カルテット番外編「帰れの部屋」

椎堂かおる

第一幕:四十六個のクッション

「猊下の部屋ってさあ、ほんとに殺風景だよね……」

 がつがつ林檎を食いながら、レイラスが私の部屋の長椅子に寝そべっていた。

 本音を言えば、彼は床に寝そべりたいらしいのだが、それは不潔だ。人が土足で歩いているところなのだぞ、と一度諭すと、彼は極めて不愉快そうな顔をし、それから二度と私の部屋の床には寝そべらなくなった。

 言われてやっと気づいたのだろう。人が土足で踏みしめた床に寝そべるのが、不名誉だということに。

「いつも思うんだけどさ、何かもっと飾りになるようなものを置いたら? 壁になにか掛けるのでもいいしさ、せめてもうちょっと凝った絨毯を敷くとか、花のひとつも飾るとか、宝飾のある照明とか天井飾りとか、香炉とか、御簾みすとかよろいとか、宝剣とか、何かそういうの、あるだろ? 普通は部屋に飾ってあるようなものがさ」

 いつも通りレイラスはぶつぶつ言い続けた。私はいつも通り、それに背を向け、書き物机ビューロウに向かってものを書いて、全く聞いていないふりを続けた。

「何もないの? だったらさ、僕がなにか持ってきてあげようか。そういえば丁度、王都から新しい荷が届いてさ、前に僕が手紙に、トルレッキオにはまともなクッションもないんだよ、薄汚い毛布に干し草が詰めてあるようなのしかないよって書いたのを、父上が哀れんでくださったようでさ……」

 しゃり、もぐもぐと、林檎を噛む音がした。

「刺繍入りのクッションが、五十六個も届いたんだよ。すごいだろ。もちろん本物の宝石がついてて、中身は真綿だし、芯には香木が詰めてあるから、すごくいい香りもするしね。実用性もありつつ、美術品としての価値もある、ものすごい逸品なんだよ」

 レイラスの口振りは、いつものように、かなり恩着せがましかった。

「四十六個くらいあげるよ、猊下」

 にこやかなような口調で、レイラスがそう言い、私は筆を置いて、ゆっくり彼をふり返った。

「いらないな。あいにく、この部屋には、干し草を詰めたぼろ毛布で間に合っているよ、レイラス」

 私は断言した。それでもレイラスは微笑のままだった。

「遠慮しなくていいんだよ、猊下」

「四十六個もあって、どうするんだ」

「どうって。この長椅子とか、寝台ベッドの上とか足下とか、床とか床とか、とにかく、そこらへんにバラ撒けばいいんだよ。そういうものだろ?」

 そういうものなのか。彼の故郷では。

「バラ撒きたいなら自分の部屋にバラ撒いたらどうだ」

 思ったとおりのことを私は口にしたが、するとレイラスの眉間に一瞬にして、極めて不愉快そうな皺が寄った。見慣れていなければ、ぎくりとするような表情だった。しかし今さら、この黒エルフの美貌がなんだというのだ。私はその程度で動じはしない。

「もうバラ撒いたよ。そしたらイルスに怒られたんじゃないか。部屋を散らかすなって」

 レイラスは明らかに苛立っている口調だった。

 なぜ私が苛立たれなければならないのか意味不明だ。

「あいつはさ、異文化に対する敬意が足りないんだよ。いくら自分が板きれ一枚敷いただけのほったて小屋で育って、靴も履かずにうろうろするのが好きだからって、僕にまでそれを強要するのはどうかと思うよ。こっちは王宮育ちなんだ。贅沢するのに慣れているんだよ。あいつと違って、犬ころみたいには暮らせないんだ」

「喧嘩したのかレイラス」

 今月何度目だという含みを込めて、私は確かめた。

「してないよ。あいつが勝手に怒って、この居間に許せるのは十個までだとか抜かすもんだから、僕も呆れて出てきただけさ。どういう基準なんだよ、それは。僕が僕の居間に僕のクッションを百個置こうが二百個置こうが、そんなの僕の勝手だろ?」

