第70話「少女という闇のマテリアル」


  8


 中心が空洞の暗闇がある。

 空洞の周囲にはスモークがかった点描が天体に浮ぶ銀河のように続いている。

 点描には色がある。匂いがある。様々な記憶が渦巻いて、きらきらと輝きながら、幾つもの断層となって続き空洞の底に真空をつくる。真空の奥には、何もない。色も、匂いも、記憶もない。ただの感情の通り道だ。意識の闇にぽっかりあいた無意識の井戸の、通り道だ。

 

 そこから凄まじい衝動が洪水のようにのぼってくる。

 

 衝動は脳を通り、回路パルスを通り、電気的な信号となって、ふるえを導く。痺れを導く。吐き気を導く。叫びを。眩暈を。力を呼び覚まし、渾然一体となって轟然と背すじをかけのぼる。

 

 衝動の正体は、怒りだった。僕は完全に自意識を失って絶叫しながら伊達に向かって飛びこんでいった。


 だが次の瞬間には不可思議な無重力状態に支配された。ぱぁん、という耳障りのいい音が鳴って、いつのまにか天井をみつめていた。大通りを走る自動車のヘッドライトの光がガラスの窓から差しこみひらめきながら通過する。その蒼白い人工的な光に無数の黒点が飛び散っていて、花びらのように回転しながら流れていく。回転しているのは花びらではなく自分で、天井を眺めているのも自分で、後ろ向きにゆっくりと倒れていく頬に花びらが触れるとパチパチと弾けて、スローモーションで溶けていく。

 

 血だった。


 花びらは自分の肩から飛び散る鮮血だ――僕は撃たれたのだ。そう気付いた次の瞬間に、僕は後ろ向きにふっ飛んで転がった。ごみ屑の山に倒れこむ。凄まじい物音が背後で弾ける。からだの後ろで制服の繊維が破けていく。

 

 ちくしょう、僕は激痛に転がりながら叫んでいた。ころしてやる、叫びながら、泣いていた。僕は激痛に悶えながら絶叫して泣きわめいていた。畜生、なんで撃ったんだ、ちくしょう、ころしてやる、ころしてやる、

 

 まだ、ありがとうもいってないのに。


『そして予言は成就された』

 両腕を大きく左右に広げて、声の主が天井を見上げる。予言とは、ミコトが口にしたエレナの死のことだろう。なぜしっている、そう叫んだつもりが、声が出ない。僕は撃たれた肩を襲う激痛に床を舐めながらうめいていた。ひっくり返った葡萄酒の酒瓶のように、傷口から血が溢れてくる。


『あの地下の部屋が監視されていないとでも思ったのか?』


 そういって伊達は両手を降ろして、僕を見た。顔に嵌めた酸素ガスマスクがなんだか不自然で痛々しい。なぜ彼はそんなものをつけているのだろうか、顔をみられないためだろうか、表情を読み取らせないようにするためだろうか?だが伊達だ、いつも学校で見知っている僕らには容易に判別できる。姿


『お前らの行動はお見通しだ、子供過ぎる。子供過ぎる。全く子供だ。予想通りだ』

『彼女が約束を守らなかったことまで予想通りだ。実に残念だ。一抹の期待もあった』

『だが裏切られた。協力する代わりに全てが終われば――私のものになるといったのに』


 覆面のせいか、声がこもって二重に分裂している。エフェクターのかけられた音声のようだ。そんな声で連続して言葉を浴びせて、伊達は逆向きに再生していく壊れたレコーダーのように引き攣った声で笑った。

 エレナに協力する事件の共謀者は伊達だったのだ。

 水時雨エレナ、十五歳。学園のアイドル的存在にして清錠一の心に病みを抱えたヤンデレ体質。女難体質の僕の性別を変えた対の存在とでもいうべきエレナは、精神的に問題を抱えたある種の大人たちに好まれ、多くの中年の男たちを惹き付け、そしてそんな強過ぎる少女の磁場に惹かれた存在を利用することによって、この天使狩りの事件が引き起こされた。

 

