第6話
ロイド歴三八八〇年五月。
一〇歳になった俺は色々と忙しい。
今は前を歩くキシンについて表にやってきている。
俺たちの住んでいる館には表と奥と言われるエリアがあり、奥は今まで俺が暮らしてきたエリアの事でアズマ家(キシンの家族)が住むエリアだ。それに対し表はアズマ家の政治の場で家臣たちも頻繁に出入りするし他家からの使者との謁見もこの表で行われる。
因みに他家と戦争になって攻め込まれたりするとこの館を出て小高い丘の上に建っている城に移る事になるが、俺が記憶を取り戻して九年になるが今までそのような事はなかった。
廊下で家臣たちに出会うとキシンに対し膝を付き頭を下げる。俺に対して頭を下げているわけではないが少し気持ちが良い。俺の後ろにはキシンの小姓が二人着いてきているのだが、この二人も俺と同じ優越感を覚えたのだろうか?
一応、俺にも小姓が付けられているのだが、俺の小姓は奥で俺の帰りを待っている。俺の小姓は何れも家臣の子供で将来は俺の片腕となって働く事になる、だろうと思っている子供たちだ。俺は無理に家を継がなくても良いと思っているが、そんな事を言えば騒動になるので敢えて何も言わないけどね。
キシンが部屋の前で止まると。そこで控えていた(俺の後ろに居る小姓とは別の)小姓が障子をスーッと開ける。人力自動ドアだ。奥でも侍女が同じ事をしているので珍しくはない。
部屋の中には家臣がキシンを待ち受けており、障子が開けられると同時に頭を下げた家臣たちを見て頷いたキシンは部屋の中央を通り部屋の奥へ進む。俺と俺の後ろに居た小姓たちもキシンに続いて中に入って行く。ちょっとピリピリした雰囲気があるので緊張するな。
部屋の一番奥の一段高い場所に座布団と肘置きが一つずつ置いてあるのでキシンがその座布団の所に立ち俺はその横に立つ。小姓たちはキシンの後ろに立ってキシンの挙動を伺っている。
キシンが座布団に座ると俺もその横に腰を降ろし、小姓たちも同様に腰を降ろした。てか、俺には座布団ないのかよ!
「皆の者、面を上げよ」
キシンは俺と話す時とは違った一段低い声色で家臣たちに頭を上げる事を許す。頭を上げた家臣たちはキシンを見ると同時に俺の姿がキシンの横にあるのを見て取ったのか、明らかに驚き目を剥く者、目を細め俺を値踏みするような視線を投げる者、平然としている者など色々と表情が違う。
「本日より嫡男キミョウマルに評定を見学させる事にした」
キシンが俺を紹介してくれたので次は俺の番だ。
「キミョウマルで御座います」
俺が名前だけを告げる簡単な挨拶をして両手を床に付けて軽く頭を下げると、家臣たちも頭を下げる。家臣たちの下げる頭の角度は俺よりもかなり深いもので、主家の嫡男に対して無礼のないものだ。
俺が頭を上げると一呼吸置いて家臣たちも頭を上げる。あれだけ深々と頭を下げていたので俺が見えないはずなのに頭を上げるタイミングがバッチリだね。感心するよ。
結構広い部屋に家臣は八人しかいないのだが、その家臣は中央を境に左右に四人ずつ並んで座っている。キシンを中心にキシンから見て左側には家老衆が四人、右側に奉行衆が四人座っている。それぞれ座る場所も決まっており、キシンに近い方に座る者の方が地位が高いのだ。
「殿、キミョウマル様を評定にお加えになられるのでしょうか?」
家老衆の一番キシン寄りに座っている髭面の男がキシンに問いただしてきた。見た目と座る位置からすると筆頭家老のブゲン・アズマだ。キシンの伯父になる。
ブゲンはまだ元服もしていないガキの俺を重要な評定に出席させるのか、とブゲンだけではなく全員の内心を代弁したのだろう。
