行猶予は確実につくだろう、とある有名弁護士がテレビで語っているのを見て、彰は澄子と共に胸をなでおろす。

 そして会見から十日と少しが過ぎ、自分が完全にノーマークであることが明確になったので、彰は自宅に戻ることにした。

 神崎の自宅の周辺にはまだちらほらとマスコミがうろついていたので、とりあえずの挨拶を電話で済ませる。

 モニタの向こうの神崎は連日のマスコミや警察の対応のせいか少し疲れている様子だったが、目にはしっかりとした輝きがあった。澄子がそろそろ仕事に戻りたい、と言っていることを伝えると、わずかに渋りながらもどこかほっとしたような表情をにじませる。

 一度自宅に戻ろうと思う、彰がそう伝えると神崎はうなずいた。彰のことは警察にも話さなかったそうで、今の状況なら帰宅しても何の問題もないだろう、と。

「『事業』に関わっていた機関の人間については多くが拘留され事情聴取を受けている。都市や『パンドラ』の管理維持については、一般の職員が施設に戻っておこなっているようだ。磯田君もそろそろ警察やマスコミから解放されそうだから、所に戻って状況を確認したい、と言っていた」

「そうですか」

「磯田君が現状を確認したら、私も一度研究所に行こうと思う。その時には御堂君にも声をかけるから、ぜひ同行してほしい」

「はい、お願いします」

 彰は小さくうなずく。きっとその時には『パンドラ』や都市に入れるのだろう。

「今回の告発にこぎつけられたのは本当に君の存在あってこそだ。本来なら英雄として表に出るのは君だったのに、それを無理やり取り上げてしまって済まない」

「いえ、そんなことは」

 神崎が真面目に頭を下げるのに、彰は苦笑して片手を振った。

「そもそもそういう柄じゃないですし。それによく考えてみたら、会社には病気名目で休暇を出してますから、僕が表舞台に出たりしたらお前一体何やってたんだ、て話になっちゃいますし」

「……仕事に、戻れそうかね」

 ふっとまなざしを和らげて尋ねられるのに、彰は一瞬間をおいてから「多分」とあいまいな答えを返した。

 いや、きっと、戻れるだろうとは思う。

 多分いつだって、自分は戻れたのだ。

 ただ頭を虚無にひたしたまま日々のルーティンをこなすだけ、それならきっと、あの残暑の日からでもいつだって自分には可能だった。もしそうしていたらある日突然、車の前に身を投げ出したり、よく切れるナイフで頚動脈をさくっと切りつけたりすることになっただろうが。

 今はもうあの頃の自分とは違う。

 けれど何もかも吹っ切れて前だけ見て進めるのかと言うと、それも違う気がする。

 まだいろいろなところに、心が絡みついている。

 英一のことやシーニユのことも、その内のひとつだった。

「そうかね」

 特に深くその話には突っ込んでこようとせず、神崎はわずかに目を細め短く言ってうなずいた。

「私が研究所に通うようになったら、自宅に来るマスコミは減るだろう。そうなったらまたいつでも遊びに来るといい」

 そして思いもよらない言葉をかけられ、彰は軽く目を見開く。

「スミさんが君のことを本当に気に入ってね。息子が帰ってきたみたいだ、とずいぶん喜んでいた。あんな嬉しそうな顔を見るのは珍しいから、君さえ良ければ時々顔を見せてやってほしい」

「……はい。ありがとう、ございます」

 そうだ、英一達だけじゃない、ここにもこうして、また新しい繋がりができた。

 彰は胸に熱いものが満ちてくるのを感じながら、深々と頭を下げた。

 

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