第50話 メンテナンス
次の日の朝、ゆうべ清美とどういう風に話が進んだかを満ちるに告げると、彼女は一瞬、ひどく複雑な表情を浮かべてから何も言わずにうなずいた。
宏志は勿論、これからもしばらく彼女を家で預かることを快諾してくれる。
今後のスケジュールとしては、神崎と磯田と清美とで打ち合わせをして、どう話を進めていくのかを決めた後、磯田が信頼できるマスコミを手配し、二月の最終週か三月の頭に会見を開く、ということで話がまとまった。
清美はやはり満ちるの家出の後に機関に彰の話をしてしまったのだそうで、告発まではこれまで同様、彰は神崎の家にとどまることとなった。
ひと通り見通しが立ったことを英一に告げる為、彰は『パンドラ』の予約を宏志に頼む。
『……あれ、メンテだって』
と、モニタの向こうで宏志がきょとんとした顔になった。
「えっ?」
言われて彰が自分のモニタの端に出した『パンドラ』の予約サイトを見ると、確かに明後日から緊急メンテナンスに入る、という告知がある。期間は三日間だ。
「初めて見た、メンテって」
『パンドラ』のサイトを見るようになってから数ヶ月になるが、今までそんな告知は見たことがなかった。しかももともと予定されていたものではないらしく、このメンテの為に予約を断ることになるゲストには、サービス券と次回の優先予約をおつけします、というコメントがお詫びと共に書かれている。
「何かあったのかな……」
告発を目前にして何かあったら、と彰は一気に不安になった。
『明日の最終、ひとつ空きある。押さえるぞ、とりあえず』
宏志が急いでそう言って、手元で操作をして。
『磯田さんとか、何か言ってなかったのか?』
「いや、聞いてない。後で聞いとくよ」
宏志との通話を切った彰は、とりあえず神崎に確認してみたが彼はメンテについては何も知らなかった。
次に磯田に連絡を取ってみると、磯田自身にもつい先刻メールで連絡があったばかりだ、と怪訝な様子で答えられた。メンテナンス担当ではない職員には全員有休を支給するので、該当日が出勤の者は休むように、との通達だという。
今までもメンテナンスがなかった訳ではないが、ハード・ソフト共にあらかじめ予定が定まっているか、逆に突然の故障のようなトラブルでの急なメンテかのどちらかで、こんな風に緊急で、にも関わらずその直前までは普通に稼働を続けていられる、などという状況はなかったそうだ。
しかも自分のような研究がメインの職員の場合、別段、『パンドラ』そのものが停止したからといって普段の仕事が全くできなくなる訳でもない、なのに休むよう指示が出るのは奇妙な感じがする、そう磯田は言った。
告発の準備がいよいよ整ってきたことが向こうに知られてしまったのではないか、と彰は危惧したが、磯田と先日資料の持ち出しを手伝ってくれた神崎の元部下によれば、今のところ気づかれたような様子は特に感じられないそうである。
とりあえず英一に現在の状況を知らせなければならないので、明日の『パンドラ』へのログインについては実行することにしたが、中で万一のことがあればすぐさま接続を切るように、と神崎から念を押されて、いささか緊張しつつ彰は次の日を迎えた。
ログインをしてからしばらく、彰は周囲に気を配りながら適当に幾つかの店を覗いて歩いてみたが、特に違和感も無ければ誰かに見張られているような様子もないのに『Café Grenze』へと足を向けた。
そもそも万一宏志の行動が疑われていたとして、その場合は中に入って見張ったりしなくてもログを逐一監視すればいいだけの話だ。この場でどうこう気をまわしたりしたところで、全部手遅れなのだ。
そう思うとかえって開き直れて、彰は吹っ切ったように足を早めた。
すると、見えてきた店の扉にはいつかのように「Closed」の札がつるされている。
彰は不安を覚えつつ、扉を押し開けた。
「御堂さん」
奥の席で入り口に背を向けて座っていたシーニユが、立ち上がってこちらを見る。
その瞳が、彰を見た瞬間にほんの一瞬、ちかっと光ったような気がした。