 たしかに天使狩りを実行するうえで教師という立場はとても望ましいもののように思える。そのためには対象となる十代の少女への広大な人的ネットワークが必要で、教師という立場を生かした生徒たちとの信頼関係に根ざしたつながりは、事を容易にするだろう。さらに伊達はかつて起きた生徒の飛び降り自殺の一件から担任をはずされ、また度重なるトラブルによって腫れ物のように扱われて、放課後は時間をもてあましていたという経緯がある。そのことは「神隠し」がほとんどすべて夕暮れ以降の、生徒たちの活動領域と重なる放課後の時間帯に行われていたことの、理由となるものだ。しかも死を前にした伊達は明らかにおかしくなって、自我を抑えきれなくなっていた。そんな存在が性への渇望に目覚めても不思議ではない、なぜなら死を前にした生命が本能的に向かう衝動は性で、それが生への根源的な執着に繋がるからだ。生命を遺そうとする心の働きへと向かうからだ。

 

 そう考えるとすべて辻褄があう。そうやって伊達は、エレナの都市伝説に加担していたのだ、きっと何かの見返りによって。みずみずしいエレナの肉体を手に入れることの代償として。だがその代償、罪という名の代償は、じきにすぐ死ぬというリセット機能を前にすれば効力を失効させるに十分だ。タガがはずれたって不思議ではない。だけれどそれがいったい僕にどんな意味を与えるというのだろう?

驚きなんて、まるでなかった。どうでもいいとさえ思っていた。いまさら自分たちを規則の網で縛り続ける教師が実際には規則から大きく外れる存在であったところで何も感じない。何も驚かない。ただそこまで考えると僕の胸には動揺よりも衝動が、衝動という名の明確な殺意が、カラカラに渇いたのどの奥から激しい渦のようにせりあがった。


 ころしてやる、


 突発的に僕は叫んだ。言葉をかわす必要なんてない。一秒でも早く地面に叩きつけてそのふざけたマスクを剥いでやる、

 そんなふうに僕は泣きながら地面に顔をつけて叫んでいた。


『おや、まだ生きている』伊達がエレナに歩いていく。

『おや、まだ生きている?』立ち止まり感嘆の声をあげる。

『これはこれは。これはこれはこれはこれは』僕は顔をあげる。傾いた地面の水平線。その鼻先に黒々と続く線分の先、鏡張りの壁の中央にエレナがいる。小ぶりな頭部を鎖骨にうずめるようにして、壁に上半身をもたれさせるようにしながら倒れている。その首にはまるで人外の獣に牙を立てられたような黒い孔が幾つも並んでいて、連続して銃弾に射抜かれたのだとわかる。

 

 即死だ、と僕は思った。

 至命的なダメージだ。

 だが見開かれた瞳のあたりがかすかに痙攣している。

 くちびるがふるえている。まだ息をしているのか、


『だが、時間の問題だろう』


 ディストーションで歪められた拡声器のような人工的な音が降り注いで、淡い期待を砕いていく。伊達は顔を近づけて彼女の瞳を覗きこんだ。それから背を向けて俯き、痰を吐いた。そして腕をからだの後ろで組んで、かかとの裏で濡れた地面をこすり始めた。


『私の弾は完璧な入射角で的を射抜いた。実に実に実に実にうまくいった。基本が最後にものをいう――君のお父上の口癖だったね。でもその通りだったね。これは日々の鍛錬の成果だからねえ』

 バレットを開いて弾丸の残数をチェックする。無意味に何度も何度も頷きながら、ガスマスクを片方だけズラして鷹のような目元を半分だけ覗かせて確認する。それから再び銃身にバレットを戻し、ベレッタ製の猟銃の激鉄を起こす。そして何の躊躇いもなく――ゴミ箱に物でも捨てるみたいに眼球をみひらきこきざみに痙攣を続けるエレナに銃口を向ける。


『苦しいかい。つらいかい。泣きたいかい。大丈夫、泣きたいのはこっちも一緒だ』

『だけど安心してエレナ。もう一発ぶちこんで終わらせるね。終わらせるからね』

『そして君は――永遠に私のものだ』


 狂っている、と僕は思った。彼女を殺すことが彼女を永遠に手にいれることになるのだろうか。だがそれはただ単に頭がイカれた人間のそれじゃない、としだいに気づいた。彼は、いたって冷静だった。瞳の色も、まばたきの頻度も、自律神経全般の働きも、麻痺しているわけではなくて、きわめて正常にみえる――つまり冷静に狂っているのだ。彼は冷静なのだ。彼は彼自身の論理によって合理的な判断の帰結として狂った結論に達しているにすぎない。

