第94話 不穏な雰囲気とフィユタージュと食材集め

「カール様」


その日、朝食前の早い時間に、妙に真剣な顔でカリフさんが訪ねてきた。


「どうしました?」

「実は昨日、アイスサイトで、妙なことがありまして」

「妙なこと?」

「はい。うちの仕入れはストーム様からの直接買い付けと、ペイシェル様とラクタネル様の口利きで市場から優先的に良いところを回して貰っているのですが」

「ラクタネル?」

「ああ、今の拠点の前の持ち主の方です」


あの爺さん、そんな名前だったのか。


「その日はどういうわけか、王都方面の商会がたくさん来ていまして、どんな高値でもいいから魚を売ってくれと」

「どんな高値でも?」

「ええ、実際その日の競りは、通常の数倍の落札価格でした」

「それは凄い」


「それでも足りないらしく、うちのように、優先的に庭先で購入しているいくつかの商会にオファーがまわってきまして。譲ってくれるなら30倍出してもいいからと」

「30倍?!」

「はい。もっとも普通に運べば王都価格は10倍くらいにはなってしまいますから。それでも30倍は破格ですな」

「それで、カリフさんは?」

「もちろんペイシェル様の許可を得て、ストーム様との直接取引分以外は全部売り飛ばしましたとも」


毎日仕入れで、1日くらい飛んでも在庫はありますしね、と言ってにやりと笑った。


「問題はですね、そんなに大量の高級食材を、価格を無視して仕入れなければならないほど使用する大きなイベントが、輸送期間を考えると王太子の晩餐会くらいしかないってことなのです」

「じゃあ、それで使うんじゃないの?」

「買い漁っていた商会は、王家と繋がりのある商会じゃないんですよ」

「?」

「どちらかというと、教会御用達の商会ですな」


え? コートロゼで食料の買い占めをやったみたいに、食材の買い占めをやって、晩餐会を失敗させようとか?

いや、それはいくらなんでもコストがかかりすぎるし、どっかから食材を調達されたら意味がないだろう。


「ま、ちょっと嫌な感じがしたので、ご報告しておこうかと。商売人のカンですかな」

「ありがとうございます。気に留めておきます。よろしければ朝食でも?」

「いえ、そこまでは。こんなに早く来て申し訳ありませんでした」

「とんでもない。いつでも歓迎しますよ。またおかしな動きがあったら教えて下さい」

「かしこまりました」


しかし、高級魚の買い占め……というわけでもないか。自分のところで必要な商会は売らないだろうしな。

大量の食材の使い道、か。


ま、ここで考えていても仕方がない。朝食をすませて、マリーを迎えに行こう。


  ◇ ---------------- ◇


今日は、マリーをあちこち引っ張り回さなきゃならない予定なので馬車で移動している。

馬車毎リンクドアを越えれば、車内からは何処にいるか分からないだろうという、超適当かついい加減な発想によるものだが、マリーなら大丈夫な気がするんだ。


「ふーん、そりゃ王太子の晩餐会関係だろうなぁ」


とハロルドさん。


「そうですかね?」

「忘れたのか? 王太子は人種融和政策の急先鋒だぞ? 何かしてきてもおかしくはないだろ」


そうは言っても王太子だし、露骨に邪魔とかできないだろうしな。

そんな話をしているうちに、馬車はヴァランセの前に着いた。


「おまたせ」

「おはようございます」


とマリーが馬車に乗り込んでくる。


「今日は何処に行くんですか?」

「まずは香辛料だね」


ハロルドさんはしばらく適当にすすんでから、商会のリンクドアを馬車ごとくぐる予定になっていた。


「すごい! この馬車、全然揺れないんですね」


しばらく乗ってマリーがそう言った。


「マリウスさんって言う一種の天才の作品だよ。もうすぐ彼の馬車が各街を結ぶ駅馬車として走り始める予定」

「へー、こんだけ揺れなければ、旅も快適ですね、きっと」


コートロゼに抜けてからも、適当に走ってから、トーストさんの家の前に馬車を止めた。


「ここは?」

「世界で一番スパイスがある場所」


そういいながら、俺は馬車を降りてトーストさんの家のドアをノックした。


「こんちはー」

「あ、カール様!」


忙しそうにトーストさんが働いている。しばらく来ない間に、なんだかドアが増えたか?


