第5話『折衷案』

 ――ミーガン家へようこそ。


 エリカさんからのその言葉を聞いて、ようやく僕はこの世界で生きてもいいことを認められたような気がした。それは嬉しいけれど、同時に僕は殺し屋であることを認めてしまったことと同じで。何とも複雑な気持ちだ。

「どうしたの? 真哉。あまり嬉しくないようだけれど。あなたはこれで美桜といつも会うことができるのよ?」

「私は、真哉さんといつでも会うことができるので嬉しいですよ」

「ここにいることができるのもそうですし、美桜と会うことができることももちろん嬉しいんですけど、たった今、人を殺しちゃいましたし……」

 手に付いている生温かい血がまだべっとりと付いている。本当に人を殺してしまったんだなとこの部屋に戻ってからようやく実感する。

「まあ、殺しも続けていけば慣れていくわ。次からも、さっきみたいな奴を殺し続けて、殺人という行為に段々と慣れていってもらいましょう。殺したい人間、殺すべき人間はまだまだたくさんいるからね」

「は、はい……」

 エリカさんはナチュラルな感じで話すけれど、話している内容はかなり残酷だ。殺し屋として使えるようにするために、さっきような人間を殺し続けるなんて。

「とりあえず、着替えってありますか。血がべっとりと付いちゃっているんで」

「それなら、ほら」

 はい、とエリカさんが言うと血の部分が光り、その輝きがなくなるとさっきまで付いていた血がなくなっている。エリカさん、色々な力を使うことができるんだな。

「ありがとうございます」

「まあ、エリカ様。そんな力があったのですね。私、毎日洗濯していますけど」

「汚れの除去の力は使えるけれど、完全じゃないわ。血の臭いとかもよく嗅げばまだ残っているし」

 試しにジャケットの手首の部分を嗅いでみると、確かに血の臭いが感じられる。それでも、先ほどまでの気持ち悪さはないのでマシではあるけど。

「応急処置という感じでしょうか」

「そういうことね。後で美桜に洗ってもらいなさい」

「はい。ということなんだけど、美桜……後でお願いできるかな?」

「喜んで!」

 美桜は嬉しそうな表情を浮かべている。

 まさか、仕事で着た服を美桜に洗ってもらえる日が来るとは思わなかったなぁ。それが異世界で叶うというのも予想外だけれど。

「エリカさん。僕はあなたの要望に応えました。美桜の記憶の一部を戻してください」

「分かっているわ。じゃあ、まずはこれかな」

 パチン、とエリカさんは指で鳴らす。

 今ので美桜の記憶がちょっと戻った……のかな? 血を取り除いたときのように光ったりするものだと思っていたんだけれど。随分とあっさりとしている。

「美桜。あなたの名前と年齢は?」

「ええと……名前は白鳥美桜で、年齢は22歳です」

 エリカさんは美桜の名前と年齢についての記憶を戻したのか。でも、何だか本当に記憶を返したのかどうか分からないなぁ。

「本当に記憶が戻っているのか? 美桜」

「……何て言えばいいのでしょうか。同じ『美桜』という名前でも、今まではエリカ様が私をそう呼んでいたので、私は美桜なんだと思っていましたが、今は……生まれてからずっと美桜なんだって感覚的に分かるんです。白鳥、なんていう苗字も知らなかったですし。あと年齢が22歳ということも」

「そうなのか……」

 つまり、今まではエリカさんに呼ばれていたことによって、後付けで『美桜』という名前の知識があったわけだけど、記憶を取り戻したことによって、きちんと『白鳥美桜』が自分の名前であると分かったんだ。