 

 僕の世界とは違う。だがそれがこの身を焦がすような感情の、何の言い訳になるだろう。僕はそこで、ころしてやる、と何度目かの叫びをあげた。そして唇を噛み締めた。ガチガチと奥歯が鳴って、犬歯が皮膚を食い破り、舌の隙間から生ぬるい血液が流れてくる。僕はそうやって痛みを新たな痛みで打ち消して、ゆっくりと上体をそらしていって、椅子に手をかけ、テーブルに顎をつけ、激痛をこらえて立ち上がった。

 

 伊達の顔がみるみるうちに激しさを増していく。

 目が大きくみひらかれ、眉間には夥しいタテ皺が入る。暴風雨に曝された木々に亀裂が入るようだ。僕を憎んでいるのだ、僕を怨んでいるのだ。僕を嫉んでいるのだ。彼女が僕以外の異性を憎んだように、僕に近づく同性の少女たちを憎んだように、この男は僕を憎んでいる。彼女のそばに死の瞬間まで寄り添い続ける僕を憎んでいる。へらず口の冗談で心の表層を押し隠す戯れの時間は終わったのだ。

 

 銃口がこちらを向く。


 瞬間的に心臓が高鳴って脈拍の稼動レベルが跳ね上がり、猛烈な速度で細胞が覚醒していく。呼吸の速度が早まって、血中の酸素濃度が薬剤の溶け出したカプセルのように増殖していくのがわかって、目に映るものすべてがスローモーションで液状化する。


 言葉を、思い出す。

 耳は最後まで生きているといわれる。

 まだ間に合うだろうか、と思う。まだ彼女に何か言葉をつたえることはできるだろうか、と考える。こんな絶望的な状況のなかで僕はまだ無様にあがき続けているのだ。首すじを撃ち抜かれ瀕死の状態で死という名の暗闇のブラックホールの向こう側に飲みこまれようとしている彼女に、別れの言葉を耳打ちすることはできるだろうか。

 銃殺される恐怖を前にして僕の思考はだからこそ恐怖以外の、最も大切な事柄へと向かっていた。たぶん逃避だろう。きっとこれは逃避だろうと思う。そんな逃避の衝動に呼応するように、自分の意識が肉体からゆっくり剥がれていく。自分のあたまの先のちょっと上のあたり。暗闇の中空をふらふらと漂う夢遊病じみた浮遊状態に自分が包まれ、そして僕は視えるはずのないものを視る。鏡像のなかで彼女の影が二つの頭に分裂する。

 


 瀕死の彼女の体内で何か恐ろしいものが蠢いている。莫大なエネルギーを小さな少女のからだの薄皮一枚で押さえこめている感じだ。これは何だろうか。だがそんな疑問が浮かび上がった瞬間に不意にサイレンの音が遠くからやってきて、僕ははっとして意識を取り戻した。ヘッドライトの蒼い光が鏡像にもたれかかる彼女の影を二重の分身ダブルに浮かび上がらせながら通り過ぎていく。影が消える。

 いまのは、何だったのだろうか。ただのライトの残像だろうか。先ほどの異常現象に自分なりの答えを与える間もなく、頭上から潰れたスピーカーのような声が聞こえてくる。


『弾が、残り二発しか、ない』


 そういって伊達は、ガン、と散弾銃ごと自分の腕をテーブルに叩きつける。勢いのまま強引にシリンダーをあける。バレットから残りの弾がこぼれてくる。暗闇のせいで判別しにくいが、タイル張りのフロアに落下した金属音は二つあった。こちらの方に転がってくる弾丸の残りを拾おうと彼が腰をかがめる。ひどく落ち着いた様子で、ゆっくりと伊達が近づいてくる。

