死ねない。

桜庭かなめ

プロローグ『2輪の花』

『死ねない。』



 遺体のない幼なじみの葬式はとても辛いものだった。



 1年前。

 僕と同い年の幼なじみである白鳥美桜しらとりみはるは、大学の卒業式の直前に友人と行った卒業旅行の途中、強盗殺人に遭ってしまった。当時、海が好きだった美桜は友人と一緒に観光名所である岬に行っていたのだ。

 目撃者の話によると、美桜が1人になったときに、犯人の男が美桜の荷物を奪おうとした。それに抵抗した美桜は犯人に海へと突き飛ばされたというのだ。


 当日の天気は晴れだったけれど、海は少し荒れていた。そのためか、美桜の遺体が見つかることはなかった。


 美桜の友人から、SNSで美桜が殺されたというメッセージが届いた。不安になって電話をかけてみたけれど、繋がることはなかった。

 そして、事件が発生してから1時間くらい経って、僕は美桜の父親から連絡を受けたことによって美桜の事件が本当にあったと分かったのだ。

 海に突き落とされたけれど、絶対に美桜は生きている。そう信じていたけれど、時間が経つにつれて生きているかどうかよりも、亡くなっていてもいいから美桜の顔をとにかく見たいと願った。でも、美桜の遺体は見つかることはなかった。

 半月ほど経って、現場のある地域を管轄している警察から、美桜の遺体は見つかる可能性は殆どないと言われた。そして、美桜の両親と僕で話を重ねた末に美桜の捜索を諦めて亡くなったことにした。


 そう、僕が美桜を殺したようなものだ。


 その日は、僕が美桜に告白しようと決めていた大学の卒業式の日だった。

 美桜が突き落とされた、と初めて聞いてから、彼女を突き落とした犯人を許さない気持ちはずっと抱いていた。

 しかし、美桜の捜索を諦めた瞬間に、犯人に対する復讐を心に誓った。どんなに時間が掛かっても、犯人を見つけ出して殺害すると。それを一番強く想ったのは、告別式で美桜の遺体が入っていない棺を見たときだった。

 事件直後の4月、僕はIT関連の企業に就職し、働きながら休日はほぼ全て美桜を殺害した犯人の捜索を個人的に行なった。しかし、犯人を見つけるどころか、犯人の特定に繋がる有力な情報さえも掴むことができなかった。警察に行っても情報は教えてくれない。これが一般人のできる限界なのだろうか。悔しさが募っていった。

 そんな生活をしていると身も心も崩れていくばかり。一生消えることのない恨みと積み重なるストレスを抱えているのだから、それは当たり前なのか。


 そして、状況が一変したのは事件が起きてから1年以上が経った、雨の降る初夏の日のことだった。


『犯人が見つかったが、追いかけている途中で電車に轢かれて死んだんだよ』


 それは僕が仕事をしているときに、美桜の父親からかかってきた電話で言われた。

 ――犯人が死んだ、だって?

 美桜の父親に何度も確認した。それは本当なのかと。しかし、美桜の父親は決まってそれは本当だと答えた。犯人は死んだと言っていた。嘘だとは言わなかった。

 それでも、僕は信じることができなかったので仕事を早退し、犯人が轢かれた現場を管轄する警察署に行き、犯人の遺体を見せてもらった。薄暗い霊安室で、今までに嗅いだことのないような臭いを感じながら。


 潰れてしまった犯人の顔を見たその瞬間、こいつに僕自身も殺されたのだと思った。


 美桜を殺害した犯人に復讐する。

 それが僕の唯一の生きる目的だったのに。それを犯人自身によって奪われたんだ。僕は彼に殺されたようなものと一緒だ。

 生きる意味がなくなった。それが体でも心でも分かった瞬間、僕は美桜が突き落とされた岬に行くことにした。そこで最期を迎えるんだ。

 岬に近づくにつれて段々と雲は取れて、最寄り駅に着いたときには晴れていた。夕陽が眩しく感じられる時間になっていたけれど、近くにあった花屋がまだ営業していたので、2輪の百合の花を購入した。

 美桜が突き落とされた岬に行くと陽が沈む瞬間を見る人が多かった。多くの人がいる前で死んでは申し訳ないので、ベンチに座りながら人がいなくなるのをじっと待った。空も暗くなっていき、空気も段々と冷たくなっていく。

 そして、空が真っ暗になるとようやく岬が僕だけになった。

「今ならいいか」

 仕事鞄から手帳を取り出し、遺言を記載してあるページを開く。遺言の内容を確認した後にそのページを破った。それをちょっと見えるようにして仕事鞄を置いた。

 夕方に花屋で購入した2輪の百合の花を持って、僕は岬の柵の近くまで歩く。


「美桜、ごめん。何もできなくて。あと、美桜のことが好きだよ」


 決して届くことのない美桜への想いを口にして、柵の近くに2輪の花を手向ける。風で飛ばされないように、近くに落ちていたちょっと大きめの石を花束の上に置いた。

 周りに誰もいないことを確認して、僕は柵を跨いで海を背にするようにして立った。

「もう、疲れた……」

 体も心もボロボロだ。でも、これで何もかも終わらせることができる。


 そして、仰向けの形で僕は海に向かって落ちていく。僕はゆっくりと目を瞑った。


 痛みや冷たさなどは感じなかった。不思議と、どこかに吸い込まれていくような感覚はあった。きっと、何も苦痛を味わうことができないくらいにすぐ死んで、美桜がいるあの世に行くことになったんだ。

 もし、あの世で美桜に会えたら一度だけでもいいから、ゆっくりと話したいな。そんなことを思いながら、僕は意識を失ったのであった。

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