 美桜が年齢を22歳と言っているのは、あの男によって海へと突き落とされた当時の年齢だろう。その当時の年齢は22歳であることは僕がしっかりと分かっている。

「美桜。名前は合っているけれど、今の年齢は23歳なんだ」

「23歳ですね、分かりました」

 手始めに名前と年齢の記憶を返してあげた、って感じなのかな。このくらいなら、自分の生活に全く支障がないとエリカさんは考えたんだろうな、きっと。

「何よ、疑り深く探っちゃって。あたしはちゃんと記憶を返したわよ」

 エリカさんは不満そうな表情を浮かべる。

「エリカさんを疑っているわけではありませんよ。ただ、確認したくなって」

 殺人の報酬が美桜の記憶の一部を返すことだから、ちゃんと返されたかどうかきちんと確認したくなるんだよ。

「でも、何だか自分の名前が『白鳥美桜』だと分かると、何だかいいですね。もちろん、エリカ様のお側に仕えさせていただけるのは嬉しいんですけど。自分というものが確かにあるような気がして……」

「……そう」

 元の世界にいた頃の記憶も、自分自身の記憶も全てエリカさんに奪われたから、美桜は自分という人間が自分でないような気がしたのかもしれない。

「エリカさん。記憶を奪うということは、その人自身を奪うということじゃないですか。今の美桜を見ているとそう思います」

「……そう言って、1回の殺人の報酬として返す美桜の記憶の量をもっと多くしろって言いたいんじゃないの?」

 エリカさんはあからさまに怒った様子を見せながらそう言う。どうやら、返す記憶の量を多くしたくないと考えているようだ。

「まあ、それもありますけどね。でも、今の美桜を見て……心苦しいとは思わないんですか。記憶を奪うってことが、どんなに罪深いかって……」

「へえ、そんなこと言っちゃうの? あなたは人一人を殺したくせに」

「……言ったことは訂正するつもりはありません」

 本当はイラッとしているけれど、ここで感情的になったらエリカさんのペースに乗せられてしまうかもしれない。実際に人を殺したし、美桜のためなら悪にでもなると決意したし。だから、必要に応じて、エリカさんのことも言葉を使って精神的に傷つけてやろうと思う。肉体的にはおそらく、彼女に敵う瞬間は永遠に来ないだろうから。

「あなた、何か企んでいるんでしょう?」

「いいえ」

 今はまだ何も企んでいないけれど、これから企むつもりだ。

 しかし、彼女は僕の心に語りかける能力があるから、僕の心を読む能力もあるかもしれない。リアルタイムで考えていることがバレるかもしれないから気をつけないと。

「ただ、さっきの男を殺す中で、僕は美桜のためにこの世界で殺し屋として生きていこうと決めました。元の世界で生きていたときも、彼女が僕の生き甲斐だったので。思えば、この世界で生きている美桜と会えるのはエリカさんのおかげなんですよね。エリカさんがいなければ、美桜と僕は共に死んでいたんですから。本当に……感謝しています。ありがとうございます」

 僕は両手でエリカさんの右手をぎゅっと握ると、エリカさんは頬を赤くする。彼女、やっぱり異性にこうされるのは慣れていないようだな。

「エリカさんの手や足となれるように頑張ります」

「……うん。期待しているわ。でも、さっきの男を殺す様子を見ていたら、数をこなせば必ず立派な殺し屋になれると思うわ! それに、さっきの真哉はかっこよかったし。特にその刀を男の首元に刺す瞬間は」

 かっこいいと言われるのは嬉しいけれど、笑顔で立派な殺し屋になれると何とも言えない気分になる。

 さっきまで不機嫌そうな表情を浮かべていたのに、すぐに機嫌が良くなっちゃって。そういうところは可愛らしい女の子だ。

「しかし、エリカさん。ターゲットによっては、美桜に返す記憶の量を多くしたり、重要な記憶を返したりするようにしてください。お願いします」

「……分かったわ。美桜の記憶を返すのはターゲットを殺すことが前提だからね。そこら辺はしっかりと考えるわ」

 よし、交渉成立だ。

 エリカさんのようなタイプの人には一度要求を呑んだ上で、こちらが希望することについて交渉していくといいみたいだ。覚えておこう。

 あとは、エリカさんの僕との距離を少しずつでも縮めるようにしていくか。そうすれば、美桜の記憶をもっと早く取り戻せる道が開けるかもしれないから。

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