第32話 決裂

   

 もともとその相手には年始にいつも挨拶に行っていたから、と話す磯田に、彰は自分も連れていってほしい、と頼んだ。

 磯田はすぐにそれを承諾してくれて、日取りが決まったら連絡する、と約束してくれる。

 蕎麦を食べ終えた後は会話も少なく、彰は磯田の厚意に甘えて風呂を借り、客間に敷かれた布団に横になる。

 布団で寝るのなんて、皐月の実家以来じゃないか……いや、違う、皐月の葬式の後、初めて宏志に会った時に、あいつの家に連れていかれて以来だ。

 そんなどうでもいいことをつらつらと考える内、彰はすとんと眠りに落ちた。

 


「今年もどうか、よろしくお願いしますね」

 目を覚ました朝に磯田にそう頭を下げられて、彰はああそうか、自分は喪中なんだ、と改めて気がつく。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「去年は御堂さんとお知り合いになれて、本当に良い年でした」

 深々と頭を下げ返した彰に、つい昨日までの「去年」を、磯田はひどく懐かしそうにそう言った。

 冷蔵庫に残った食材で、ゆうべのお礼に簡単な朝食を彰がつくり、二人でダイニングテーブルでそれを食べて。

 後片付けをしてから、磯田がマシンでいれてくれたエスプレッソをすする。

 最後の二口程に砂糖を入れてかきまぜながら、磯田がふっと、口を開いた。

「貴方の語る彼女は、娘が話した『トモちゃん』とも、わたしがイメージしてデザインした『シーニユ』とも、まさにそのままのようで、でも全く違うようにも感じます」

 その言葉に、彰は目を上げる。

「けれどどうしてだか、娘の『トモちゃん』やそれをわたしが想像した姿よりも、ずっと身近な存在に思えます。確かなひとりの、人格だと」

 磯田はどこか噛みしめるように言うと、かちん、と小さくスプーンでカップを鳴らして。

「それはきっと、『育って』いるからなのでしょうね。娘の中にいた存在やわたしがデザインしたそれを越えて、彼女は成長しているのでしょう」

「……人工人格をつくられた時、奥様をモデルにされようとは思われなかったんですか?」

 磯田の言葉にふと思いついた問いを彰が口にすると、磯田は屈託なく笑った。

「わたしはね、吝嗇りんしょくなんです」

「え?」

 相手の言った言葉を咄嗟に漢字に変換できなくて、彰はきょとんとして。

「妻とは初めて出逢ってから、ただの友人だった時期も含めると三十五年を共にしてきました。その時間すべてが、わたしの宝物です。だから、出し惜しみしました」

 ふふ、と磯田は唇の端で可笑しそうに笑って。

「わたしは彼女の存在を、わたしだけのものにしておきたかった。誰とも分かちあったりしたくなかったんです。それに、もしもつくったとしても、どれだけつくり込んでも、多分満足できなかったでしょう。まだ足りない、まだ全然違う、てね」

 そう言ってなおもくすくす、と笑う磯田に、彰はほっとしながらカップを唇に当てた。

 ……ああ、そうなのか。

 お菓子のようにコーヒーを匙ですくう磯田を見ながら、彰は思う。

 英一と最初に『パンドラ』の中で再会した時に、それと同じ方法で皐月に会える、そう言われた時に自分でも予想外の強い抵抗を感じた、その理由が見えた気がした。

 自分は自分の中にある「丸ごと」の皐月に逢いたかったのだ。

 もう自分の頭の中にしかいない、その存在に。

 無論、判ってる。『パンドラ』にいる「皐月」は、自分があれから共に過ごした「皐月」とは違う。全く違う場所で、全く違う暮らしをしてきたひとだ。

 だけど、夢が見られる。

 同じ姿をして同じ声をして、同じ調子で自分の名を呼ぶ、その姿が目の前にあれば、それをスクリーンにして自分の夢を投影できる。

 けれど誰か他人の姿を通して会うのでは、その夢が醒めてしまう。

 自分は確かに、自分の皐月と共にいるのだ、そういう夢が。

 微笑みを浮かべたままの磯田の向かいで、彰は不意に、ひどいもの寂しさに襲われた。



 正月二日、彰は宏志の店に顔を出して彼と両親に挨拶した。

 次の『パンドラ』体験は四日の予定だ。

 それにしても、お節も初詣も何も無い、がらんどうの正月というものがこれ程手持ち無沙汰だとは思わなかった。

 もともと休職しているのだから毎日が休みな訳で、なのにそれが正月期間というだけで妙にいつもより時間を持て余す気がする。毎年違った神社に出かけてみたり、皐月の実家に行ったり、そういう細々した用事がすっかり消えてしまったからだろうか。

