Winters Cocoon

神の虚栄≪ルミナセウス≫

Winters Cocoon

 降りしきる雪は銀のヴェールと成り天空を覆い、降り積もる雪は結晶の花と成り大地を包む。私の視界は白で満たされていく。私の街は白で満たされていく。世界は白で満たされていく。濁りのない純粋な白はもう穢れることは無い。なぜなら、この惑星には私を残して他の人間……いや、生命は存在しないからだ。あるがままにある自然は何者にも汚されることは無い。

 私は独り、この光塔の上で来たるべき時を待つ。父や母、兄弟たちと過ごした温もりの場所、無垢なる幼年期を経たボロボロの学び舎、無知と自由がもたらす神秘に満ちた自然、決意と決別の地、喧騒と繁忙で呪われた大都会の街並み。すべてが雪で覆われていく。私が過ごした場所に宿る記憶。良い思い出も、悪い思い出も全てが雪に包まれていく。

 それらの場所は白の層と重なった時、お互いに溶けあって一つになる。それでも雪は降り続けるからやがて一つに融合して、純粋な輝きで満たされるのだ。それは人と人とが理解し合うように、心と心が共鳴し合うように。

 太陽と月の輝きが灰色の天蓋雲を突き抜ける時、雪のヴェールを構成する結晶の一つ一つがその光を乱反射する。一つの結晶から無限の光線が放たれ、それは別の結晶へ、また別の結晶へ。天の輝きは無限に増幅し地球の中を遍く行き渡る。

 今人々は、この地球は、天からの使いと一体になろうとしている。神との融合。我々人類は次の次元へと進化する。


 雪が降り始めると、故郷を離れ上京してきたことを思い出す。家族総出で見送ってくれたことを今でも忘れない。精一杯笑顔を作って我慢していた涙を、電車の中で流したことも。

 東京に来てからはどんどん無感情になっていった。人とのつながりが増えれば増えるほど、逆にその人から離れていくような感覚。実際には繋がりなんて増えていなかったのかもしれない。それでも楽しいことはあった。同僚とは仲良くなれたし、娯楽施設も田舎とは比べ物にならないほどあった。でも……それでも、心のどこかに冷めている自分が常にいた。バカみたいに酒を飲んで酔いつぶれても、金で女と遊んでも、会社をズル休みして一日中寝ていても、心の中のどこかで冷え切って無感動な自分が居た。そいつはいつも私を見ていた。私がそいつに見せつけるように享楽に耽っていても、そいつは表情一つ変えようとしない。表情と呼べるものがあったのかすら疑わしいくらいだ。

 私は東京の忙しさと人混みが、常に他人から見られている意識が、摩耗した神経が、そいつを生み出したのだと思っていた。だから故郷に帰ればそいつは消え去るだろうと思っていた。しかし、それは東京から初めて帰省した時に間違っていると確信した。懐かしい風景を見ても、あんなに温もりを感じた家族と再会しても、心で繋がり合っていた友人たちと顔を合わせても、そいつはずっと私を見ていた。私が感動するところを一々見てくるのだ。そいつは母と私が抱きしめ合っているところを、父と晩酌しているところを、日焼けした自室に懐かしさを感じているところを、その凍てついた表情で凝視しているのだ。私が何かを感じている、まさにその瞬間を、気持ちの高ぶりを。常に監視されている。

 早々と帰省を切り上げて、東京へと戻った。今度は涙を流さなかった。それどころか、何も感じなかった。あいつが見ているから。感情の高ぶりを悟られてはいけない。

 東京での日々は相変わらずだった。私は機械の一部に過ぎない。仕事を回すだけ。働いている間はあいつの視線は感じなかった。だからずっと働いていた。不運にも、仕事は大量にあったので、朝から晩まで働いた。次第にそれ以外の時間でも何も感じることは無くなってきた。すべてが無意識だったように思える。私は機械の一部ではなく、機械そのものだった。起きて出勤、働いて帰れば寝る。この繰り返し。食べ物は何でもよかった。それに一日に一度食べれば、あとは何も感じなかった。そうして私は倒れた。

