町娘《モブ》

米米米ン(まいまいまいん)

第1話 普通の女の子

 深緑色のカーテンで囲い、若草色の絨毯を広げたその地にポツン……と建った一軒のあばら家があった。

 その場所から聞こえる、さらさらと流れる川の音は心地良い程耳に届き、朝の目覚めを清々しく麗らかなものに変え、今日これからの時間は素晴らしい物になるだろうと心を前向きにさせる。


 ***


 ボロボロの木の床に乱雑に広げられている薄汚れた布団からーーというには緩衝性が無さすぎるがーー起き上がると、コトコトと火をくべる音が聞こえた。その音に少し慌てて自分に掛かった一枚布を取り払い、パタパタと布団と布を畳んで隅に寄せ扉に向かう。

 ギシッといつまで経ってもなれない音が床を踏むたびに鳴って背中の中央に響く。立て付けの悪い扉は綺麗に開かず、最初は少しの間抵抗してから途端に勢いよく開いた。


「おやまあ、今日は遅いのね。もう町に出ちゃったのかと思ったわ」


 白髪を頭の上で団子に結んで白い服に赤褐色のエプロンをきた腰の曲がったおばあさん、私の祖母ローラは鼻にちょんとのっけた眼鏡の奥で目を細くしながらそう言った。

 私は祖母のくべた火を消さない様に部屋に置かれた薪を少しづつ足していく。少し時間が気になって既に空いた扉から外を見るとすでに明るくなりかけていた。


「大変、もう日が昇っちゃうわ! もう、私ったら何をしてるのかしら、すみませんお婆様」


 祖母は息を漏らして笑うといいの、いいのと言って椅子に腰かけた。良くないです、と私は大急ぎでエールを淹れて祖母の前に木の皿にのったフラットブレッドと一緒に置くと、自分の分のフラットブレッドを口に咥えて「行ってまいります」と家を飛び出した。

 この森は少し町と離れていて、それこそ早朝から向かわないと市場の競りに間に合わない可能性があるのだ。私はなるべく駆け足で、地面から波打つ木の根っこに気を付けて、コットの裾を持ち上げ町に急いだ。

 市場に着くともう皆品を見ていて、私の目的の人も品定めをしていた。私がカタカタと木底の靴で駆け寄るとその人物はこちらを見てニカッと笑った。


「どしたいどしたい、レウちゃんが寝坊なんて珍しいじゃないの」


「申し訳ありません、ガンダおじさん」


 ガンダおじさんは魚屋を営んでいて私は市場でよく手伝いをしている。何故手伝いをしているかと訊かれれば、一重に鳥目を得る為としか言いようがない。

 私はおじさんに頭を下げて反対方向の品定めに向かう。尻尾を落とされ、鮮やかなピンクと白の層を剥き出しにした巨大な魚や、肌が艶めき薄い黄色のラインが入った大きめの魚などをしっかり見る、傷がないか、鮮度はどんなものかなど。じっくり見ていき、しばらくしてカランカランとベルが鳴り、競りが始まった。


 ***


「いやあ、今日もありがとうねレウちゃん。今日の御駄賃と、これ持ってくかい?」


「いえ、遅れてきておいてお給料をもらいつつお魚を頂くなんて。バチがあたってしまいそうですからお魚は遠慮します」


「はっはっは、遅れて来なくても魚はいっつも持ってかない癖に」


 おじさんと私はお魚を仕入れると、荷を町の大通りにある露店まで運んできた。ここはおじさんの露店でお魚を売っている。私が手伝った後に毎度おじさんがお魚を渡そうとするが、その度に断っている。おじさんにも生活があり、養う家族があり、日々生きていくのにいつ何が起こるかわからないという不安と心配があるから。私が優しさを勘違いして、他人の命を食べることなんてしたくないから、基本的に物は受け取らない主義なのだ。

 私は受け取ったお給料を布の袋に縛って入れ、失礼しますと一礼してその場を後にした。背中の方から威勢の良い声が私に飛んできたのでくるりとその場で振り返り手を振るおじさんにもう一度頭を下げ、すぐに踵を返した。