因みに評定と言うのは日本で言う国会みたいな場でアズマ家の政や重要な案件を話し合う場なのだ。そして評定衆と言われる者はアズマ家家中で一〇人しかいない。今はその内の八人が出席しているがこの場に居ない二人の内一人は他家との領境近くの砦の守将として領境を守っているので出席できないし、もう一人は京に出向いているとの事で欠席している。
「見るだけだ、まだ元服もしていないが将来の為に評定がどのような場なのか見識を広める為のものだ。発言は許していない」
そう、俺は挨拶以外は発言する事を禁止されている。前世で言うところの父親の職場見学ってわけだが、ちょっと違うのは意味が分からなくても発言できないので質問も許されないところだろう。
取り敢えず、キシンの言葉に少し場が和んだ気がする。それでも俺に対し敵意ある視線を投げてくる者もいるんだ。家中では次期当主に弟のフジオウを推す者も少なくない。その一派からの視線だろう。こんな弱小家の中で家督争いなんかしていたらそれこそ他家の思うつぼだという事が分からないのだろうか? まぁ、弱小だからこそ強い当主を望むのかも知れないけどね。
俺についてそれ以上の追及はなかったのでキシンは評定を進めさせた。評定を進行しているのは奉行衆で一番キシン寄りに座っているヒョウマ・アズミだ。
ヒョウマは髭面のブゲンとは違いひょろっとした細面で剣の腕よりソロバンの腕を見込まれ奉行衆になっている。だから武を重んじる者はヒョウマを嫌っている事が多いそうだ。
評定ではそれほど興味を引かれる案件はなかった。だから俺は評定を大人しく見学している振りをして今日の午後から出かける予定の町の視察でどこに行こうかかと考えていた。
そこにまたオンダ家がアズマ家うちにちょっかいを出そうとしていると話にのぼってきた。
オンダ家は五年前に攻め込んできて手痛い反撃を受けて暫く鳴りを潜めていたがどうやら今回はかなりの戦力を投入してくるだろうとの事だ。
たしかキシンがオンダ家の猛者であるコウゲン・クノウを討ってからはアズマ家との領境で小競り合い程度はあったようだが、本格的に戦を仕掛けて来る事はなかったはずだ。
「オンダの成り上がり共め、性懲りもなくまた攻め込んでくるかっ!?」
家老衆でガゼル髭のゼンダユウ・クサカが忌々しいと言わんばかりに吠える。
「時期は何時になると見ているのだ?」
「は、恐らく収穫が済んだ一〇月下旬頃だと思われます」
奉行衆のイチノスケ・コイズミが戦争の時期に関して答えるとキシンは目をギュッと結び瞑目しだした。
「殿! オンダなど襲るるに足りませぬ鎧袖一触でケリが付きましょうぞ!」
豪快に言い放ったのは家老衆のコウダイ・アカサカだ。何人かはコウダイの言葉に頷いて同意している。
「うむ、攻めてくると言うのであれば是非もなく蹴散らすのみ」
キシンは家老衆から奉行衆の顔を一人一人見回し間を開ける。
「だが、備えは万全にするべきだ。・・・内蔵助、傭兵共の練度はどうか?」
「は、既に精鋭と言えるほどに育っておりまする」
白髪のお爺ちゃんが応える。内蔵助と言うのは官職の事で名前はカズマ・オオサキと言うのだが、このお爺ちゃんはキシンの子供の頃の守役で今は家老衆に加わっている。キシンとしては頼りにできる家臣の一人だが如何せん既に還暦を過ぎた老人なので先がね。
キシンが確認した傭兵というのは文字通り金で雇った兵の事で最近何かと財政が潤っているアズマ家が金に物を言わせて雇っている兵の事だ。その金の出どころは俺なんだけどね。
これで忍の者が居れば情報操作や情報収集とか後方攪乱とか色々戦略の幅が広がるのだけどな~。
「うむ、皆に武具の手入れを怠ることなく備えよと申し伝えよ。奉行衆は更に兵糧、矢弾の蓄えを! 此度は今までと違う! 我が家の備えも知らず調子にのったオンダを逆に攻め滅ぼす気概を持って戦に臨む!」
『おうっ!』
キシンはオンダ家との戦いに決着をつけるとまでは行かなくても領地を広げる気で戦いに臨むようだ。
