第95話 マリーの受難

翌日の朝、早い時間から、俺とマリーはヴァランセの厨房で作業を始めていた。何しろ時間がないのだ。


昨日王太子からメニューがヴァランセ宛に届けられた。

それを見る限り、伝統的な王都の料理が主体で、コースとして出されるにしても、なかなかに重たい料理が並んでいる。

やはり、クラシックでいくしかないか。ま、作り方だけ教えておけば、マリーがなんとかしてくれるだろ。


「これから作る料理は、キュイール・アン・クルットと呼ばれる調理法で、いろんなものをパイ生地に包んで焼く料理なんだ」

「パイ生地?」

「パイ生地ってのは、さくさくした食感のパンみたいなものだと思ってくれればいいよ」


「今回の料理を簡単に説明すると、リンドブルムで、インバーク鴨の肝臓をくるみ、さらにそれをパイ生地に包んで焼いたものなんだ」

「リンドブルムの試作をするとき、鴨の肝臓との組み合わせは私もやってみました」


へえ、さすがマリー。


「でも一緒に火を通した場合、リンドブルムを厚くすると肝臓が溶けてしまいますし、リンドブルムを薄くするとそっちに火が通りすぎて固くなっちゃうのです」

「そうだね。両方別々に良い感じで火を通して、重ねて出すという料理もあるよ」


ロッシーニ風なんかそうだよな。そう言えばあれもペリグーか。あれでも良いんだけれど、今回は、いかにも手間がかかってますって感じの、見た目のハッタリが欲しいんだ。


「ああ、別々に!」


王国の料理は、フレンチで言うところのミジョテする料理がとても多い。ミジョテっていうのは、要するにひたすらことこと煮続ける料理のことだ。

凄いのになると2日以上煮込んだりするから、薪を始めとする燃料代もバカにならなかったろうな。原始的と言えばそれまでだけど、フランス料理だってそこが基本なんだから、発展はこれからってことなんだろう。

そういうわけで、別々という発想が時々抜け落ちる。


でも今回のやつは違う。


「リンドブルムを平たくのばして、鴨の肝臓をくるむんだ。そうすれば熱は外側から加わるから――」

「丁度良いところを探せるんだ!」

「そのとおり。それだけじゃつまらないから、肝臓と一緒にデュクセルを入れて、さらにこれをパイ生地で包む」


そう言って、昨日からトーストさんに作ってもらっていたパイ生地を取り出して見せた。素材や器具を全部冷やしてから作り始めても失敗したので、最終的にはカリフさんに氷魔法の使い手を用意して貰って、氷柱まみれの狭い部屋を作って作業したとか。凄いコストがかかってそうだな……


「これがパイ生地ですか。デュクセルというのは?」

「デュクセルってのは、そうだなぁ、茸のペーストかな」


本来ならシャンピニオンだが、とてもよく似たマルムという茸があった。ハイムのフードプロセッサーを使ってピュレにしても良かったのだが、ここはマリーが作ることを考えて非常に細かくアシェ――みじん切りに――してみた。

これをバターで延々炒めて水分を飛ばしペーストにしていく。


茸と言えば、ソースに欠かせないトリュフも、トフという類似品が存在していた。ブラスさんに茸に強いお店を紹介して貰って、嗅ぎまくった甲斐があったってものだ。


「もっとも、今回はパイ皮に包む前に、中身をこれに包もうと思うんだ」


そういいながら、俺は半透明の薄い皮を取り出した。

これこそがこの料理――リンドブルムのパイ包み焼き――を作ろうと思った原因素材だ。


この薄い皮は、大魔の樹海に自生する、奇妙な豆類の木の、種をくるんでいる皮なのだ。大魔の樹海内の特定の場所には、定期的に魔力というか、魔素の薄い時期と濃い時期がある場所がある。

この豆は、そういう場所に自生していて、この皮は、魔素が濃くなると自然に消滅して種をばらまく特性を持っている。


つまりこの皮で包んで包み焼きなどの料理を行った後、対象に魔力を通せば包まれた皮だけがきれいに消えてなくなるのだ。

パイ包み焼きはどんなものでも、中に包まれる素材のエキスが流れ出すため、パイ自体はパリパリにするのが難しい。パリパリになるほど火を通すと中に火が通りすぎるのだ。

しかしこれなら、完璧なパイ包みができるのではないだろうか。そう考えたわけだ。



「これで後は焼くだけですか?」

「うん。焼き色をつけるために、パイ生地に卵を塗って、てっぺんに小さな空気抜きようの穴を開けたら、あとは焼くだけだね」


「中が見えないから、どのくらい焼いて良いのかわかりませんね……」

「焼きそのものは、同じ釜で時間を計っていくつか焼けば、一番良いところを探せると思う。でもね、この料理、実は大変なのはここからなんだよ」

「へ?」



そうして俺は、ソースの旨味となるためのフォン・ブランと、ソースの骨格になるゼラチン質をとるためのフォン・ド・ヴォー、いや、フォン・ド・リンドブルムか、を作る手順を説明した。


