第16話
「えー、春咲 雪菜。……春咲は今日も休みか」
壇上に立つ担任の教師は出席簿に何やら書き込むと、事も無げに点呼を続ける。
春咲さんが休んでから今日で3日。担任は風邪が長引いているとしか考えていないのだろう。
事情を知っている僕の額には冷や汗が浮かび、思わず固唾を呑む。
――どういう事だ?
彼女は確かに昨日『明日は登校する』と僕らに伝えていた筈だ。
顔色はそこまで良くなかったが、学校を引き続き休む程度では無かったと思う。
隣の席へ目配せすると、隣人も僕と同じ様子で頷く。
やはり、何か問題があったと考えるべきだろうか。
HRの静けさの中、対して僕の心中は穏やかでは無かった。
頭の片隅で警鐘が鳴り響いてる様な……、この感覚には酷く覚えがあったからだ。
杞憂であればいいが、今回は"得体の知れない何か"が絡んでいる。
奴らはいとも簡単に常識の限りを超えて来るのを僕は知っている。悠長に構えていると、取り返しの付かない事態に発展するかも知れない。
早い所先輩に相談し、解決を急いだ方が良いだろう。
僕は逸る気持ちを抑えて最初の休み時間を待った。
※※※※※※
「先輩!!」
上級生の教室に、又も僕の声が響き渡る。
賑やかだった教室は一瞬だけ泡沫が弾けたように静まり返ったが、すぐに喧騒を取り戻した。
二度目ともなると、流石にそこまで驚かないか。
窓際の一番奥の席、何やら先輩は一人手元に集中していた。
結構な大声で呼んだ筈だが、それでも気がつかなかったのだろうか。
「なに何?おば研の子??」
ドアの近くにいた複数の女生徒が興味深々に尋ねて来る。
彼女達には悪いが、今は世間話をしている暇は無い。
「すみません。先輩を呼んできて貰えませんか?」
頭を下げてお願いすると、「私達も先輩なんだけどな〜」と苦笑いしながらも連れて来てくれた。
席を立ち上がり、こちらに来るまでの間も先輩はずっと手元に集中していて足取りが危うげだった。
栗色のふわふわとした長髪を揺らし、壁にぶつかりそうになりながらも僕の元へと無事辿り着く。
「……先輩、何をしているんですか?」
「うん」
まるで返答になっていない。
彼女は上の空に返事をして、俯いたままでいる。
その視線の先には随分と煤けた多角形の箱があった。
「何ですかその箱は」
「うん」
よく見ると所々が隆起していて、仕掛けを解除しないと開かないようだ。
一緒になってじっと覗き込んでいると、ふいに寒気がして背筋が震えた。
途轍もなく嫌な予感がする……。
僕が反射的に先輩から距離を取ると、それと同時に『カチッ』っという音が彼女の手元から鳴る。
仕掛けの一つを解いたみたいだ。
「これは、アンフェル」
「アンフェル?」
満足気に鼻から息を吐いた先輩が、聞いた事も無い名称を口にした。
疑問の表情を浮かべている僕に、「そんな事も知らないの?」とでも言いたげなジト目を向けて来る。
先輩にとっては当たり前の事でも、最近になってオカルトを研究し始めた僕には知らない事が多い。
「普段部室で何調べているのよ……。ネットで有名なオカルトアイテム。中には極小サイズの地獄が詰まっているんですって」
「はぁ……えっ?」
な、なんだって?
僕の嫌な予想をいとも簡単に超えて来たせいで、脳の処理が全く追いつかない。
極小サイズの地獄が詰まっている……?
いくら考えても意味がわからないが、その単語から只ならぬ曰く付きのオカルトアイテムだという事は予想に難くない。
毎回思うが、彼女は一体何処からそういうアイテムを仕入れて来るんだろう。
未だ得体の知れない先輩に、僕はおばけと同等の畏怖を感じる事が今でも偶にあった。
彼女は又しても手元に集中してしまったが、しかし僕には早急に相談しなければならない事がある。
ロクな返事は期待出来なかったが、それでも試しに尋ねてみた。
「……隣町の廃屋を知っていますか」
「うん」
「僕のクラスメイトがその場所に行って、何日も学校を休んでいるんです」
「……」
「廃屋に行った最後に何か恐ろしいモノを見たそうで、もしかしたら"おばけ"絡みかもしれません」
「うん」
「……先輩」
「うん」
やはり駄目か。
先輩は一度何かに集中してしまうと、他の事は眼中に無くなる。
世の中を斜めから捉える発言が多かったり、一介の学生が知り得ない知識を多く持っていたりするが、彼女の根っこの部分は子供だった。
落胆していると、再び目の前から音が鳴る。
しかし今度は『ベキッ!』という鈍い音で、何かを破壊したのは明らかだった。
見ると、箱の側面から飛び出していた仕掛けの一つが無惨にも折られて、先輩の右手にはその欠けらと思しき物があった。
「あ〜あ……。人との会話中に変な事をしているからですよ」
僕がそう言って苦笑していると「……ッチ」と小さく舌打ちをして、何を思ったのか突然箱を頭上に掲げ上げた。
あっ、と思うのも束の間。先輩はそのまま腕を思いっきり地面に振り下ろし、アンフェルとかいうそれは勢いよく地面に叩きつけられる。
「ちょ、ちょっと!何してるんですか!」
「このっ!このっ!!」
立て続けて、先輩は鬼の形相で箱をゲシゲシと踏みつけ始めた。
彼女の見た目からは想像出来ない様な罵詈雑言を吐き付けて。
あぁ、極小サイズの地獄が!