 病院で目を覚ました時、全てを理解した。もう一人の自分から逃げるために、私は奴と同じになってしまっていたのだ。それに気が付いた時、私は心の中に少しだけ温かみを感じられた。私は私を獲得したんだという実感があった。分裂した感情を元に戻せたのだ。私は素直に嬉しかった。すると急に空腹を感じられた。もう一度ここに還って来ることができたのだ。

 私は休暇を貰い全国を旅した。日本中の人々を見てきたが、今の私が一番幸せだと思った。幸福を味わっている時、何もすることが無いにも関わらず何かしたい、そんな衝動だけが私を支配した。そして私はそれにとてつもなく肯定的だった。なぜなら私のなかにはもう一人の私は居ないのだから。私の心は全て私だった。

 休暇が終わっても仕事に行くことはしなかった。働こうとしない私を責める私は居なかったので、何もかもが上手くいくと確信できた。そして私の旅は日本を超えた。世界を見て回った。今度は努めて人のいない場所、つまり山々を巡ることにした。

 そんな時、旅先のスイス、メンヒの山奥の奥、最奥の地でとてつもなく大きな光の柱を見つけた。吹雪に閉ざされた山の中、私は当てもなく彷徨っていた最中にそれは現れた。私の眼にそれは白金や純銀や七色のスペクトルなどおよそ輝きを放つもの全てが一体となったまさに光そのものとして、そしてそれが天と地を結ぶ架け橋のようにして映るのだった。激しい雪風の中、白く霞んだ光塔の先端部は厚い雲に追われて見えず、塔全体も虹のように風景の一部として私が見ているこの世界に描かれた陽炎だったのかもしれない。光の柱に向かい歩を進めても追いつくことは無かった。ただ私はその輝きに囚われて居ながらも、どこか安心感を覚えながら……そう、私はあの輝きがいつか還る場所なんだと、この事ばかり考えていた。

 そうしていたら、いつの間にか吹雪は晴れ下山の道筋が明瞭に浮かんできた。柱は知らぬ間に消えていた。私は神の存在を感じた。

 季節は巡り、この冬が来た。永遠の冬がやってきたのだ。


 雪は止む事無く降り続け、春が来ても夏が来ても全く溶けることはなかった。気温は常に1℃を保ち、横殴りの吹雪も収まることはなかった。この現象は世界中に見られ、科学者たちが一斉に原因解明に乗り出したが、糸口すら掴めることなくとうとう誰にも理解することができなかった。唯一皆が分かっている事実は、この雪は何をどうしても溶けないし変わらないということだった。海は凍てつき、大地は沈黙し、空と星々は遥か彼方に消え去った。この地球全体が大いなる眠りの中にあった。私にはあの輝きと再会できるような予感があった。

 こうして世界は雪と氷に閉ざされた。


 私はしばらく働いていなかったが何ら罪悪感も感じることは無かった。冬の間はまだ雪が降ることが当たり前だった時節で、会社や実家から何度も連絡が来ていたような気がしたが、私はもうあの輝きのことしか考えることができなかった。そして私はそのことを考えたいのだ。光塔に思いを馳せている時、私ともう一人の私の心は合致して本当の自分であるような気がした。いや、実際そうだったのである。

 世界各地の山々を巡ったがそう簡単に見つけられるはずも無かった。そうしているうちに、春になっても雪の勢いが衰えることが無いことが判明し、世界中に不安が広がった。私だけを除いて。