 彼はいかにも自分が正しいという口調だった。私は無表情なまま、レイラスのその眼光鋭い金色の目と見つめ合った。

「ひとつ意見してもいいだろうか」

「なんだよ猊下」

「君は”僕の居間”というが、あれはフォルデスの部屋じゃないのか。君たちの部屋は元々二人分だった学寮の部屋が、壁を打ち抜いて一続きに繋がっているだけなんだろう。つまり、なにもかも二つずつあるわけだ。そうだろう?」

 私が指摘すると、レイラスは鬱陶しそうに首筋にかかる長い髪を払いのけながら、ぞんざいに何度か頷いてみせた。

「それは、居間も二つあるということだろう。しかし、私は君たちの部屋の居間は、ひとつしか知らない。もう片方のは、どうなっているんだ」

 ずっと疑問だったことを、私はとうとうレイラスに訊ねた。

「物置だよ、猊下。もうひとつの居間だったところは、僕の物置になっている」

 レイラスは恥ずかしげもなくそう答えた。

 私は初めて眉をひそめた。

「物置ではなく、それが君の居間なんじゃないのか、レイラス」

「そういう考え方もできなくはないね」

 レイラスは煩そうにそう答え、食べ尽くした林檎の芯を、ぽいとそこらに放った。私は、ころころと転がっていく、案外綿密に食われている林檎の芯を見送った。

「考え方の問題ではない。君はフォルデスの居間を侵略している。そこに十個もクッションを置いていいというなら、相当に寛大な領地割譲じゃないか。文句を言われる筋合いじゃないだろう」

「そうだろうか」

 不満そうにレイラスは私に反論してきた。

「置きたいなら君の居間に置け」

「そうしてもいいけど、あっちに置くと、せっかく送ってもらった見事な刺繍が、眺められないじゃないか。とても居られたもんじゃないんだ、あっちの部屋は。ただの物置なんだから」

 私はその部屋を見たことはないが、それにも関わらず、頭がくらっとした。

「僕は眺めて楽しみたいんだよ。父上からの送り状には、品物は厳選したが、作らせた品はどれも出来がよくて、これ以上、数を削れなかったから全部送ったって書いてあった。無理もない。実物を見たら、無理もないっていうことが、あんたにだってよくわかると思うよ、猊下」

 わかるかどうか自信はなかったが、わかりたくもなかった。

「それでも泣く泣く十個までは絞り込んだよ。イルスが、そうしないんだったら窓から全部捨てるっていうんだ。馬鹿じゃないの、あいつ? そんなことして何の意味があるのさ。馬鹿だよね、ほんと……」

 吐き捨てるようにレイラスは言い、口調の通りの苦り切った顔をした。

「でも、どうも本気みたいなんだよ。あの目を見れば、それがわかる」

 怖気だったように、レイラスは微かに震える小声でそう付け加えた。

 震えるほどの何が、あの温厚そうなイルス・フォルデスにあるというのだ。私は彼と喧嘩らしい喧嘩などしたことはない。もしや怒っているのかと感じる瞬間はあるが、震え上がらねばならないような危機感は感じたためしがない。

「しょうがないから、残りの四十六個は、猊下の部屋に置いてよ。そしたら、時々来て眺められるからさ」

 退屈なのか、レイラスは長椅子にだらしなく寝そべったまま、自分の指の爪を眺めていた。

「私の領土まで侵略しようというのか。さすがは砂漠の黒い悪魔の息子だな。この侵略者め」

 私はまた思ったとおりのことを言った。するとレイラスはまるで鞭で打たれたように、びくっとして飛び起きた。

「どういう言いがかりだよ猊下! 僕の父上は侵略者なんかじゃない。こっちの領土を侵略してんのは森エルフとか、あんたの部族のほうだろ? 父上はその失地を回復なさっただけだ。それのどこがいけないんだよ」