 次に向かったのは町の最南部に位置する畑。既に作業を始めている男女らが慌ただしく駆けてきた私ににこやかに手を振る。


「おはよう、ナフタおばあさん、ダンプおじさん。それにドフトルおじさんとフレッタおばさんも」


 私は挨拶済ませるとすぐに倉庫へ向かい農具を取り出した。冬はハクサイやカブ、ジャガイモなどを収穫するのだが、収穫だけでなく出荷もあるのでこれがまた大変だ。今日は収穫をして荷車に載せるまでが作業。なるべく服が汚れない様に気を付けて作業を行いながら視線を少し遠くに向けると、他の畑では土作りをして春にかけての種を蒔く準備をしていた。私は再び視線を下に向けると収穫を再開した。

 休憩を一つ挟んで収穫をして日が落ちかけた頃に作業が終わった。私は作業を終えると一息つく間もなく、ぱっぱと農具を片付けて靴の土を落とすとすぐに畑を後にした。

 私はこんな生活をほぼ毎日続けているが別に苦がある訳でもなく、私には夢があるからやっていることで、逆に雇ってくれる人に、仕事をさせてもらえることに感謝しても感謝しきれないぐらいだと思っている。確かに毎日学校や教会に出かける同じくらいの年頃のーーちなみに私の年齢は17歳であるーー子を見ると羨ましいと思うが、逆に自由に夢を追い求められる女性というのは私だけではないだろうかと少し気が楽だし、彼女らに少し同情を感じるくらいだ。

 私は目的地についたので足を止めた。ここが最後、シミ抜き屋だ。見た目は普通の一階建ての家だが、私が入るとシミ抜きをしている女性が左手をヒラヒラと振って応える。


「グレニーおばさ……ぐぇっ」


「おばさんじゃなくて、お姉さんね。あと私の前ではその堅い態度はやめてって言ったでしょう、仕事あげないよ」


「ああ!すみま、ごめんなさいグレニーお姉さん。それでシミ抜き用の土は何処?」


 ん、と指さす場所にシミ抜き用の土が大量にあった。これを売りに行くのが仕事だ。

 グレニーおばさ……お姉さんは私が堅い態度をするのを嫌う。というよりも私のことを一番よくわかってくれてる人だと思う。他の人は私が可哀想だと何かを渡そうとしてくれたり、必要以上に優しく接してくれたりするが、彼女は私が私の為に働いていて、祖母のこともちゃんと考えていることを理解しているので、私が優しさに対する気遣いに意識をとることがない様に接してくれている。優しくされるのが嫌だとは言わないが、グレニーお姉さんの様にフランクでフラットな関係の方が楽だし嬉しかったりする。

 町に出掛けると雪が降り始めた。私が上からヒラヒラと舞い落ちる白い花弁を見つめ白い息を吐くと、何処からか歌が聞こえた。

 音が吸収されずまるで白の世界に直接響く様なその歌声は町の中央にあるホールから聞こえてくる様で、私は寄せ波から引き波に流される様にホールにふらっと導かれた。そこには金髪のブロンド髪をゆったりと伸ばした女の子が歌っていた。私は光を反射し、音を全身から出しているような白く美しいその姿に見惚れてしまい、歌が終わって拍手があがった時にハッと我に返った。

 どうやら歌のコンクールの様だった。私は自分の仕事と時間を忘れていて、手に持った土を慌ててギュッと握りしめると会場を後にした。


 ***


 何故だろう。

 身体の高揚が止まらない。

 打つ脈が早く胸に手を押し当ててその感動の余韻に未だに浸っている。

 顔が笑って元に戻らない。


「なんか嬉しそうだね。初めて見たよ、レウの自然な笑顔」


 グレニーお姉さんは飽きれと驚きの混ざった様な表情でそう言うとどうしたの、と訊いた。

 私はコンクールのこととその少女のことを普通に話したつもりだったがどうやらかなり熱弁していたらしく、私がレンガ造りの家を語ってる時ぐらい生き生きしてたとため息を漏らしながらも笑って言った。

 私の夢と同じくらい語ってた?レンガ造りの家と同じくらい?なんでだろう、この気持ち。彼女と直接逢って話しをしてみたいという逸る気持ちを抑えることが出来ない。もしかして……。


「もしかして……これが恋なの!?」


「いや、違うと思う」


 グレニーおばさんは逡巡することなくそう応えた。

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