Prologue2『空が光る時』

 何事にも永遠などない、そうキャロルは思っていた。

 我々が暮らすこの地球も、それを照らす太陽も、いずれは朽ち果てる運命。

 私のこの体だって、徐々に年老いて土に還るのを待っているのだ。家族や友人も同様に。


 彼女はアパートの一室で二歳になる息子のエドワードと一緒に、夫のヴィクターとビデオ通話をしていた。

 ヴィクターはエドワードの成長の報告を聞く度に、豪快に笑いながら何度も頷いている。

 彼にとってはエドワードが日に日に成長していくのを楽しみとしているのだ。

 キャロルが怒るまで毎日スカイプによるビデオ通話を申し込んでいたし、彼女の部屋を訪れる度にエドワードの好きなバットマンの玩具を土産に持ってきていた。


 ヴィクターは米軍に所属しており、若い頃は中央情報局CIAの極秘作戦に従軍していたらしい。情報局を抜けたあとも米陸軍特殊部隊のグリーン・ベレーにその身を置いていた。

 彼は今、ニューヨークに住んでおり、アラスカにいるキャロルには二ヶ月に一回の頻度で会っていた。情報局を退いたとは言え、信じている国のために戦う彼も多忙である。それを邪魔するようなことは決してしてはならない。そうキャロルは肝に銘じていた。

 だから彼が通話を申込んだ時はなるべく応えるようにしていたし、エドワードの近況は毎回必ず報告していた。それが彼にとっての清涼剤であるものなら。

 そう、『何事にも永遠などない』。だからこそ家族が関わりあえるこの時間が重要なのだ。


「それで、エディは私が贈ったバットモービルは気に入ってくれたかな?」


 通話中、ヴィクターは切り出す。彼はバットマンの愛車であるバットモービルのミニカーをエドワードにプレゼントしていた。


「えぇ。この間なんか早速タイヤを外してしまって泣き喚いて止まらなかったわ。あの車、構造が複雑で直すの大変だったんだから」


 通話にはエドワードもキャロルに抱きかかえられ、参加している。目を輝かせながら、画面上に映る父親の映像を見ていた。手にはバットモービルが握られてある。


「そうか……。直ってよかったな? エディ」


 映像の中のヴィクターがそう言って手を振ると、エドワードは嬉しそうにキャキャっと笑った。


「パーパ! パパパパ……」


 ヴィクターが驚愕したように眉を吊り上げ、キャロルは思わず頬が緩んだ。エドワードは最近『パパ』という単語を覚えたばかりだったのだ。


「今、私のことを『パパ』と呼んだのか?」


 ヴィクターが半ば取り乱したかのように言う。彼のこんな様子を見たのは、キャロルが現在身籠っている第二子の妊娠を報告した時以来だった。


「えぇ、そうよあなた。最近、言葉を覚えだしてね……」


「そうかそうか……」


 嬉しそうなヴィクターを見ながらキャロルも笑った。




 一週間後。

ヴィクターからの電話がかかってきたのは、エドワードを寝かしつけてキャロルもそろそろ眠りにつこうとしている時であった。

 いつものパソコンでのスカイプではなく、番号からの着信。キャロルは不安になりながらも受信をタップした。

「ヴィック? どうしたのこんな夜中に」

〈悪いなキャロル。エドワードは寝たか?〉

 キャロルは揺り籠で寝ているエドワードを確認しながら、

「えぇ、さっき寝かしたわ。それで電話でだなんてどうしたのよ?」

 通話の奥で、ヴィクターが緊張しているのがわかった。

〈いや、すまないな。内密な話でセキュリティの関係上電話回線がいいだろうと思ってな〉

 キャロルが先を促すと、

〈噂レベルの話にすぎないのだが……君の住んでいるジュノーの付近で人間兵器を所有している組織がいるらしい〉


 人間兵器……。人間の持っている感情を殺し、能力、外見的にも戦闘用に特化された究極の兵器。

 ヴィクターも情報局時代には、人間兵器絡みの作戦をいくつか遂行していた。

 その兵器を所有する組織がキャロルの住んでいるジュノーにいるらしい。


「でも、それは噂の話なんでしょう?」

 キャロルが思っていたことを言う。

〈ああ。詳しいことは私にもわからんのだがな。もう私はCIA所属ではない。しかしこの噂……どうも嫌な予感が拭い去れん。『内乱を企む組織が国内にいる』という話は以前から耳にしていた〉

 キャロルは少し考えた。

 ヴィクターは用心深く神経質なタイプではなかった。しかし、彼を慕う者は多く、この噂も信頼のある人物から聞かされたのだろう。


「わかったわ。すぐ引っ越しの手続きをする」

〈すまないな。万が一の事があれば、ジュノーの地下シェルターに避難しろ。あそこはまだ開いてるはずだ〉

 ジュノーの地下シェルター。万が一の避難所として、地下深くに用意されてある緊急シェルターだ。

〈また連絡する。ではなキャロル、愛してる〉



 それからと言うものの、キャロルの生活は途端に冷たい緊迫感が漂うそれと化した。

 エディと外に出ることもなくなった。エディは家の中で退屈そうにバットモービルを転がしている。

 本当は外で遊びたいんだろうとキャロルは思った。外の公園の砂場でバットモービルを思い切り転がしたい。泥だらけになって遊んだ後、熱い風呂に浸かってふかふかのベッドで寝たい。言葉は喋らなくてもキャロルにはわかっていた。