 そもそも喪中だから正月とは無関係だけれど、それでもまさにこれこそ「寝正月」だな、そんなことを思っていた氷雨の正月三日、彰の携端に思ってもみない人物からの連絡が飛び込んできた。



「……え?」

 相手の言うことが咄嗟には理解できなくて、彰は我ながら間の抜けた声で聞き返した。

『家を、出てきたんです』

 涙にむせた、聞き取りにくい声がイヤホンから聞こえる。

『いま東京行きの、新幹線の中で。……すみません、こんなご迷惑、かけるつもりじゃなかったんですけど』

 電話の主は、満ちるだった。

 泣きながら行ったり来たりする話をまとめると、どうやら姉と相当ひどい言い争いをした挙句に家を飛び出してきた、そういうことらしい。

『こっちの友達の家は、全部姉に知られてるので……もうどうしていいのか判らなくなって、それで』

「判った。あの、じゃ、とにかく駅まで迎えに行くから、落ち着いて」

 必死でなだめて電話を切って、彰はふう、と息をついて。

 どんな喧嘩をしたのか、それはさすがに電車の中では言えないようで聞き出せなかったが、当然英一のことであるに違いなく、ずしんと胃袋が重くなる。 

 今はまだ、彼女に話すべきではない。この先の展望が全く不明な、今の状況では。

 だがそれを隠したままで、この間英一が言った「姉のことをそんな風に考えないでほしい」という内容をしれっと彼女に伝えることも、自分には難しい。

 けれどやって来る彼女はどうにかなだめなければいけない訳で……ああ、どうしたらいいのか。

 悩みつつも時間は無情に過ぎて、彰は駅のホームで目を真っ赤に泣き腫らした満ちると向かい合っていた。

 とにかく詳しい話が聞きたかったけれど、内容が内容なので大勢の人がいるその辺の喫茶店で、という訳にもいかず、悩んだ挙句に近くのカラオケボックスに二人で入る。

 そこでぽつぽつと満ちるが話し出した「喧嘩」の内容に、彰は足元からすうっと体が冷え出すのを感じた。



 先月頭に彰と会って話をしてから、満ちるの中には奇妙な安心感と焦燥感とが同居していた。

 安心したのは、人に話せたからだ。ずっと自分の中にじめじめと溜め込んできて、どんどん発酵していくだけの思いを陽の当たる場所に思い切りさらすことができた。そしてそれを、相手に理解してもらえた。

 それまでは時々、いや頻繁に、こんなことを考える自分は頭が変になったんじゃないか、そんな風に思うことがあった。だけど相手は、自分の膨れ上がった想像を、叩き潰さずに聞いてくれた。疑問は抱いているようだったけれど、自分の話にある一定の筋が通っていることを認めてくれた。

 それがどれだけ、自分にとって助けになったか。

 長年の胸のつかえを吐き出して、満ちるは本当に気持ちが軽くなった。

 だがそれと同時に、じりじりと灼かれるような焦りを感じる。

 吐き出したことで、発展を望みたくなったのだ。

 先へ進みたい。

 こうしている間にも、どんどん時間は経過していく。時が過ぎてしまえばそれだけ過去の出来事を掘り返すのは難しくなる。

 ああしてすべてを吐き出す、という大事業を行ったのに、その先に何も無い、ということが満ちるには耐え難く感じられた。

 相手は兄の本質についてはよく理解していたけれど、日常的なつきあいはあまりなかったようだ。ということはつまり、兄の事故前後の本人の様子などは全く知らない、ということである。