フォン・ド・リンドブルムは、リンドブルムの骨や関節に油をかけてローストし、きれいに焼き色をつけた後、沸騰直前で灰汁を取る。


「ここで焼き色をつけすぎると、後で焦げたような風味が付いてしまうし、かといって足りないと風味も色合いもいまいちになる。自分の色を見つけてね」

「はい」

「それに、骨は下ゆでしていないから、灰汁はものすごくたくさん出る。きれいにそれを取り除かないと、後で雑味が混じるから」


マリーは懸命に、メモ板に内容を書き込んでいた。


これにオニンやマートなどの野菜を炒めたものと、ロルベルを始めとする香草を加えて、灰汁を取りつつ12時間。時々水を加えながらミジョテ――ひたすらことことと弱火で煮出していくこと――する。


「12時間?!」

「最低そのくらいだね。じゃ今回はちょっとズルしよう」


と俺は寸胴を腕輪に取り込んで、そのまま数時間を経過させ、減りすぎた水を加えて、また取り込んでを3回繰り返して、12時間以上経過させてから取り出した。

マリーには何度か腕輪調理を見せているので、もう特に驚いたりはしないが、いつもいいなあといった感じの眼差しを向けてくる。うん、でもこれ、技術は全然培えないから。


「で、こんな感じになる」


そこには茶色いスープの上に野菜屑と脂が浮いている余り美しいとは言えない液体があった。

これを目の細かい網で濾して、濾した液体をもう一度沸騰させて灰汁を取り、皿に細かい目の網で濾すと、透明感のある綺麗な茶色い液体ができあがる。この時点でクリアに仕上がっていないと、使ったときソースの艶がなくなったりするので注意が必要だ。

それを、氷などで一気にさまし、後は冷やしてゼラチンを固めれば完成だ。


「これは主にソースに旨味ととろみをつけるために利用する、フォン――つまり、出汁だ」

「これ、骨はなんでもいいんですか?」

「うん。例えばパーヴの骨を使ってやると、フォン・ド・パーヴになる。パーヴ料理のソースにはきっと合うだろうね」

「じゃ、インバークボアの骨なら――」

「フォン・ド・ボア、だね」


風味ととろみがポイントだ。


「魚でも使えますか?」

「使えるよ。その場合は、フュメ・ド・ポワソンといって、後で教えるフォン・ブランっぽい作り方をするんだ。煮込み時間も30分くらいと短くていい」


フレンチのフォンに、魚をローストするフォンってのはあまり聞かないけれど、うちの爺ちゃんが、焼き魚の骨にお湯をかけてスープっぽくして飲んでたのは、意外と旨かったから、やればいい出汁がでるのかもな。

もっとも色をつけるという目的にはまったく合致しないだろうけど。


「で、ソースに旨味を足したいときは、フォン・ブランを使う」

ブラン?」


そう。フォン・ブランは最初に骨をローストしないため、フォンに色が付かない。そのため、ブランと呼ばれるわけで、普通は鳥を使うけれど、実際は何の肉を入れても別にかまわない。

