交易都市の片隅で

@3838

Short Story

第1話 ライラックの花の咲く頃に

その公園は薄紫色や真白、薄紅に青紫の彩で鮮やかに埋め尽くされていた。

都市の名前に冠されたその花は今が見ごろで、美しいその花とかぐわしい香りに数多くの人が癒されている。


「見事だな」


誰ともなしに呟くと、ここまで案内してくれた少年が「だろう」と自慢げに笑う。


「ライラックのピースフル公園っていえば、今が旬!

 お兄さんもお目当てのかわいい子が出来たら、ここでライラックの花冠をその娘にあげてみ?

 もうさ、兄さんのルックスなら落ちたも同然だぜ」


少年のからかう言葉に、旅人は苦笑した。

帝都から自由都市連盟群へ南下してきた旅人だったが、その街道の中ほどにある交易都市については、帝都にてある程度の情報は仕入れてきている。

それら情報の中でも、娯楽劇で演じられている恋人たちがライラックの花冠をやり取りし、己らの愛を示しあう行為が、貿易都市ライラックの中央に位置する公園が由来となっているのは有名な話なのだ。


「残念ながら、根無し草の旅人だからな」


そんな楽しいことにはならないだろうと言外に言い捨て、少年に案内料だと小銭をつかませた。

少年はニヤリと笑うと「毎度あり」とキャスケット帽を軽く動かし、踵を返す。

旅人は少年の姿を追うことなく、咲き誇るライラックの花に魅入られた。

清涼感のある香りがあたりを漂う中、人々が賑やかに行きかう。

それを目当てに店を出す露天や屋台などが立ち並び、公園には人通りが絶えない。

旅人はあたりの風景を目を細めて眺めながら、ゆっくりと歩を進めていった。



☆ ★ ☆



公園のはずれのベンチにぼんやりと座った私は、今日も飽きずに人通りを眺める。

ライラックの花が咲くころに帰ってくると言って旅立ったあの人。

花冠を贈ってくれる約束をかたくなに信じる私に、家族はあきらめろと説得続けている。


(今日も来ない……)


自分でもわかっている、わかってはいるけれど、信じたくないものは信じたくない。

彼を信じる気持ちと、周りの説得に頑なになっているのと、ほんの少しのわがまま。

ぐちゃぐちゃの気持ちのまま、惰性のように約束の場所で待ち続けていた。

真っ赤な夕日が西の空を染め上げ、群青色の帳が空を覆いはじめた夕暮れ、長い影法師を引き連れて人々が家路を急ぐ。

今日も待ちぼうけだと自身の影を見つめる私の前が陰り、視界の中に編み上げの靴が入ってきた。


「カラリナ?」


呼ぶ声に目を開き、慌てて振り仰ぐ。

視線の先には褐色の若者がいて、私は首を傾げた。


「違うのか?」


人違いかと嘆息する若者に慌てて私は「違わないわ」応えを返す。

若者は私の頭の先からつま先まで視線を這わせ「ふーん」と詰まらなそうに息を吐いた。

そして、背負っていた袋をドサリとおろすと、ガサゴソと中をまさぐる。


「届け物、ほら」


袋の中から無造作に取り出されたのは、様々な色のライラックが綺麗にまとめられた花冠。

それを何のためらいもなく若者は私に差し出した。


「あー……」


受け取ることをためらう私に、若者は気まずげに声を出しつつ、その花冠を私に押し付ける。

それでも受け取っていいものかと「どなたから?」と気後れして問いかける私に、若者は「あっ」と息をのむ。


「そういえば……きいてねぇ」


花冠を持っていない方の手でぐしゃりと前髪を掴んで困ったように私を見下ろした。

私はゆらゆらと視線を惑わす。


「この公園で一番濃い赤紫色の花の下で待つ、カラリナって人に渡してほしいって、頼まれたんだ」


私は頭上に咲くライラックの花を見つめた。

この公園の中で一番濃い色の花の咲く、あの人との約束の場所。


「……」


何も言えず、ただ嘆息して、そっと差し出された花冠に触れる。

その瞬間、私と若者はギョッとしたように目を見開くことになった。


「花冠が?!」


ハラハラと花冠を彩っていたライラックの花びらが散りだして、みずみずしかった花の鮮やかさがなくなり、綺麗なハート型の葉が茶色く皺枯れる。

カサカサの花と葉が公園を横切る一陣の風に飛ばされ、二人の間で花冠の原型を留められず朽ちていった。

何も言えずただ、花冠だったものがあった場所を凝視する私と若者。

その時、公園の入り口の方から呼びかける声が聞こえた。


「おばあちゃんっ!!」


私が振り向くと、孫娘が「やっぱりここにいた」と呆れたように笑った。


「もう日も暮れて寒くなってきたよ。みんな心配してるから、帰ろう?」


彼女は私の手を取ると立ち上がらせる。

私は片手に杖を、反対の手で孫娘の手を取るとゆっくりと立ち上がった。

そして、曲がった腰を少し伸ばし、不可思議な花冠を届けてくれた若者を仰ぎ見る。


「ありがとう」


そっと呟く私の姿を、狐につままれたような顔で若者は見つめていた。

知り合いかと目線で問いかける孫娘に笑いかけた私は、ゆっくりとお辞儀をして、家路へとつく。

明日から、もうこの公園で待つことはないだろうとほんの少しの寂しさを覚えながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る