 そして同級生と言っても学部もサークルも違う。つまりは共通の友人はいなくて、そこから兄の様子を探り出すのも困難だ。

 だが自分にできるだけのことはしてみる、別れ際にそう彰が言ってくれたことを彼女は深く心に刻みつけた。何か判れば連絡するから、と。

 けれどあれ以来、相手からの連絡は無い。

 更に時節は年末で、世間のそこに向けての駆け込み感が彼女の焦りを助長した。理由は何にも無いけれど、こうして何の進展も無いまま年を越してしまったら、そこでもうすべてがぷっつりと途切れてしまう、そんな気がしたのだ。

 だが彰からの連絡は無いまま、年が明けた。

 元日や二日は、何とか我慢した。時期が時期だけに旅館のお客も多い。そんな中でも合間を縫って、ささやかに自分達家族の正月を祝う母や姉夫婦をかき乱したくはなかった。

 けれど三日目になって、彼女は耐えきれなくなった。

 それは姉からの、ささやかな、いつもに比べたらいっそ優しいくらいのお小言がきっかけだった。

 正月は勿論大学も休みで、忙しい旅館の手伝いをするのは毎年のことだった。仕事には慣れていて、考えるより先に体が動く。

 けれどこんな状況で、年が明けてからは特に眠りも浅くなり、ふと気づくとただぼーっと休憩室の机の前で座っている、そんな時間が何度かあった。

「――満ちる!」

 頭の遥か上の方から、キン、と降ってきたその声に、彼女はゆるやかに頭を上げる。

 目の前に、腰に手を当てて姉の清美がこちらを睨み下ろしていた。

「何してるの、厨房まわってって先刻言ったよね! あのね、お客様はお正月でも、あんたまで正月気分でどうするの! 浮かれてないで、さっさと動く!」

 つい今しがたまでうすぼんやりと膜が張ったようだった頭が、さっと一瞬で晴れる。

 それと同時に、腹の底から脳天めがけて、熱が噴き上がった。

「――誰が浮かれてなんか!」

 立ち上がり様にさっと手を払って、机の上に乗っていた書類や雑誌を叩き落としながら叫ぶ満ちるに、清美は目を見開いて。

「こんな状況で誰が浮かれてられるのよ! そんな風に見えてるの? ねえ、お姉ちゃんにはずっと、わたしがそんな風に見えてたって言うの!」

 ばん、と手の平全部で机を強く叩いて詰め寄ると、清美はわずかにたじろぐ。

「浮かれたことなんて一度も無い!」

 ポニーテールの頭をきつく振って、満ちるはなおも叫んだ。

「お兄ちゃんが亡くなってから、わたしが浮かれたことなんて一度だってない!」

 そしてそう続いた言葉に、清美の顔色がはっきりと変わる。

 それを見てとって、満ちるの頭は更に沸騰した。

 ――あんな顔をして。

 あれは間違いなく、罪人の顔だ。

 自分が罪を犯したことを知っている、顔。

「浮かれてるのは、お姉ちゃんじゃないの?」

 なおも食ってかかる満ちるに、清美は一瞬、いぶかしげな顔つきになる。

「お兄ちゃんがいなくなったから。それで自分が、ほんとの跡継ぎになれたから。夫婦二人で、旅館のトップにおさまって、全部自分の好きなようにできて、ねえ、ほんとはそれが望みだったんじゃないの? 浮かれてるのはお姉ちゃんの方でしょ!」