 私は光を追い求める求道者。神を見出そうとする信徒。現実世界のあれこれがどんどん私からかけ離れて行った。思い出深い風景は数枚の写真として、私の中の宇宙の片隅に紙屑のようにグシャグシャにされ捨てられていった。次元を一つずつ超越している実感があった。これが進化の悦びなのか、と。曇天に追われた空を突き抜け偉大なる青空に全身を放り投げれば、美と神秘の領域すなわち外なる宇宙は目前に差し迫り、この境界をつまり重力の及ぶ限界を、私は――超えた。

 

 星々と銀河の集合体が織りなす点描画のような光の風景画。暗黒の天球をカンバスに、星の色は見つめれば見つめるほど、凛然とした白銀から麗しい蒼碧、雄々しい赤橙色へ無限に変化していった。色彩変化のパターンが波紋を織りなし、星々全体の風景が揺らめいて、銀河は影のようで……炎! 星は炎で魂なのだ! 宇宙空間に無限に広がる生命の環、人々の魂は星の輝きだったのだ! 

 それらの彩はその人間が辿ってきた道筋の全てを表し、辛いことも悲しことも苦しいこともあっただろう、絶望しかない人生であったかもしれない、けれど、それらは全て輝いている! たとえその人生が苦難に満ちていて幕引きが悲劇であったとしても、死して魂は輝きを放つのだ。地獄など存在しない。人々は皆、死して救済される。神の輝きへと、平等に、人類全体が、いや、全生命体が、辿り、着ける、のだ……


 一年が経っていた。気が付けば私は光塔の上にいた。そこから私はなじみ深い街を眺めていたのだ。

 人類の抵抗虚しく地球は雪氷に覆い尽くされた。しかしこれは悲しいことではない。そして死でもって、人々を救済すると言うことでもない。光塔の上でただ独り、最後の人類として神に祈りを捧げよう。

 地球はあるべき姿を取り戻そうとしている。人工物は雪の重みで破壊し尽くされ、灰色で埋められた大地は、もとの色を取り戻した。そしてその上に更に雪が降り積もることで、この惑星をも救済しようとする。

 この雪は救済因子だ。ただの雪ではない。触れ合ったものと溶け合って、大いなる存在と一体化する準備を整える。それは繭に似ているかもしれない。進化を遂げるため、自らを覆い尽くすのだ。雪に埋もれていった人々は決して死んでおらず、むしろ幸福だっただろう。神を見出し、母胎への回帰をその身で実感できるのだから。

 さあ、あとは全生命の魂とこの地球を、宇宙の輝きへと還してやるだけだ。どうやら私にはこの偉大なる所業を最後まで見届ける特等席が与えられたようだった。

 曇天が晴れ光が差し込む――降臨の輝き。その姿は人間では決して捉えられない、光そのもの。聖なる輝きは未だ降り続ける吹雪の一つ一つの結晶に入り込み、六方へと反射され、1の光は6となり、6の光は36となり、36の光は216となり。無限に続くフラクタル。神性が迫って来る。無限の光線として。

 雪の繭で覆われた命は、神の光でもってして、遂に輝きそのものの次元へと至るのだ。至高の存在へ、永遠の存在へ。

 私は全身に神の輝きを浴びる。私が私でなくなりかつ私であるような感覚。光は私のすべてを剥ぎ取り、魂を露出させるが、私は全であり個であるため崩壊しない。光線が肉体の中で乱反射していき、満たされていく。ああ、神よ! 光とは此処にあったのだ。

 高貴なる流れの中、救済の光は満ちた。

 輝く地球の超新星爆発と共に、我々人類の魂は宇宙空間へと解放され、暗黒の天球カンバスへ星々として打ち付けられる。永遠に続く生命の鼓動。我々は全であり、個である。

 そうして人は星になった。新たなる生命の誕生を見守りながら、天球という大いなる流れの中で、永遠を揺蕩うだろう。ある者は彗星として自由奔放に、ある者は六等星として穏健に、ある者は一等星として大らかに、生前の絆は星座を織り成し結ばれるだろう。そして、そのそれぞれが私であり、そのすべてが我々なのだ。

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