第40話 猫かぶり・2
彰がホテルに寝泊まりしていることを知った神崎は、自分の家に滞在するよう勧めてきた。
最初は躊躇したけれど、確かにどこで誰に見られるか判らない街中にいるよりも、この郊外の別荘で、必要な物は神崎に手配してもらってすごす方が安心だし楽だと思い、彰はその提案を受けることにした。
ホテルのチェックアウトは電話で済ませ、荷物は磯田が人を頼んで引き取って神崎の家に送ってもらうことになった。
英一に今の自分の状況を伝えることができるのか、と問う神崎に、彰は宏志の話をした。現状に合わせ、何か伝えたいことがあれば彼に託しますので、と。
それを聞いた神崎は、しばらく黙っていた。
「……御堂くん」
「はい」
少しの間をおいて、神崎は考え込みながらも口を開く。
「その彼は、信用のおける相手かね」
「勿論です」
彰は間髪をいれず即答して。考えるまでもない問いだった。
「秘密は守れる。健康的にも問題はない」
「はい」
「なら、私に考えがある」
「何ですか」
神崎はやおら背筋を伸ばしながら体を動かして座り直す。
「今後の展開を考えて、あちらとの意思疎通はもっとダイレクトでスピーディなものにしたい。つまりは彼ではなく、君に直接、美馬坂くんと接触してもらいたい」
「え、でも……僕が美馬坂くんのことを調べてる、ていうのは、おそらくもう相手方に知られてしまっているんですが」
とまどいながらそう答えつつ、彰は磯田と顔を見合わせて。今更自分が、のこのこと『パンドラ』に入ることなど無理だろう。
「判っている。私が考えているのは、その青年と君とで、一緒に『パンドラ』に入る、という方法だ」
「えっ?」
神崎は枝のように筋張った手を伸ばして、肘掛け部分にあたる機械の何かを操作する。
どこかで静かなモーター音がした。
「正確に言うと、肉体としては、その彼にログインしてもらう」
音の方向に彰が顔を巡らすと、入ってきた側と逆の壁にあった大きな扉が、ゆっくりと観音開きに開いていく。
「あれは……」
磯田が口の奥で呟いて立ち上がった。
彰もつられて立ち上がり、ソファから数歩歩いて扉の前に近づいて。
「……あ……」
「そしてそれと同時に君がここからログインして、『パンドラ』内の彼の仮想人格の脳に宿る」
そこには見慣れた、あの白い繭のようなカプセルが置かれていた。
神崎が言うには、その機械は機能としては今の物と殆ど変わらないものらしい。
「私が研究をやめる頃に、『パンドラ』用に量産タイプのマシンに切り替えることになり、このタイプはお払い箱になった。本来は専用線と合わせて機関が回収していくべきものなんだが、記念に、と無理を言ってそのまま貰い受けた。こんな体では仮想空間に接続することも、マシンや利用者のセッティングをするのもどうせ不可能だから、向こうは滅びる者のノスタルジーと思ったのか、最後には了承してくれたよ」
彰に手を借りてお茶のカップをテーブルにおろすと、神崎はベッドのままカプセルの傍らに移動して、優しげな手つきでその蓋を撫ぜた。
「いつか必ず研究に戻る、その為に手元に置き続けた。……正しかったよ」
「あの……僕が彼の仮想人格に宿る、というのは、どういう」
その表面のチリひとつない美しさ、窓からの光を浴びてラメが入ったようにきらきら、と光る輝きに、彰はちくりと胸が痛む。使うあても無いまま、それでもきちんと磨かれ続けた、その純白さに。
「君が先刻話していたろう。美馬坂くんが喫茶店のマスターの人格の殻を利用して『パンドラ』にやって来た、と」
「あ、はい」
「あれと似たようなものだね。君の友人がログインするのと完全に同期して君が入る。機関側から見たら接続しているのはその友人だが、実際に脳を支配して、体を動かすのは君、ということになる。まさに『猫かぶり』だね」
「そんなことができるんですか」
「やってみたことはない、と言うよりやってみようとも思わなかったが、機能上は可能だし難しいことでもない。切り替えの為のスイッチはこれから私がつくる。できあがったらその友人に送ってほしい」
神崎は両手を動かして何かをつくるような仕草をして、それから軽く口を開け、奥を指差して。
「こう、口の中に入れて歯にセットできるような物をつくる。アクセス日と時間が決まったら事前に知らせてもらって、その時間に御堂くんがここのカプセルに入る。友人がアクセスする瞬間にそのスイッチを入れてもらって、脳の接続先のみをこちらに切り替える」
「その間、宏志の方はどうなるんですか」
「どうも。つまりは真っ暗な中で二時間、ぼーっと浮いててもらう、ということになるね。別に眠っていても構わない。肉体へのフィードバックはそちらに入るから、突然手足に圧がかかったりして驚いたりはするかもしれないが、特段の害は無い」
「そうなんですか……」