「隣にパン工場が建てられて、そこと繋がってるんですよ。本当に石窯が20台とかあるんですよ? どうしましょう……」

「どうしましょうって、人を雇えばいいじゃないですか。儲かってるでしょ?」

「そりゃもう。いったい何に使えってんですかってくらい。まだ10日とちょっとしか経ってないんですよ? 頭がおかしくなりそうです」

「まあまあ、それで後進を育てて下さいよ」


「はい、シセロさんに頼んで絶賛募集中です。それで、今日はどうしました?」

「いえ、研究室のスパイスを分けて貰おうと思いまして」

「どうぞどうぞ、カリフさんがしょっちゅう見たこともないようなスパイスを持ち込んでくるので、全部のチェックすらできていませんが……」

「じゃ、見せて貰います」


えーっと、クローブっぽいのは、こないだ見つけた……クロブだっけ?

あとは、ローリエっぽいの……うん、この甘い香りは近いな。一応葉っぱだし。


「ロルベルの葉ですね」

「あ、マリーも使う?」

「ええ、良い香りですし、お肉の臭みが消えるので、煮込むときに少し」

「そうだな。余り長い時間入れっぱなしだと苦みが出るから、香りだけつけて、ある程度のところで先に引き上げるのがコツだ」

「え? そうなんですか?」

「ボクの知ってる似たような葉っぱと同じならね」


そういえば、確かに少し苦みがあったかも……なんてぶつぶつ言ってる。


エストラゴンっぽいのと胡椒っぽいのは――これかな?


「ドラケンですね」

「ドラケン?」

「そうです。カリーナの森の南側の、よく日のあたる場所にたくさん生えているそうですよ。日のあたる場所と火のあたる場所をかけたんでしょうか。ドラケンと呼ばれています」


へー、さすが料理人。詳しいな。


「ぴりっとした鮮烈な辛みをつける香辛料ってある?」

「ありますよ」


といって、マリーは香辛料の山を見回している。


「しかし、ここ、凄いですねぇ」

「使ってみたいものがあったら、もってっていいよ」

「本当ですか?」


「ああ、構いませんよ。ここもカール様のものみたいなものですから」


とトーストさんが割り込んだ。


「ありがとうございます!」


といいながら猛烈に物色し始めた。胡椒はどうするんだよ……まあいいか。


トーストさんに聞いて、ピッペという名前の、見た目もまるきり胡椒なスパイスを教えて貰った。よし、大体これでいいだろ。


さて。トーストさんにはトーストさんでやって貰いたいことがあるんだ。


「やって貰いたいこと? なんでしょう」

「パイ皮を作って欲しいんです」

「ミートパイやリーゴパイの皮とおなじような?」

「いえ。あれは練りパイというパイ皮ですが、作って欲しいのはフィユタージュというパイ生地なんですよ」

「おお、なんだかまた新しいものですね! 是非やらせて下さい!」


まあ、折り込みパイ生地は応用が利くしね。ただし、面倒くさいぞー?

俺はその作り方を、メモ板に書いて説明し始めた。


「あ、あのカール様。これ、ものすごくたくさんのバター?というものが必要になるようですが」

「今回はこちらで用意しますから。本当は牛乳から作るんですけど……」


俺はこっそり馬車の中にハイムを展開して、ノエリアにバターをたくさん持ってくるようにお願いした。発酵バターの無塩だよと念をおしておいた。


とりあえず、別のメモ板に牛乳から作るバターの作り方も書いておく。

生乳を深い容器に入れて、涼しい場所で放置すると上にクリームが浮いてくる。それを集めて、後はひたすら振るだけだ。ただし温度を上げてはいけない。

そしたら固形物が分離するから、それがバター。ただ、新鮮な牛乳がないからなぁ……


「しかもなんだか、滅茶苦茶時間がかかるような、寝かして寝かして、ひぃふぅみぃの……6時間?!」

「そこが大変な所なんですよ。大量に作れるようになったら、カリフさんからアイテムボックスを借りて保存して下さい」

「アイテムボックス?!」


とトーストさんは目を剥いたが、これから大量にパン類を作り始めたら、絶対必要になるから、早めに用意させておこう。


「あと、バター作りもフィユタージュ作りも、基本的に低温が必要です。一瞬でもバターが溶け出す温度になると失敗しますからね」


と念を押しておく。


「わかりました。やってみます」

「じゃ、バターはこれで。どこか冷たいところは……」

「そうですね。ではこれの中にでも入れておいて下さい」


と言って指さしたのは――冷蔵庫?!


「なんでも低温でものを貯蔵する箱だとか。カール様、カリフ様に発酵パンの話をしたとき、低温発酵の話をしたでしょう?」


オーバーナイト法か!