呆気に取られていると、箱の蓋が僅かに開くのを僕の目は捉えてしまった。
―――――――ギァァアアアアアッ!!
次の瞬間、脳を揺さぶる様な絶叫が箱の隙間から溢れ出た。
その声は男とも女とも知れない低い声音で、聞いた者の全てを奈落の底へと引きずり込むかのような――
――グシャッ
古い木材がひしゃげた音がして、ついにアンフェルは先輩の小さな足によって無惨にも破壊された。
「しょうもな」
ボソッと呟く彼女に、僕は信じられないモノを見たような顔をする。
今の叫び声が先輩に聞こえかった筈は無い。それを"しょうもな"の感想で終わるなんて……。解ってはいたが、なんて恐ろしい人なんだ。
そのまま足元の木片を掻き分けて中身を確認し始めた先輩だが、何も見つからなかったのか溜息を吐く。
「極小サイズの地獄が"空っぽ"ね、意図していたのならとんだ皮肉屋だわ」
「た、祟られたらどうするんですか!?」
「まぁ、大丈夫でしょ」
上履きを揺すって、付着した木片を払いながら根拠も無くそう言う先輩。
こちらに飛んできた破片に気持ちの悪さを覚え、再び距離を取った僕に続けた。
「わたし、地獄なんて信じてないし」
「はぁ?」
的を射ない発言に首を傾げていると、もうアンフェルには完全に興味を失くした調子で話題をいきなり変えてくる。
「そんな事より廃屋だけど、あれには関わらない方がいいわ」
「そんな事って……。何でですか」
さっきの悲鳴は何だったのか、という疑念は尽きないが僕も一旦話を戻す。
しかし、相変わらず切り替えの早さが人並みではない。
そうだ、本題は廃屋の話だ。
奇想天外な先輩のペースに飲み込まれて、危うく忘れかけていた。
……そりゃ僕だって出来れば関わりたくないけど、今回はそうもいかない事情がある。
掃除用具を持ってきた先輩にしつこく理由を尋ねるも、何故かはぐらかすばかり。
「ん」
それだけ言ってチリトリを渡してくる。
仕方なく受け取り、文句も言わずに先輩の足元に跪くと何故だかちょっと悲しくなった。
完全に尻に敷かれている。
「詳しい事は部室で……、というかあんた昨日無断で休んだでしょ」
ギクッ
話題に上がらなかったから、てっきり忘れたものだと思っていた。
平謝りする僕を見下ろした先輩は、鼻で一つ息をするだけに留める。
「……すみません。今日もその休んでいる子の家に様子を見に行く事になっているので、部活には行けません」
HRが終わった直後、隣人と西村さんと話し合った結果だ。
僕らは今日も放課後、春咲さんの自宅へお見舞いに行く事になっている。
何か文句を言われると思ったが、特に何も言わずに掃除を続ける先輩。
うぇえ、木っ端を見ているだけで気分が悪い……。
「まぁいいわ。とにかく、あの廃屋には近付かない方がいい」
「わかりました、極力そうします。あ、それと前回借りたお札ってまだあります?良かったらまた借りたいんですけど……」
お札とは、心霊写真の一件で僕を怪異から守ってくれた先輩の謎アイテムの一つだ。
アレさえあれば、春咲さんも一時的に難を逃れるかもしれない。
そう思って頼んでみたのだが、先輩は何が面白いのか意地の悪そうな笑みを浮かべると「くふふ」と笑った。
「な、なんですか」
「あれは、思い込みの激しいあんたにしか効果は無いわ。わたしが適当に作ったモノだし」
愕然とした。
まさか、プラシーボ効果だったとでも言うのか。
「で、でも!受け取った時"ビリッ"と電気が走った感覚が……」
「静電気じゃない?」
又しても僕は肩を落とした。
詐欺だ、プロの詐欺師がいる。
「おばけだって、地獄だって、信じていない人には無いのも同じ。お札を見たあんたが、"これさえあれば大丈夫"と強く思い込んだだけ。まぁ、それで効果があるのは初めて会った時から知ってたけど」
その言葉に、先輩と初めて出会った時の事を思い出す。
――そうだ、先輩は僕の深層心理とも呼べるモノを直接見ているんだった。
思わず赤面する。
尚もお腹を抱えて笑っている先輩を見て、もう少し人を疑う事をしようと心に決めた。
「もういいです、ありがとうございました」
「あ、ちょっと!まだ掃除終わってないんだけどっ!」
僕を引き止める声が背中にぶつかるも、聞こえないフリをして教室へ戻る。
少しくらい、反抗しても許されるだろう。
とにかく、これで先輩に頼れる事は一先ず無くなった。
放課後春咲さんの家にもう一度行って、もしおばけ絡みだったとしたら再び先輩に相談しよう。
教室に戻っている最中、始業を告げるチャイムが鳴ったので急ぐ。
この時はまだ、根拠も無く何とかなるだろうと軽く考えていたのだった。
しかし――
放課後まで何事も無く過ごし、春咲さんの自宅に辿り着いた僕らは言葉を失った。
「それがねぇ、雪菜はさっき何処かへ出掛けてしまったのよ」
――春咲さんのお母さんは心配そうな表情で、不可解な一言を僕らに告げた。
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