 そう言うレイラスはまさに吠える猫だった。猫が吠えるとすればだが。

 私は咳払いした。冷静さを保とうと思って。

「話をすり替えるな。その話じゃない。私の部屋に君のクッションを持ち込む権利はないという話をしているんだ。フォルデスは許したかもしれないが、私を甘く見るな」

 どうやら私は怒っているようだった。うっすらとだが怒っている。

 それを見て、レイラスは急に、にこやかになった。にこにこしていると、彼はまさしく、媚びる猫のように見える。

「まあ、そう、かっかしないでよ、猊下。僕は大事なクッションの保管場所を得る。猊下はこの殺風景な部屋に豪奢な刺繍入りクッションという望外の調度品を得る。それでお互い、いいことづくめじゃないか」

 切々と語るレイラスは本気で言っているかのように見えた。

 私は内心、微かに震えた。何に身震いしているのか、自分でも良く分からなかったが、とにかくぶるぶると微かな震えが内蔵の奥底からこみ上げてくるのに耐えた。

「帰れ、レイラス」

「なんでだよ」

 いかにも不当だというように、顔をしかめ、レイラスは私に抗議していた。

「何が、なんでだよ、だ。そもそも、どうして君がここにいるんだ。私の部屋だぞ」

「友達だろ?」

 まるで私のほうが間違っているかのように、レイラスはこちらの人格を疑う口調だった。

「友達?」

 友達というのは、黒エルフ語では物置という意味なのか?

 という言葉が、舌先まで出かかったが、私は耐えた。それを言うべきかどうか、瞬時に判断しかねた。

「違うの?」

 レイラスは今までで一番不愉快そうな顔をしていた。

「違いはしないが……」

「じゃ、クッションの十個や二十個や四十六個くらい、二つ返事で引き取ってよ。それくらいしてくれたっていいだろ、友達なんだから」

「なぜ私なんだ。マイオスにも頼んでみたのか。四十六個というのはかなりの数だぞ。マイオスと半々にして、二十三個ずつではだめなのか」

「だめだよ。シェルはものを食いながら本を読んだり、三日に一度はお茶とかなんとか、ところかまわずこぼしてるだろ? あんなやつの部屋に置かせたら、僕のクッションが汚れちゃうじゃないか」

「それを言うなら他人に預けること自体に問題がある」

 私がそう教えると、レイラスは軽く背を仰け反らせ、いかにもおかしそうに笑った。

「まさか。猊下んとこに置いとけば平気だよ。自分の部屋に置くよりずっと安全さ。いつ来ても塵一つ落ちてないし、この干し草を詰めたぼろ毛布だって、いつも寸分違わず同じ場所にあるじゃないか? その机の上にあるインク壺だって、僕の目で見るかぎり、髪の毛ほどの位置の狂いもないよ。だいたい、毎日ごそごそ何か書いてるのに、机にも周りにもインクのしみひとつないなんて、あんたは異常だよ。汚しちゃまいずいものを保管するのに、この部屋ほどうってつけの場所はないね」

 レイラスはにこにこしていた。

「……レイラス、友達というのは、黒エルフ語では物置という意味なのか?」

「いいや。違うけど、なんで?」

 レイラスはにやにやしていた。悪い猫のようだった。

 皮肉というのは、使い時を間違えると、何の効果もないのだった。

「悪いんだが……帰ってくれないか」

「いいよ。今日のところは。クッションはいつ運ばせたらいいの?」

「いらないな、そんなものは」

「まあまあそう言わず。じゃあ、いきなり四十六個とは言わないから、まず一個か二個か三個くらい……」

 猫なで声で言うレイラスに、私の頭の中でなにかがぷつんと切れるような気配がした。

「帰れ」

 私は努めて冷静にそう言った。しかし、口を突いて出る時、その声はなぜか怒鳴り声になっていた。

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