向こう側で座っているのは、確かにマスターの姿をした英一だ。
「御堂くん、ちょうど良かった」
目をぱっと見開いて、彼も立ち上がる。
「あのね」
「今日は何故、来られたんですか」
話し出そうとする英一をはっきりと遮って、シーニユが何故か厳しい声で尋ねてくる。
「シーニユ」
「羽柴さんに協力していただいてまで来られたのですから、何か重要な用件があるのではないですか。まずそれを確認する必要があります」
とがめる英一に、彼女は叱りつけるようにそう言って。
「何……どうか、したの。明日からのメンテ、やっぱり何かあるの」
息を呑みながら彰が言うと、英一の顔がわずかにひきつった。
「はい。でもその話は後に。まず御堂さん側のお話を聞かせてください」
けれどシーニユは、有無を言わせぬ態度でありながらも冷静な顔つきでそう言い、手で彰に椅子を勧めて。
「……判った。手短に話すよ」
彰は腰を下ろしながら早口に昨日までの状況の説明を始めた。
できる限り早く説明を終わらせたかったけれど、話を聞いた英一は特に自分の生存を知った満ちるの反応について、すべてを知りたがった。
早く切り上げたい、だけではなく、満ちるの「兄のことも許せない」という言葉について何とか話さず済まそうとした彰だったが、何度も何度も様々に追求を重ねられ、結局洗いざらい喋ってしまう。
「……そう」
きゅうっ、と音が聞こえる程に一瞬強く歪んだ英一の顔に、彰はいたたまれない気持ちになる。
「でも満ちるちゃんが一番望んでるのは、美馬坂くんの無事な生還だから。いろいろ、割り切れない思いはあるだろうけど、彼女は君が生きていたことを本当に喜んでるよ」
「…………」
「それ程好きだから、許せない、そう思うんだよ。その責めは……直接、会って、君が受け止めてあげなくちゃ」
必死で言葉を繋いでいると、彰の胸に何とも言えない思いがわきあがってきた。
「……生きてるんだからさ。会えるんだ。いいじゃないか、いくら責められたって、許されなくたって」
ふい、と目を動かして、英一が彰を見上げる。
「もう絶対に取り戻せない、完全に失ったと思ってた相手が……戻って、くるんだ。君も満ちるちゃんも、それで十二分じゃないか」
呟くように続けていると、急にたまらなく泣きたくなって彰は目をそむけた。
「……御堂くん」
英一は深く息を吸って、彰の名を呼んだ。
「うん。君の、言う通りだ」
噛みしめるように言って目を伏せると、ゆっくりと肩を動かしながら何度か呼吸して。
「君に、話さなくちゃいけないことがある」
そして、顔を上げないままにそう言葉を続けた。
「……何?」
一度は消えていた不安がその声音にまた黒雲のようにわきあがって、彰の声は小さくなる。
「メンテだ」
「メンテ、ああ……何か、あったの?」
胸がどきどき鳴り出すのを感じながら問うと、シーニユが遮るようにすっと手をテーブルに差し出した。
「今日来てくださったのは、本当にタイミングが良かったです」
彰が隣の相手を見ると、彼女は少し体を動かして上半身を彼の方に向ける。
その灰色の目はいつもと変わらず、しずかで落ち着いていた。
「シーニユ?」
「明日からのメンテ中に、ナイトゾーンの人工人格のログの徹底調査がなされることになりました」
そしてやはりいつもと同じ、淡々とした調子の声で、彼女はそう告げた。
「……え?」
一拍遅れて、彰の唇から気の抜けた声が漏れる。
「え……ちょう、さ?」
その声のまま続けると、シーニユはこくりとうなずき、説明を始めた。
どうやら英一の姉から彰の話が機関に知らされた後、向こうはやはり、彰は英一の事故の件を追っていると考えたらしい。
そこでサーバ内の彰の行動ログを調べたが、その時には既に英一達による書き換えが済んでいた為、そこから何かを見つけることはできなかった。
だが大した起伏も無い行動を、毎週同じナイトゾーンに入って行っていることにかえって不審が募ったのと、清美の通報があってから彰の行方がすっかり判らなくなったこと、まだ相当あった予約分がすべてキャンセルされたことなどから、彰に対しての疑惑は更に膨らんだらしい。
