ミステリ専門書店〈谷藤屋〉不定期営業中

庵字

ミステリ専門書店〈谷藤屋〉出現

ミステリ専門書店〈谷藤屋〉出現

 僕が子供の頃から営業していた本屋が、先月閉店した。

 ただでさえ「シャッター通り」と揶揄される町の商店街。その中の一番奥の通りのさらに端っこという立地を考えれば、その本屋は十分時代の流れに抗ったほうだったといえるだろう。

 僕の母親が井戸端会議で仕入れてきた噂によれば、その本屋の店主の子供たちは皆、店を継ぎたがらずに、さっさと他に職を求めてこの地方都市を出て行ってしまったのだという。店主自身も相当な「爺さん」であるため、跡継ぎがいなければ経営が行き詰まるのはどのみち必然だっただろう。ネット通販の台頭、最悪な立地、跡継ぎの不在。天の時、地の利、人の和。全てにあの本屋は見放されてしまったというわけだ。


 店が閉まったのは突然だった。ある日〈誠に勝手ながら閉店させていただきます〉と手書きの張り紙がシャッターの上に張り出されていた。その数日後には張り紙も消えて看板も取り外されており。そこが本屋であったという痕跡は跡形もなく消えさった。老齢の店主は子供のひとりの家に呼ばれて余生を過ごすらしいと、これも母親からの情報だ。


 その本屋がなくなっても、別段何かを感じるということはなかった。

 思い出がないわけじゃない。小さい頃には父親に連れられて、父親がなにやら難しそうな分厚い本を買い求めるついでに、漫画雑誌をねだって買ってもらったこともよくあった。僕は、店主がてきぱきと本にカバーを掛けていく手並みに何か「達人的」なものを感じて、それを見るのが好きだった。漫画雑誌ではカバーを掛けてなどくれない。父親と本屋に行くのは、漫画を買ってもらうという他に、父親の購入した本に店主がカバーを掛ける技を見たいという目的もあった。ただでさえ、あの店主はカンフー映画に出てくる「老師」のような風貌で、「達人っぽさ」に拍車が掛かっていた。思えば、あの店主は僕が子供の頃からすでに爺さんだった。

 僕自身が購入した書籍にカバーを掛けてもらったという記憶はほとんどない。僕は依然、「カバーを掛けてもらうような本」を購入することがあまりなかったためだ。


 その本屋のシャッターが開いていた。閉店してから数週間後のことだった。僕は引き寄せられるように店の前に足を止める。見上げると看板が掛かっていた。

谷藤屋たにとうや

 何屋? まず僕が感じた疑問はそれだった。店の出入り口には〈開店中〉の札が提げられている。僕は引き寄せられるようにドアを押した。

〈谷藤屋〉は前の店と同じく本屋らしい。狭い店内の壁を覆った本棚には、びっしりと本が詰め込まれている。僕はタイムスリップしたような感覚に襲われた。もしかして、店の奥のレジに目をやれば、そこには僕が子供の頃からすでに爺さんだった店主が……。


「いらっしゃいませー」


 そこだけが、かつての〈ここ〉とは決定的に違っていた。僕に掛けられたのは、うら若い女性の声。果たしてレジに立つのは、その声にふさわしい人物だった。

 腰まである長い髪。眉の上で切りそろえられた前髪。くりくりとした大きな目に被さるフレームの細い眼鏡。襟のついたシャツとデニムの上から〈谷藤屋〉と書かれたエプロンを掛けている。


「あっ、あの……ここは本屋ですか?」


 女性に見つめられて僕は、思わずアホな質問をしてしまった。店内を見ればそんなことは分かり切っている。が、その女性は僕の頓狂な質問にも、


「はい。当店、谷藤屋は書店です。しかも、ミステリ専門の書店なんです」


 笑顔で答えてくれた。


「ミステリ専門?」

「はい、そうです。当店では、古今東西、あらゆるミステリ小説を取り揃えております」女性は笑顔を絶やさないまま、「私、店主の谷藤ふうと申します。かぜと書いて『ふう』と読みます。どうぞよろしく」


 女性、谷藤風さんは、ぺこりと頭を下げた。こちらこそ、と僕もお辞儀を返してしまう。顔を上げると、にこにこと微笑んだままの谷藤さんの立ち姿があった。


「ぼ、僕は、永城源えいじょうげんといいます。大学一年です」


 さらに自己紹介までしてしまう。向こうから名乗られたのだから、思わず反射的に名乗ってしまった。


「えいじょうげん、さんですか」

「は、はい。永遠の永にお城、みなもとと書きます」

「素敵なお名前ですね」

「あ、ありがとうございます……」


 見つめられながらそんなことを言われて、僕は目を伏せてしまう。


「ところで、永城さん……」谷藤さんの声に顔を上げると、「永城さんは、ミステリ、お好きですか?」


 そう僕に訊いてくる谷藤さんの双眸は、先ほどとは打って変わり、燃えるように爛々と輝いていた。


「ミステリ……推理小説のことですよね?」

「はいっ! 『推理小説』だなんて、永城さん、お若いのになかなか古風なネーミングを使いますね!」

「は、はあ……」

「で、お好きですか? ミステリ! 推理小説!」


 谷藤さん、上目遣いでぐいぐい来る。そのまま立ち続けていれば、彼女と数センチの距離を置いて見つめ合うことになるのだが、僕は後ずさりして両者の距離を保ったままにしてしまった。


「え、ええ、嫌いではない……ですよ」


 実はいわゆる「推理小説」というのは、子供の頃に児童向けにリライトされたものを数冊程度しか読んだ経験はない。しかも全て学校の図書館でだ。


「で、でも、正直、あまり小説を読んだことはないんですよね……映画とか、ドラマばっかりで……」

「ほうほう」谷藤さんは、正直に答えた僕の発言にも気を悪くするような素振りもなく、「ミステリ作品は好きだけれど、小説という媒体には、あまり触れたことはない、と」

「え、ええ、興味はあるんですけれど、何て言うか、ハードルが高いっていうか……」


 これは本心だった。推理小説って、なんだか難しそうじゃない?


「よかった!」谷藤さんは、表情を眉を釣り上げた勇ましいものから微笑みに変えると、「あなたこそ、ここ〈谷藤屋〉を訪れるに相応しい人物です。永城さんは、来るべくしてここに来たのでしょう!」

「はあ?」

「ミステリ小説に興味がおありでしたら、ぜひ、私のお薦めする小説を読んでみていただけませんか?」


 眼鏡の似合う美人に、小首を傾げるとともに柔和な視線を向けられて、僕は頷くしかなかった。

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