『二つ、というところが美しくないと思うだろう。だがそれは違うよ』


 いつのまにか伊達はマスクを定位置に戻している。暗闇のなかに浮かぶその表情はみえない。その滑稽なマスク姿の男の姿を眺めているうちに、自分が大戦中に使用された毒ガス室に置き去りにされている気になる。

『二人で一人。一人が二人。二つで一つ。一つは二つだ。――この世界には男と女の二種類ある。だからその二種類のためにこの殺戮の弾丸は使われるべきだ』

 そして僕の足元でもう一度屈んで、弾を拾おうと手をのばした。

 その瞬間、僕はフロアの逆サイドに弾け飛んだ。そのまま転がって、窓ガラスの反対方向の壁に落ちている金属バットを掴み取った。掴み取ろうとした。正確には掴み取ろうとして一瞬だけ握りしめて、次の瞬間には二の腕ごとふっ飛ばされていた。腕が無くなったかと思ったが違った。それは椅子だった。僕の動きを察知した伊達が足元の椅子を片手で掴んで凄まじい腕力で投げ飛ばしたのだ。「あああああああ」目の覚めるような速度で飛来してきたそれがバットをはじいて後方にふっ飛びガラスに激突、背後でガラガラと窓が割れていく。僕ははじかれた左腕をおさえてガラスの破片のなかをのたうちまわった。だがすぐに危機的な状況を予感して持ち直した。ぶるぶるとふるえる手のひらの激痛をこらえながら中腰になる。


『一つは、彼女を仕留めるため』


 伊達は何事もなかったように自分の話を続けていた。彼のなかには自分しかいないのだ、とふいに思った。エレナに対する悲しみも憐憫の情も所有欲も、すべて鏡に映された自分を眺めるようにして向けられた感情なのだ。

そんな相手に全身の毛が逆立つような吐き気と怒りが下腹部の底の方からのぼってくる。同時に衝動が、薄れかけた衝動の炎が再び弾け飛んで、僕はどうすることもできずに天をあおいで小さく叫んだ。――おちろ。なにをしている。早くおちろよ。頭上を確かに旋回する黒シリーズを凝視しながら絶叫する。こいつを粉々に自分もろともふっとばしてくれ。


 だが叫びは届かない。そんな自暴自棄にも近い独りよがりの衝動に、世界は何の興味もないというように、ただ目の前には静かな闇が漠然と広がっているばかりだ。闇の中央には伊達がいて、伊達が生きて動いていて、僕を殺そうとして向かってくるのがはっきりとみえて、殺戮のためのピストルの準備を終えようとしている。伊達は僕のテーブルの向かいに立つと、ゆったりとした動作でバレットをひらき、取りだした二発の弾丸を指先ですべらせるように手馴れた動作で穴のなかに落としていく。


『もう一つは、私のこめかみを仕留めるためだ』


 カシャン、という心地の良い装着音が銃身からもちあがると、彼は再びこちらに向かって歩いてきた。自分の視界には、背の高い、ワイシャツにダークスーツを着た細身でありながら異様に筋肉質な男の鍛え上げられた肉体だけがあって、それが闇の中心に空いたダークホールのように瞳のなかで鮮明さを増していく。その視界の外縁、世界の外から獰猛な獣のような自分のうめき声がきこえてくる。


『それでこの物語は完成する。勿論これは私の物語の完成だ。君の物語ではない。この幸せな自殺は君の物語では欠落を生むだろう。だがそんなものは私のための物語には何の関係もないのだ。いずれにせよこれは彼女を永遠に手に入れるための自決に使用する。使用先の用途は私の生命の自慰行為にであって、君にではない。無駄玉に向ける余裕はないんだ。だから、』

 それから銃を床に放り投げた。そしてマスクを外した。目の前に百八十メートルの長身の巨大な男のからだがそびえたつ。さらに一歩近づく。

 血中の酸素濃度が上昇する。視界がさらに一層クリアになる。肉体の防衛本能が導く異常なまでの高揚と恍惚と憎悪が運動を司る中枢神経系統を飛躍的に上昇させ、自分を獣のように駆り立てる。僕は戦闘の予感に弾かれて椅子を蹴って跳ね上がり、衝動的に飛びかかった。目の前で能面のような伊達の顔が激しさを取り戻し――、