彰はほっとして、改めてカプセルを見た。無為な二時間を使わせるのは申し訳ないが、肉体的に問題が出ないのならまだ頼みやすい。
そしてじんわりと胸の内に安堵が広がるのを感じた。ああ、なら美馬坂くんやシーニユにも、またすぐに会えるのか。
「磯田くんやその友人との連絡には、うちの電話や端末を使ってくれていい。新しくアドレスをつくって構わないから、好きに使いなさい」
「判りました」
うなずく彰に、神崎はうなずき返して、ベッドをゆっくりと動かして元の部屋へと戻って。二人はそれに続いて、また並んでソファに座った。
「さて、他に何か質問はあるかね」
ゆったりと落ち着いた様子で問う神崎に、彰は少し考えてから口を開く。
「美馬坂くん達の体は、今どこにあるんでしょうか」
「伊豆の研究所だ」
神崎が手元を動かすと、機械の肘掛の部分からすとんとモニタが現れ、くるりと二人の方を向いた。
「大体この辺りだね。詳しい地図は、今は私の手元には無いが」
そう言いながら神崎は腕を伸ばして、伊豆半島の中心部よりやや南西に寄った辺りを指差す。
「東京から比較的近くて、だが田舎で人の出入りの少ない、そういう場所だ。仮想空間内で眠っている間は脳の接続が切れていることが判ったので、その間にそれぞれの施設から運搬した。秘密保持の為、ここには最小限の人数しかおいていない」
「そこに……侵入するようなことは、可能でしょうか」
「何の為に」
彰がためらいつつ聞くと、神崎は狐につままれたような顔で尋ねて。
「その、何か、証拠になるようなものがあればと思って。美馬坂くん達のことを公表するにしても、きちんとした物証があるのと無いのとでは、世間へのアピール度が違うと思うんです」
「ふむ」
神崎は少し考え込むような顔をして腕を組んだ。
「私の証言だけでは弱いかな」
「いえ、それは大変、強みになると思います。何か当時のデータなどはお持ちですか」
「いや。自宅で研究していた際の資料やデータは、すべて持っていかれてしまった。頭の中には、すべて揃っているが」
「うーん……」
彰と磯田は、何となく顔を見合わせて。確かにこの立場の人の証言、というのは強いが、でも向こうが「証拠は何も無い、研究をとりあげられた逆恨みのでっちあげだ」と言おうものなら覆せるか判らない。
「まあ確かに、確たる物証、があるのと無いのとでは大違いだね。だが伊豆の研究所に侵入するのは、おそらく無理だ。映画のスパイでもない限り」
「そうですよね……」
彰はがっかりするのと同時に、奇妙にほっとする自分を感じた。眠り続ける英一達のナマの肉体を目にする、というのは想像するとどこか怖い気がしたのだ。
「まあそれについては、おいおい考えよう。とりあえずもうこんな時間だし、良ければ二人とも、夕食にしないかね」
神崎はそう言うと、手元を操作して「スミさん。お客さんの分も含めて、夕食の支度を願います」と声をかけて。
『はい』と機械から、小さな声が返ってきた。
夕食を取った後、磯田は彰をおいて帰っていった。
彰は神崎の言葉に甘えて、端末から宏志に連絡を入れて。
「……そういうことだから、そっちから何かあったら、ここに連絡入れて。新しいアドレス、送っておくから」
画面の中で、宏志がうなずく。
『「パンドラ」の健康診断、明後日になったよ。これが通ったら、その先生のスイッチが届く頃合いで予約を取ればいいんだな?』
「うん。無理ばっかり頼んで悪いけど」
『いいって。まあ、自分がナマで体験できない、てのはちょっと残念だけど』
「ひと通り話がついたら多分時間が空くから、その間にでも行ってみてよ。ほんと、すごいんだ」
『ん。俺どっちかって言うと、スカイゾーンに行ってみたいよ』
「ああ、そういや結局、よそには全然行かなかったな……」
宏志の言葉に、ちょっと勿体ないことをした気がして、彰はふっと微笑った。すべてが済んだらそんな時間を取ることができるだろうか。
「じゃ、また連絡するから」
『あ、御堂』
軽く挨拶して通話を打ち切ろうとすると、宏志が一拍遅れて声をあげた。
「何?」
『いや……いや、あのさ』
目を合わせずに、珍しくぼそぼそっと宏志は言葉を濁す。
「何だよ」
『うん……あの、ちょっと待って』
声と共に宏志は画面から姿を消して。
「…………?」
首をひねっていると、奥の方で何か音と声がして、それから宏志に引っ張られるようにして満ちるが姿を現した。
その顔がひどく思いつめている様子なのに、彰は少し、どきりとする。
この間宏志の店で彼にすべてを打ち明けた時、兄が実は生きている、ということはまだ彼女には話さないでほしいと頼んでいた。生きているとはいえ、今の状況では目覚める見込みが無い、という残酷な事実や、姉や母がそれに加担していることを知られて、ただでさえ不安定な彼女の感情を揺さぶってまた暴走されても困る。宏志もそれには賛成してくれた。
まさか、言ってないよな、宏志?