「そしたら、どこからかこの魔道具を探し出して持ってきたみたいですよ。いったいいくらするのか恐ろしくて聞けませんでしたけど」


あの人もすっかり趣味の人になっちゃって……まあいいか。発酵バターは100個くらい詰めておいた。


よっし、次は野菜だな。


「ほら、マリー、行くぞ」

「え、ええー? カール様、あとちょっと! ちょっとだけ!!」

「いい加減にしとけよ。また連れてきてやるから」

「ほんとですか?! 約束ですよ!」


香辛料の棚に張り付いていたマリーを引きはがして、馬車へと戻る。


次は野菜だな。


「なあ、マリー、野菜の種類がとにかく沢山ある所ってどこだ?」

「王都の市場が一番だと思いますよ」

「よし、じゃあそこへ行こう」


そうやって、また王都へと戻っていった。


  ◇ ---------------- ◇


王都の市場は朝のピークを越えて、少し暇になっていた。


「たぶんここが、一番たくさんの野菜を取り扱っていると思いますよ。うちも普通の野菜はここで買っています」


とマリーに連れてこられた店は、色とりどりの野菜を並べた、まさしく野菜の専門店のような店だった。

これ全部野菜なのか。いったいどこから仕入れているんだろう? 凄いな。


「すみませーん」

「ハイ、いらっしゃいませ。あら、マリーちゃん」

「こんにちはー」

「こちら、お知り合い?」

「うちのオーナーです」

「ええ?! ヴァランセの? それは凄い」


凄い?


「もう、今、めっちゃ話題だよ? 小金貨1枚で、金貨10枚に匹敵する料理が食べられる店って」

「それも嬉しいけど、小金貨1枚で、幸せな気分になれる店、の方が嬉しいかな」

「あはは。じゃあ、次からそう宣伝しておくね」

「よろしくお願いします」


「私、ブラス。いろんな野菜が好きで、野菜を作ってるの」

「ええ、これ全部自家製?!」

「んー、まあ、大体」


いや、そっちの方が凄いだろう。


「それは凄いですね。私はカールと言います。今後ともよろしくお願いします」

「こちらこそ」


「それで、とりあえずある野菜全部1個ずつ下さい」

「は? 全部?」

「はい」


と言って金貨を数枚取り出した。

ブラスさんはケタケタ笑いながら、やっぱ話題の店の人は違うわ、とかマリーに言っている。


「あと、裏を貸して貰えますか?」

「ええ、どうぞ」


裏へ回って寸胴に水を入れて全ての野菜をよく洗ったあと、片っ端から、かじったり香りを嗅いだりして、メモしていった。


「あ、カール様!その野菜は」

「ぐっ……」


滅茶苦茶渋い。なんだこれ。


「それはカーキと言って、生で食べたら舌がバカになりますよ!」

「も、もうちょっと早く言ってほしかった」


だけど、これってもしかして……


「カーキってさ、もしかして干して食べる?」

「え? そうなのかな?」


そのやりとりを聞いていたブラスが、


「カール様、よくご存じですね」


と言った。そしてなにやら裏からしなびたカーキを持ち出してきて、はいこれと差し出してきた。


「えー、それ大丈夫なの? なんだか白く粉がふいてるけど、カビ?」


うん。形は違うけれど、どう見ても干し柿だ。あるんだ、ここにも。


「マリー、それは糖だよ」

「糖?」

「そう、凄く上品で甘いんだよ、これは。これ、沢山ありますか?」

「ええ? 売り物じゃないんだけど。毎年沢山作ってることは作ってるよ」

「少しヴァランセへ卸していただけるとありがたいんですけど」


ブラスは快く引き受けてくれた。よっしゃー干し柿ゲット。

フォアグラもどきとも、凄く合うだろう。


他に生でかじったら危険なものだけマリーに仕分けして貰った。


がりっ


「ふんふん」


もしゃ


「ぬぐぐ」


しゃく


「ん? ふむ」


「なんだかカール様って料理人みたいなことをされるんですね」


と俺の百面相を見ながらマリーが面白そうにそう言った。


「うーん。あんまりこっちの食材のことを知らないからな。あらかじめ知っておかないと何もできないだろ?」

「こっち?」

「あ、いや、ほら、王都方面」

「ああ」


そうしてかじり続けた俺は、


玉葱っぽいオニン。

ニンニクっぽいガリク。

人参ぽいキャロ。

トマトっぽい、マート(ちなみに小さいのはミマート)

セロリっぽいセルリー。

ネギっぽい、リーク。


などを発見した。というか、これ、名前から想像しても大丈夫なんじゃ……不思議だな。

よし、これで素材はそろったし、マリーに料理の概要を伝えよう。

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