 ――ぱん、と甲高い音がして、満ちるの頰が赤く染まる。

 一瞬遅れて、じいんと痛みがきた。

 きっと顔を上げると、目の前にまなじりを吊り上げた清美の顔があった。

 そのきっちり紅のひかれた唇からは、走ってもいないのに短く荒い息が漏れている。

 その唇が、震えながら開いた。

「なんてこと……あんた、なんてこと、言うの」

「ちょっと、何騒いでるのよ」

 廊下の方から母親の声がしたが、二人は全く気がつかずに真正面から睨み合って。

「あんた本気で、そんなこと思ってるの!」

「思ってるよ! ずっと、思ってた! だっておかしいじゃない、お兄ちゃんのことも、お父さんの借金も、全部、何もかも!」

 借金、という単語を口にした瞬間、すうっと清美の顔からいろが抜けるのが判って、満ちるは嵩にかかってじり、と半歩前に出る。

 ――ああ、初めてだ。

 気持ちの暴れるままに怒鳴りながら、満ちるは心のどこかで奇妙にせいせいした、明るい感覚を味わっていた。

 怒っている姉に従わなかったのも、こんな風に真正面からきつく言い返すのも、全部生まれて初めてのこと。

 自分には一生、できないと思っていた。

 自分は永遠にこの人の「妹」で、つまりは格下で、どうしたって逆らうことはできない、そう思っていたのに。

 できた。

 できたじゃない、満ちる。

「……あんた、どうしてそれ」

「わたしになんか、バレないと思った? 子供だしバカだから。隠しておける。そう思ったんでしょう?」

 清美は紙のように白い顔色をして、まじまじと満ちるを見つめて。

「知ってるの。全部、知ってるのよ。お父さんがまた下らないことに手を出して、借金一杯つくっちゃったことも。だからお兄ちゃんが大学辞めなきゃいけなくなったのも。全部知ってる」

「ちょっと満ちる……」

 背中の方から母の慌てた、弱々しい声がしたが、満ちるは振り返らなかった。

「ねえ。どうやったの。その借金、どうやって返したの」

 またじり、と半歩前に出ると、清美がわずかに唇を開かせたまま、逆に半歩後じさる。

「おかしいでしょ。手放すどころか、こんな、新館まで建てちゃって。その借金、一体どこにやったのよ!」

 それがこの場をごまかして逃げようとしている、そんな風に見えて、満ちるは更に逆上した。

「お兄ちゃんが亡くなったのと、その借金と、何か関係あるんじゃないの!」

 もうどうにも止められずにそう叫んでしまうと、後ろで「ひっ」と小さく母親が息を呑む音がする。

「どうしたの? 満ちるちゃん? ……あれ、お義母さん?」

 続けて後ろから義兄の声がして、その時初めて、満ちるは心の隅がちくりと痛むのを感じた。

「……満ちる、それどういうつもりで言ってるの」

 だが向かいで姉の低い声がして、一瞬で意識をそちらに引き戻される。

 姉の顔は蒼白で、けれど目元の辺りがお酒でも飲んだみたいにほんのりと赤らんでいる。

 ――怒ってる。

 それがはっきりと見てとれて、満ちるは急に気後れを感じた。

 姉が本気で、怒った時の顔と声。

 いつもは会話の中では満ちるのことは大抵「あんた」呼ばわりで、けれど本気で怒った時に、彼女は満ちるを名前で呼ぶ。

 その迫力にくじけそうになって、けれどそんな自分に腹が立って、満ちるは殊更にきっと顔を上げた。

 そうふるまえばいいと思ってる。そうすれば黙らせられると。自分の都合の悪いことは全部、そうやって上から頭を押しつぶして。わたし相手にはそれで済む、そう思ってるんだ、この人はいつも。

 だけど今度だけは、負けない。

「お姉ちゃんがやったことの通りの意味よ」

「だから、それがどういう」

 大好きなお兄ちゃんの為に、わたしは絶対、負けたくない。

「――お姉ちゃんが、お兄ちゃん殺して、お金と旅館を手に入れたんでしょう!」

 急にしいん、と辺りが静まって、満ちるの叫びの残響が部屋を満たした。



「――お義母さん!」

 突然後ろから義兄の悲鳴のような声がしたが、満ちるはそちらを向かずに、ひたすらに姉を睨みつけていた。

 清美はどこか唖然とした顔つきでそれを見返してくる。

「お義母さん、大丈夫……ちょっと僕、救急車呼んでくるから」

 背後でそう声がするのと同時に、後ろからぐい、と袖を引かれた。

 満ちるがはっとして見ると、廊下側の入り口に母親がぐったりと壁にもたれるように横たわっていて。

「満ちるちゃん」

 彼女の着物の袖を引いた義兄は、真剣なまなざしで満ちるの目を覗き込んだ。

「僕には全然事情が判らないけど、とにかくその話は、後で聞く。ちゃんと聞くから。なあなあになんか絶対にしないから、だから今は、この場は引いて」

 いつもの義兄に似つかわしくなく早口に言うと、今度は清美の方を見る。

「若女将も。今優先すべきことは他にあります。ここはひとまず、矛を収めて」

 義兄は仕事の場では、清美のことを「若女将」と呼び、言葉遣いも丁寧だ。そのモードで話している、ということは、つまりは「自分が今本来なすべきことを思い出して、私情はひとまず引っこめろ」と言っている、ということなのだろう。