『あのっ……あの、御堂さん』
画面の中で、満ちるは目を伏せ気味におずおずと話し出す。
「うん、どうしたの?」
『あの……わたし、謝らないといけないことが、あって』
彰の胸が不穏に鳴ると同時に、変な気分にもなった。どうも英一のことを知って興奮している、というようには見えない。
「何? 言ってみて」
『あの……』
口ごもりながら、満ちるは助けを求めるかのように画面の奥にいる宏志を見た。
宏志はゆっくり立ち上がって、こちらに近づいて。
『満ちるちゃんさ。お
「え、でも」
おにいさん、という言葉に彰は少しく動揺して。ほんとに話したのか、宏志。
『あ、お義兄さん、て、あっちな。お姉さんの旦那さん』
「……あ、ああ、そっちか」
全身からほうっと脱力するような思いで、彰はうなずいた。それからすぐに、いや、でも、と思い直す。
「だけどそれじゃ」
『お義兄さんは他の家族には秘密を守ってくれる人だから、て。……それで昼間、うちからそのお義兄さんの携端、連絡入れたんだよ』
「…………」
『あの、ごめんなさい。でも義兄さん、姉にも母にも絶対秘密にする、て約束してくれたので』
思わず言葉を失った彰に、満ちるは懸命に何度も頭を下げて。
「ほんとに……大丈夫なの?」
『はい。……あの、それで
「は?」
思いもよらないことを言われて、彰の声は跳ね上がった。何で俺?
「て、何を?」
『いえ、それはわたしも、聞いてないんですけど……』
画面の中で、満ちるも不思議そうな顔つきで首をひねる。
『とにかく、そういうことなので……新しいご連絡先を、義兄に教えても構いませんでしょうか?』
「うーん……」
うなりながら彰が腕組みすると、宏志が画面の真ん前から満ちるをどかせて、正面に現れた。
『満ちるちゃん、後は二人で話すから。もうおやすみ』
『でも』
『いいから。……おやすみ』
強めの口調で強引に満ちるを部屋から追い出すと、宏志はこちらに向き直って。
『ごめんな。言い出すと聞かない子でさ』
「うん。……でも、好みだろ」
相手の言い様がまるで長年の連れ合いに対するそれのようで、彰はついからかってしまう。
宏志は一瞬言葉に詰まって、じろ、とこちらを睨んだ。
『……よく判るな』
「判るよ。長いつきあいだ」
思わず破顔しながら言うと、宏志はまたじとりと睨んでくる。
「まあそれは置いといて、その人、ほんとに大丈夫そう?」
『ああ。俺もちょっと話した。何て言うかなあ、今の美馬坂んちって、その人がいることで成り立ってる、て感じでさ。調整役、て言うか』
「ふうん?」
『やり手だけどきつい姉さんと、気の弱い母親と、だらしない父親と、そんな三人に反発してる満ちるちゃんと……大勢の従業員達と、そういう人達の真ん中に立って、全部に気配りしてバランス取ってる、みたいな。だから今回のことも、奥さんである姉の側に全面的に立とう、て気は全然無いみたいで』
「そうなんだ」
宏志の話に、彰はほっと胸をなでおろす。とにかく今の満ちるの居場所は絶対に機関に通じている人間に知られる訳にいかないのだ。
『満ちるちゃんが、お前にしたような話を全部、お義兄さんに話して。今お前が美馬坂の死因について調べてる、て聞いて、それでお前と話したいんだとさ』
「それは……美馬坂くんの件について、その人が何かを知ってる、てこと?」
『さあ、それは判らない。とにかくお前と話したい、て。どう』
「話すよ。何か知ってるなら聞きたい」
と言いながらも、その可能性は薄い気もした。満ちるが姉と喧嘩した時の様子から、その義兄が英一の事故の件について何かを知っているようには思えない。
それでも話は聞いてみたくて、彰は連絡先を伝えてもらうよう宏志に頼んだ。
『判った、じゃあ伝えておくよ』
ひとつうなずく宏志に、彰はほっと息をついてわずかに微笑んだ。やはり宏志と話していると一番安心できる。
「ありがとう。満ちるちゃんにもよろしく伝えて。……じゃ、おやすみ」
『ああ。そっちも気をつけて。おやすみ』
ふっ、と消える画面に、彰は小さく、手を振った。
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