ミズホの国は平野部が多く作物を育てるのに適しており、事実ワ国有数の米どころでもあると聞いた事がある。しかしアズマ家の治める土地は山間部が多く米の収穫量はそれほど多くないのが現実でこれまでのアズマ家は他家に比べかなり貧乏だった。
このワ国では米の収穫量が国力を表す指標となるのでアズマ家はこれまで他家の後塵を拝する状況に甘んじてきた。
しかし俺がミズホ和紙やミズホ油などを生産して輸出している事で金を稼いでおり、その金で傭兵を雇い、米や麦を輸入し、俺が武具を供給する事で反撃の準備が進んでいたのだ。
「この際だ少し早いがキミョウマルを元服させる」
キシン君の爆弾発言が投下された。まさかとは思うがこの為に評定の場に俺を連れて来たのか? キシンめ抜け目がないな。
だがその発言に猛然と反対する者が現れた。
「殿! キミョウマル様はまだ若く元服させるのには些か早う御座います!」
ゼンダユウだ。ゼンダユウは次期当主をフジオウにと推すフジオウ派の首魁でもある。だってフジオウの母親の父親なんだもん。
自分の孫が当主になればアズマ家の実権はゼンダユウが握れると思っているんだろうな。
あまりにも見え透いていて面白味のないゼンダユウだが、槍の腕は相当なものだと聞いている。その血がフジオウにも流れているせいかフジオウは生まれつき【槍士】の職に就いている。
「ワシが戦に赴くにあたり、後雇の憂いを無くす為の処置だ。やや早い事は承知の上だがキミョウマルはいずれこのアズマの家を継ぐのだ、問題なかろう」
「早い感は御座いますが、古来より一〇歳で元服した者は数知れず、某は賛成で御座いまする」
筆頭家老であり俺の大伯父であるフゲンが俺の元服を支持する発言をするとゼンダユウはフゲンを一睨みし更に口を開ける。
「なればフジオウ様も元服を!」
あからさま過ぎるだろ!
ゼンダユウの発言には俺でも呆れる。
俺は特に当主になりたいと思っているわけではないが、それでも俺がフジオウ派と俺を推す者たちが相争い家督争いが起きる事だけは避けたいと思っている。だからキシンがフジオウを当主にすると言うのであれば俺は何の躊躇なく受け入れるだろう。
だが、今のフジオウを見ているととても当主にするのは不安がある。
アイツは落ち着きがなく癇癪持ちだし、その挙句に自分の気に入らない相手があまり身分の高くない者だと平気で暴力を振るって半殺しにするようなヤツなんだ。心を入れ替えない限りフジオウを当主の座に就けないように俺は小細工を弄するだろう。表立ってはしない。影でこそこそするのが俺には丁度良いのだ。
俺の元服は半月後に行われる事になった。
そしてフジオウの元服は認められなかった。当然だろう。
ゼンダユウは最後までごねたが他の評定衆の同意は得られなかった。少なくともあの場でゼンダユウの味方をすればキシンの心象が悪くなるのは俺でも分かるし、俺でも若いと言っているのに俺より年下のフジオウを元服させるなど論外だ。
それに当主であるキシンが俺を跡取りと定めているのは誰の目にも明らかで、表立ってそれに反論する材料がないのも要因だ。
他家と争っている状況下で強い当主を求めるのであれば、俺なら俺の全弟であるドウジマルを推すね。ドウジマルも生まれながらに【守護者】という職業を得ている。この【守護者】は珍しい職業だが過去に何例かあり、どの例も歴史に名を残す活躍をしている職業だ。ただの【槍士】よりもよっぽど良い職業だ。
だから職業を理由に俺ではなくフジオウを推す事はできない。それをすればドウジマルの方が良い職業だとなるのだから。
フジオウ派の心の拠り所が脆くも崩れてしまっているのだ。
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