第67話「人間は何度でもやり直せる」
泣きながらバットで身の回りのものを攻撃する。
重たい金属の先端がからだにぶつかる。
亜バラが砕けて、内臓に激痛が走る。
振り回したバットが後頭部をかすめて、耳の裏の肉が削げる音がする。
そのまま倒れこみそうなって、意識が沈みこむ。
だが、声が聞こえる。
声が、聞こえ続けている。
よろめきながら、立ち上がる。
目の前には――闇しかない。
薄暗い室内のせいか、
鮮血が瞳を埋めてしまったせいか、
頭を打たれて完全に視覚の機能が損傷したのかも、わからない。
だから僕は目の前の闇に向かって、手をのばした。
〝――彼女が大切だったんですね″
言葉を、思いだす。
声に対して、そんなふうに吐き捨てる。
胃のあたりに、急激な違和感を覚えて、
口腔を締めつけて、唾液と一緒に血を吐き出す。
間に合うだろうか。
闇に向かって、手をのばしながら思う。
この手は届くのだろうか。
この声は届くのだろうか。
そんなものは無理なのではないのだろうか。
つかんでも、
つかんでも、
何度つかんでも、
手のひらは虚しく空を切る。
ごぉん、ごぉん、ごぉん
鐘の鳴る音が、すぐそばで聞こえて、
風を切る音とともに遠ざかる。
彼女の振り回したバットが、自分の側頭部を直撃する。
からだが倒れこむ。
だが、すぐに意識を取り戻す。
頭を振って、重い上半身を、
ガクガクとふるえる腕の筋力で起き上がらせて、
テーブルに縋り付いて立ち上がる。
そして、また、前に向かって、
暗闇の向こう側に向かって、手をのばす。
指先が旋回するバットに弾かれていく、
〝――でも、今でもまだ彼女が大切ですか?″
あたり前のことだろうと意識がつぶやいた。だってそうだろう? そうに決まっているだろう?
人間は何度でもやり直せる。
〝――それでもまだ、彼女の事を守りたいと願うことができますか?″
人間は、何度でもやり直せる。
何度でも何度でもやり直せる。
何度でも眠りにつくことができるように、回復することができるのだ。
最初から間違えた物語だってやり直せるのだ。
それが大切なたった一人の人間の終わりを前にして浮かんだ率直な感情の正体だった。
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