「じゃ、救急車呼んできますから。大女将、頼みましたよ」

 ぽん、と軽めに清美の肩を叩いて、義兄は部屋を出ていく。

 清美は青白い顔色をしたまま、ふーっ、と長い息を吐いて、すとんと肩の力を抜いた。

 それから無言で満ちるの顔をひと睨みすると、すたすたと彼女の横を通り抜けて母親の傍らにしゃがみ込む。

「母さん? 大丈夫?」

 肩に手を置いて声をかけると、母が弱々しくうなずきながらうっすらと目を開いた。

 満ちるはそんな二人を、上から睨み下ろす。

 そうだ、この人はいつもそう。

 悪いのは姉だけじゃない。

 いつも気の強い姉の言いなりで、自分や兄の意見は「我慢して」で、不満を述べようものならすぐに体調不良になって、父の借金を止めることさえできなかった。

 きっと兄のことも、姉に押し切られたのだ。

 自分はひとり弱々しく入院などして、被害者のようにふるまって、けれど結局それって責任逃れなだけじゃないか。

 罪が無い筈がない。

 若さ故の強烈な潔癖感で、満ちるは今までどちらかというと自分と同じ、姉の被害者側にいると考えていた母を、一瞬強く憎んだ。

「……どうして、言わないの」

 唇の奥から、押し殺した声が出る。

 清美がきっと、下からこちらを見た。

「お姉ちゃんのせいでお兄ちゃんがあんな目にあったのに、どうして母さんは黙ってられるの」

「満ちる、黙りなさい」

 低い声で清美が言ったが、勿論満ちるに従う気はない。

「母さんにとって、お兄ちゃんの存在ってそんなものなの」

「満ちる!」

 いきり立つ清美と裏腹に、母はただただ悲しげに目を伏せて。

 閉じかかった瞳から、はらはらと涙が頬をつたう。

 その弱々しさが、ますます満ちるの心に火をつけた。

「旅館とお姉ちゃんの為に、お兄ちゃんの命を犠牲にしたの!」

「やめなさい!」

 とうとう清美は、すっくと立ち上がって両手をぐっと握って叫んで。

「一体どうしたらそんなバカげたことが思いつけるの。ミステリの読み過ぎなんじゃない? 妄想もいい加減に」

「だったらどうして、御堂さんを断ったの!」

 清美の言葉を遮って満ちるが言うと、姉は一瞬、いぶかしげな顔になる。

「みど、う?」

「お兄ちゃんの友達。お線香あげに来たい、お墓参りに来たい、って、あんなにいいひとなのに、どうして断ったりしたのよ! やましいことがあったからでしょう!」

 続いた満ちるの言葉に、あ、と思い出したような表情が清美の顔の上を走った。

「……ちょっと待って、いいひとって、あんた」

「わたし話したからね。御堂さんに全部、お兄ちゃんのこと、借金のことも、絶対おかしいって、全部全部、話したんだから!」

「……!」

 清美の表情が一瞬、ひびが入ったように強張る。

「……話した、て、それどういう」

「わたしはお兄ちゃんの事故にはお姉ちゃんと母さんが関わってる、て思ってる。それも全部、話したんだから! 御堂さん、調べてみる、て言ってくれた! わたしだけを言いくるめればそれで何とかなる、て思ってたら大間違いだからね!」

「満ちる……」

「来ないで!」

 打って変わって、どこか悲壮な表情になって歩み寄ってこようとする清美に、満ちるはそう叫んでぐるっと壁際にまわった。

「今度はわたし? 同じことして、黙らせるの?」

「満ちる」

 姉の声が急に悲しげなものに変わって、満ちるは一瞬、動揺する。

「あんた……あんたほんとに、お姉ちゃんのこと、そんな風に思って」

「もうこんなとこ出ていくから!」

 その声音についほだされそうになってしまう自分が嫌で、振り切るように満ちるは頭を強く振った。

「もうこんなところになんかいたくない! お兄ちゃんを犠牲にして成り立ってるような家に、もう一瞬だっているのは嫌!」

「満ちる!」

 清美の叫びを無視して、満ちるはくるっと身を翻し、廊下とは逆の、事務所側の入り口から外へと飛び出し、走り出した。

   

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