彰の『パンドラ』内での行動のログというのはつまり、何時にログインして、どのルートを通ってどこへ行き、そこでどういう行動や会話をしたか、という流れの記録である。その途中で例えばただ道ですれ違っただけ、同じ施設内にいただけで、会話や関わりがなかった人工人格が誰で何人いるのか、その相手に対して彰がどんな顔つきをしていたか、どんな風に手や足を動かしていたか、そんなことまでは彰側のログを見ただけでは判らない。
そこでそういう方法で何かが暗号のように示されていたのではないか、『パンドラ』内で人工人格や人間のスタッフと何らかの情報のやりとりをしたのではないか、という疑惑が上がり、サーバ内の人工人格の記録を洗いざらい調べよう、ということになったのだそうである。
調べるのはナイトゾーンの人工人格だけで済むが、それでも相当な数となる。しかも、英一の件を知らない職員達も大量にいる為、『パンドラ』すべてを止めてごくわずかな人数で内密に調べ上げることとなった。
「それ……それ、まずくない?」
説明を聞いている内、彰の唇からはうわずった声が上がった。
「だって、マスターやシーニユのログを調べられたら」
そうしたら、すべて終わりだ。
彰の言葉に、シーニユは厳しい顔つきでうなずいた。
「じゃ」
「ですから、書き換えます」
彰を遮ってぴしりとシーニユが言うのに、顔を伏せたままの英一の肩がぴくりと震える。
「えっ?」
「ログを、すべて書き換えます。以前、御堂さんのものを書き換えたように」
「あ……ああ、成程」
そうか、前と同じことをすればいいだけなのか。
彰はほっとして、気づかぬ内にわずかに浮き上がっていた腰をすとんと落とした。
「そっか、良かった」
軽く呟くと、英一がわずかに額を起こす。
「前に御堂くんのログを書き換えた時、僕の都市側のサーバのログも書き換えたんだよ」
けれどまだ目は合わせないままそうぼそりと言われたのに、彰は「あ、そうなんだ」としか言うべき言葉がなく、少し首を傾げる。
「その後に僕がこっちに来てる時には、向こうに同時進行で偽のデータを流してた。部屋で映画見てるとか、そういう内容で」
「うん」
英一の言いたいことがつかめないまま、彰は曖昧にうなずいて。
「でも僕も御堂くんも、ここであったこと、全部覚えてるよね」
「え、うん」
「なんで?」
「え?」
畳み掛けるように問われて、彰はきょとんと目を見張った。なんでって、だって、そんなの。
「そんなの、だって、当たり前じゃない、だって……」
訳も判らず答えようとして、その声が途中でうわずるように消えた。
すうっ、と背中の皮膚が冷えていく感覚が走る。
そんなのは、当たり前だ。
だって……自分達には、生身の脳が、あるから。
ナマの脳で、記憶をしているから……だからサーバ内の電子的データをいくら書き換えたところで、実際の記憶にはかけらも損傷が無い。たとえデータをすべて消したって、自分達二人の記憶は消えない。
気づかない内に、息が止まっていた。
わずかな息苦しさを感じて、無意識のまま、音を立てて細く長く息を吸い込む。
くらくらと視界が揺れるのをどこか遠い出来事のように認知しながら、彰はゆらりと瞳を動かした。
目の前に、上半身をこちらに向けて座っているシーニユの表情が見えてくる。
いつもと変わらない、視線にブレが無い灰色の瞳とぴったりと閉じられた薄い唇。
「…………」
まさか、そう言いたくて唇を開いたけれど、そこからはかすかな息が漏れるだけで声は全く出てこなかった。
けれどシーニユは、しずかにひとつうなずいてみせる。
「ご推察の通りです」
英一が深く息を吸って、テーブルの上の両手をきつく握り合わせた。
「ログを書き換えれば、人工人格の記憶はその通りに書き換わります。……つまり、本来の記憶は消滅します」
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