色が付かなきゃ、全部フォン・ブランだ。


「これは旨味をとるためのだしなので、クセのない鳥類のガラと丸鳥を使おう」

「はい」

「さっきと違って、まずはブランシール……つまり、下ゆでかな? をする」


鍋に丸鳥とガラを入れて沸騰させ、沸騰したら湯を捨てて、丸鳥とガラに付いた灰汁をきれいに水で洗い流す。


「あとは、新しい鍋にそれと水を入れて、5時間くらいミジョテする。もちろん灰汁が出たらすくってね」

「そうしたら、今度は炒めずに切れ目などを入れた野菜やクローブなどの香辛料や香草を入れて、灰汁をすくったら、さらに6時間以上ミジョテする」

「はあ……また12時間くらいかかりますね」


「こないだの屋台の煮込みなんかでも、結構かかるでしょ?」

「あれはせいぜい4時間とかですよー」

「旨い出汁には時間と手間がかかるものなんだよ」

「ううう、頑張ります」


それでも一度に作っておけば腕輪でしばらく持つし、いろんな料理やソースのベースに使えるから、となだめておいた。

これも腕輪調理で時間をスキップさせて、最後はフォン・ド・リンドブルムと同様2回濾して、灰汁を取り除き、急冷して、綺麗で透明なスープに仕上げた。


「味見してみる?」

「はい……うわっ、鳥の旨味が凄く出てますね!」

「でしょ? お金が掛けられないときは、もっと小さな鳥をたくさん使うとか、野菜も料理の後に出る野菜屑を使うとかで、いろいろ工夫するといいよ」

「わかりました」



そして、やっとソースだ。


「今まで、苦労してきたのは、このソースを作るための下ごしらえなんだ」

「普通に作ったらもう24時間以上経過してますけど……」

「それだけ伝統的なソースは作るのに時間がかかるんだよ。まあ、あらかじめフォンをとっておけばそうでもないけどさ」

「アイテムボックスがないと出せませんね」

「そうじゃないところの場合、フォン・ブランなんかは、毎日作るみたいだよ」

「うう。大変です」


作るのは、ソース・ペリグーだ。


本来のペリグーだと、古典ソースのエスパニョールを半量に煮詰めて、デミグラスを作成し、それにマディラ酒を加えて煮詰める。

が、このエスパニョールというのがくせ者で、古典的エスコフィエなレシピだと煮込むのに数日かかる。いくらなんでも、ちょっと無理だ。


というわけで、先に作ったフォンとマディラを使って煮詰める現代風のペリグーにしよう。


ハイムのセラーは、どう考えても俺が向こうで買ったワインの復刻版で、たぶん俺の記憶から再構成されているように思えるから、これも絶対あるはずだ、と思って捜したらやっぱりあった。

P.ド○ヴィエラの1901。葡萄はマルヴァジアだ。マディラワインは100年ものでも、頑張れば俺たち庶民でも買えるお値段なので買ったことがあったのだ。


「じゃ、ためしにひとつ焼いて作ってみよう」

「はい」


さっき作った4個のパイ包みを、予熱した釜に入れて、15分 20分 25分 30分で取り出してみる。

その間にソースを完成させよう。


蓋付きの器にトフを2個くらいと水を少し入れて、100度で90分経過させキュイッソン(煮汁)をとる。ひとつまみのお塩を入れるのがコツだ。

取り出したトフは細かく刻んでおこう。


ソースパンにバターを入れて、香りを出す野菜を入れる。

マルムとエシャロットっぽいものを刻んで入れて、しんなりするまで炒めたら、さっきのマディラを加えた。


「良い香りですね」

「うん。アルコールを完全に飛ばして少し煮詰めたら、フォン・ド・リンドブルムとフォン・ブランを加える」


比率は、マディラ:フォンが1:3くらいで、ブランとリンドブルムの比率は自由だけど、俺は1:1より少しリンドブルム多めだ。


「これを半量になるくらいまで煮詰める」

「なんでも煮詰めて凝縮させるのは、今の王国料理も同じですね」

「そうだね」


煮詰まったら、別のソースパンに、さっきのトフを入れ、そこに濾しながら煮詰めたソースを入れていく。


「うーん、トフの香りって、土というか芋というか、あんまり使ったことがなかったんですが、こうやって甘い香りのソースと合わせると引き立ちますね」

「好きな人はとても好きな香りらしいよ。ん、そろそろ15分じゃない?」

「あ、一つ目、取り出しておきます」


取り出しながらマリーがパイに魔力を込める。これで中の皮が消えるはずだ。


そのままトフ入りのソースを1/4程度になるまで煮詰めて――


「最後にバターでモンテする」


少しバターを入れて溶かして照りととろみをつけるわけだ。


「そして、さっき作っておいた、キュイッソンを入れて、香りをプラスしてあげるんだ」

「うわっ、トフの香りが全開ですよ!」


これを温めた皿に敷いて――


「20分が良さそうです」


と次に取り出したパイを半分にカットしながらマリーがいった。


「じゃ、全部取り出してカットして、ソースを敷いた皿に乗せてくれる?」

「はい」


「じゃーん。リンドブルムのパイ包み焼き、ソース・ペリグーの完成です!」


早速試食だ。本日は早朝で少しだけの予定だったから、お供が護衛のハロルドさん一人しかいない。


「あー、当然俺のも」

「ありますよ、どうぞ」


くっくっく、これが最近の楽しみでよー、といいながら、さくっとカットして、ぱくっと食べた。


「んっ、あふっ、あふい……んぐっ。くっ、ん、めええええええ!」

「リンドブルムって、こんなに柔らかく仕上がるんですね。中の鴨も溶ける直前くらいで、リンドブルムにさらなる豊潤な味わいを追加していて、周りは食べたこともないくらいサクサクだし……それにこのソース、一体、これどうなってるんですか?」


ほふーっとため息をつきながらマリーが色っぽくそう言った。


「焼いただけのリンドブルムも美味かったが、こうして手間がかかったものは、また別のうまさがあるな……しかしカール様よう。ちょっと見てたが、こりゃ作るの面倒くさすぎて、普通は作るの無理だろう」

「一日中料理しかしていないような職業の人が作る料理ですから、大丈夫ですよ」


コンソメやフォンひとつ作るのに、平気で何日も煮たりする人たちは、ちょっと普通じゃないからね。


「焼く直前まで仕上げたら、全部アイテムボックスに入れておいて、毎日受け取りに来るから。そして一度にまとめて焼こう」

「はい」


そうすれば、作ってから24時間経過しても 5分弱しか経たないわけで、一気に焼いて腕輪に入れておけば大丈夫だろう。


後は例の買いしめが少し気になるな。


「それとさ、当日の数日前から、ちょっとやって欲しいことがあるんだ」

「やって欲しいことですか?」


そう、マリーの地獄は始まったばかりだったのだ。

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