「白兵戦と、いこうじゃないか」


 急に声色が変わって、白い拳が飛んできた。

 次の瞬間には重力が反転して、顔面ごと地面にめりこんでいた。めりこんでいるように感じられた。それほどの圧倒的な破壊力だった。それほどの圧倒的な戦力値だった。伊達が格闘技をやっていたという話はダテじゃない、などとふざけた冗談みたいな自意識が飛来して、遅れて激痛が顔の中央からあふれてくる。呼吸が苦しくて、あえぐと鮮血がふきこぼれて、ああこれは血なのだな、と認識する。だが気付いたときにはもう手遅れで、ひっくり返ったハウスボトルのように鼻血がボタボタと流れてくる。

『折れたな。折れましたね。こいつは一本折られました』ひとりごとのように繰り返して、伊達はさらに僕を殴った。『ボコボコボコボコボコボコ』呟きながら拳でメッタ撃ちにした。

『いたい。いたい。ほらいたい。ああ、いたい。いたいね。いたいいたいいたいいたいね、痛い、痛ぁい、痛いいいィ痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛あああははははは』

 圧倒的な戦力差の前に僕は何もできない。蒼白い月明かりに照らされる緋色のフロアに、狂ったように無抵抗の人間を殴り続ける影がいる。殴り続ける影は伊達で、殴られ続ける無様な影は自分で、自分の意識が自分から遊離して、どこか客観的な浮遊霊のように細長い自分の影を眺めている。影はときどき弾かれたように意識を取り戻して手足を暴れさせるが、すぐにカウンターを返されひっくり返る。

 そんな揉み合いながら押し倒される自分の影の奥で、何か不気味な細長いもう一つの影が蠢いている。エレナだ。暗闇のなか無数に暴れまわる触手のようなそれは、鏡に上体を預けながら瀕死の状態で天を仰いでいる彼女の胸元へと続いていく。先ほど目にした影だ。怪物じみた何かがからだのなかで暴れまわっている彼女の姿だ。これは一体何だろうか。


 ガン、


 音が鳴って、後頭部を殴られ地面に叩きつけられる。一瞬の意識の空白のあと、激痛とともに一つの直観が、空白の余白から染みだすように溢れてくる。

 これは彼女の闇の実体化だ。黒シリーズが少年たちの心の闇の実体化であるように、それは彼女の心の闇の実体化した姿なのではないだろうか。いや、だからこそおそらくは彼女だけの闇ではない。他の少女たちの集合的無意識と呼応する形で増幅し世界に実体化した、異世界の化け物の可視化された姿ではないだろうか。

そしてそれが少年である自分にみえるのは、自分がもはや異界に足を踏み入れたからだ、すべてを見通せる異界の目をもったからだ。そこで轟音が再び鼓膜の中で大きくなった。


 黒シリーズ。

 それはほとんどタイムラグのようなものなのかもしれない。

 光と光の認知の差異に生まれる視差、パララックスの歪みのようなものなのかもしれない。死を覚悟した思考がめまぐるしい勢いで回転を始め、僕の推理は答えを導く。

 もう詰んでいるのだ。黒シリーズはすでに世界の裏側亜空間を遍在する超高々度巡回メテオミサイルによる地上の爆破を機体の中枢に命じている。それは少年にはみえるはずのない少女の闇の実体化が交差する現実のあいまに浮かび上がる現状から明らかだ。街の頭上を旋回するギアの鳥の実行機関、人間ならば脳にあたる中枢神経と脊椎神経のなめらかな連結が指令系統からの情報を異世界の出力先へと引き継ぐ時、この街に最後のミサイルが撃ち落される。この時間は、世界のバランスが崩れたことによる異界の物質の流入は、――いや、とそこで思考が打ち消す。考えをさらに飛躍させる――いや、そもそも最初からそうだったのかもしれない。黒シリーズなんていう異世界のギアの鳥が僕らの目の前をぐるぐると旋回し始めた、そのときから崩壊は始まっていたのだ。


 時間軸をより広大なスパンで――時間の尺度を非常に長くとった場合の、当然の思考の帰結はそれだった。



 

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