 それからしばらくが経ち、食料の備蓄が尽きつつあった。エディを例のシェルターにバットマンの玩具とともに預け、買い出しに出る。

 愛車の緑のジープを転がしショッピングセンターに向かってる道中、エディのことが無性に気になったがその感情を押し殺し、ハンドルを握る。


 買い物を終えると、ジープに乗り込む。

 道中には、人集りを作り空を指差している人がいた。キャロルはふとその空を見上げる。

 巨大な放射状の球体がひこうき雲のような尾を引きながら降ってきていた。

 あれはなんだろう。そう思った刹那、轟音と共にジープの背後に居た人集りを吹っ飛ばした。

 キャロルは心臓が口から出る思いで、ジープを停め背後を見る。

 巨大な洞穴クレーターがそこにはあった。粉塵と砂埃が舞い、彼女に降り注ぐ。

「どうなって……」

 思わず独り言ち、空を見上げる。

 雲の向こう側に、無数の光るものがあった。一つはこちらの方に、もう一つは南側に向かっていた。エディのシェルターのところだ。

 急がないと。ジープに戻りアクセルを全開にする。

 轟音が次々ととどろき、地面を響かせる。逃げ惑う人々は女子供問わず次々と肉片、肉塊に変わっていく。

 キャロルは心臓を鳴り響かせながら、ジュノーの通りをジープで疾走していた。

「エディ、エディ、……お願い」

 呪文のように唱える。


 コンビニを抜けたところで、目の前の地面が割れ、キャロルは小さな悲鳴を上げハンドルを思いっきり切った。

 ジープはぐるぐると横転し、ガラスが割れ、破片がキャロルの顔中を切った。

 痛みを感じる暇も惜しく、ジープを諦め、車を降りて走る。

 お腹の子は大丈夫だろうか。そう思って腹を抱えながら走った。

 シェルターまであと数マイルのその時、近くの工事現場に赤い熱線が走り、バラバラになった鉄パイプがこちらに降り注いだ。

 キャロルは顔をかばい走り抜けようとしたが鋭いパイプが彼女の足に突き刺さる。

 悲鳴を上げ、キャロルは足を抑えた。

 なんとか動かそうとするが、思うように行かない。アキレス腱が断ったらしい。

 キャロルは息を荒げ、空を見た。巨大な光がこちらに向かっている。

 

 何事にも永遠などない。だから自分は幸せな家庭で、その生涯を全うしたかったらしい。

 せめてこのお腹の子を産みたかったがそれも叶わぬ夢か。

 そう思い、自嘲気味に笑う。

 キャロル・バーンズはエディの無事を祈り、目をつむってその時を待った。



 アメリカ空軍が極秘裏に開発した衛生レーザー『テッツイ』はテロ組織が潜伏している合衆国のジュノー市を焼き払った。

 ジュノー市はかつてない深刻な被害を受け、死傷者は7万人にも及んだ。

 後にアメリカ国防総省はジュノー市の厄災を「隕石の落下による不運な天災」として片付けた。

 それ以降、ジュノーの話は国民から忘れ去られようとしていた。


 ある男を除いては。



 テッツイがレーザー攻撃を実行した日、ヴィクター・バーンズは同志の操縦するヘリを降り、ジュノーの地に立った。

 ヴィクターはこの街ののどかで爽快な町並みが好きだったが、今は見る影もないほど炎上、崩壊してしまっている。

 四方八方から悲鳴やうめき声、咽び泣く声が聞こえる。

 ヴィクターは乗り捨ててあった車に乗り、アクセル全開で急発進させた。

 シェルターの近くに辿り着いたところで、何かに気づき車を停める。

 車を降りたヴィクターは地面に転がった手首を見た。

 結婚指輪が薬指にはまった手首が血を走らせつつ落ちている。ヴィクターの右手にはまったものと同じ指輪が。

 キャロルの手だ。


「キャロル……そんな。神さま……」

 口に出した言葉は炎の音にかき消される。それがとても虚しくなりヴィクターは歯ぎしりをし、嗚咽を押し殺した。

 信じていた国に妻を奪われたこの気持ちを私はどうすればいい? 私は少なくとも昨日までこの国に絶対の忠誠を誓っていた。なのに、こんな仕打ちはあんまりではないか。

 目をぎゅっとつむり爪が皮膚に食い込むほど拳を握り、ヴィクターはしばし項垂れていた。


 どこかで赤子の泣き声が聞こえ、ヴィクターは我に返った。

 ヴィクターは全速力で声の方、シェルターのところへ走った。

 ごうごうと燃える火柱の中からその声が聞こえる。

 迷わずその火柱を素手でどかした。手のひらが焼けるように熱かったがキャロルとお腹の子を失った今、そんな痛みはちっぽけなものでしかない。

 掘るように火柱を続けざまに動かし、中に煤で汚れた顔をグシャグシャに歪めた赤子を発見する。

 エドワード・バーンズ。キャロルの忘れ形見。私の息子。

「エディ! パパだぞ! もう大丈夫だ」

 エディを抱きかかえ、その頭を撫でる。


 エディの前で泣くことはできない。ヴィクターはそう思った。

 もしこの子が自分の泣いてる姿を目撃したものなら、その瞬間に脳裏に私の泣いている顔が刻まれ、大きくなってからもその顔が忘れず、生涯に渡って『腰抜けで泣き虫な父親』の汚名が着せられるだろう。

 

 ヴィクターは抱きかかえてから泣き止みつつある我が子を見て、それから妻と第二子を奪った空を睨んだ。暗い空には欠けた月が浮かび、悲劇が起こった街を見下し、嗤っているように見えた。

 さて、これからどうしよう? ヴィクターは心にどす黒い怨念の炎が燃え上がるのを感じた。



 燃え上がる街に一人の男が赤子を抱えながら立ち尽くしている。

 しばらくすると彼は歩き、暗い炎の中にその姿を消した。

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