第87話 オープン準備とヴァランセと最初のお客様

その後もいろいろがんばって、国内に食材拠点を開設してまわった。ただ、最高で稀少な食材ばかりを中心にしたために、大量仕入れで大量消費するような食材購入とは若干ずれた配置になってしまっている。


カリフさんは、大量仕入れで大量消費するような、例えば一般的な麦類などは、すでに大手ががっちり握っていて、仕入れ側で割り込む余地があまりないからいいんですよと言ってはいたが……



ヴァランセ用に借りた店舗は、間口の広い店だったので、ミートパイをお持ち帰りで買える小さなカウンターも入り口横に設置できた。


「まだまだトーストさんの量産体制が整わないので、この店で売るくらいが精一杯ですね」


などと言っていたが、あのスパイス狂詩曲からまだ10日ほどしかたっていないのだから、量産体制が整うわけがないはずで、きっとトーストさんが死ぬほど働いているに違いないと思うと涙なしではいられないね。


そうそう、件のインバークの隠された階段はまだ開けていない。忙しかったのも確かだが、なにかこう、藪をつつきそうな、なにかの尻尾をふんずけそうな、ヤな予感がするのだ。

とはいえ、一段落したら、探検せざるを得ないとは思っている。ハロルドさんの軽口が現実にならないことを祈るばかりだ。



肝心なヴァランセの料理だが、この国の料理はどかっと一度に出すのが主流なのだが、ここにコース的な文化を持ち込もうと思っている。


構成の基本は、標準的な多皿構成になる前のフレンチだ。


アミューズ

冷たい前菜

暖かい前菜

デセール


よくいらしてくれるお客様には前回とかぶらない特別な料理や、お召し上がりになりたい食材などを聞いて提供することもできるし。後は季節の食材にあわせてアレンジしていけばいいだろう。


「そんな風に、一皿ずつ出していくわけですか」


と、マリーが珍しそうに聞いてくる。


「そうです。そうすれば温かいものは温かいうちに、冷たいものは冷たいうちに食べていただけるというわけです」

「しかし、時間がかかるのでは?」

「そう言う時間も楽しんでいただくのです。大金を払って、食べました、はいさようなら、では余韻がなさ過ぎるでしょう? これは食を楽しむという文化、食べる劇場なのです」

「なるほど!」

「他にも、お酒などの飲み物をご注文いただいて一緒に楽しんでいただくと、結構時間を使っていただけます」


「アミューズというのはなんですか?」

「アミューズは、ご注文をうけてすぐに出される料理で、これからマリーが作る料理の方向性などをお客様に呈示する大切なものですよ」

「うう、難しいです」

「まずは、いらっしゃったお客様に驚きや期待を抱かせることが重要ですから、事前に準備できる、小さくて可愛らしいものをいくつか用意して飾りつけるなどすれば良いのですよ」

「わかりました」


前菜の目玉は当然クレアマスだろう。

あの繊細さは、メインの魚よりも前菜でミキュイに仕上げて、シンプルなソースやソースなしで提供するのがいい。


俺が腕輪で仕上げたクレアマスを食べて、あまりのおいしさに感動したマリーが、試行錯誤の上にそれを再現した。

スチコンはなくても、さすが異世界、謎の魔法調理器具が色々あって温度の管理もやればできるらしい。


「でもカール様、クレアマスというと、なにもしなければ2時間でダメになると言う話を聞きますが」

「あ、大丈夫。カリフさん、あれを」


カリフさんがカバンから、やたら高価そうなケースを取り出した。

そしてぱかっとそれを開けると、銀の腕輪が現れた。no.8だ。


「これは?」


カリフさんが、そっとマリーさんに耳打ちする。


「えええええ?! こここ、これが?!」

「ええ」

「ももも、持ち逃げしたらどうするんですか! 転売したら一生遊んで暮らせそうなんですけど!」

「大丈夫。カリフさんが許可した人以外には使えなくなってますから、持ち逃げしても価値はないですね」


おそるおそるそれに触れると、重さを確かめるように手のひらの上で、めつすがめつしている。


「氷と一緒に入れておけば、大体10日は大丈夫です。アイスサイトのものなら、3ヶ月でも大丈夫ですよ」

「そ、そんなに?!」

「それでもまあ、仕入れ順に使っていただければ」

「当たり前です!」

「必要なときに取り出して調理して下さい」

「はい」


舌の上にのせれば溶けてしまうような柔らかな食材には、しゃきしゃきした野菜がよくあう。

根セロリのような野菜があればいいんだが。香りが強すぎず、しゃきしゃきした食感の野菜を添えて下さいとお願いしておいた。


温かい前菜以降は、特別な取り扱いを必要とする食材がないので、基本的にマリーに任せている。

一応タンパク質の熱変性と料理への応用については説明しておいた。


デセールは……生クリームとか砂糖とかフルーツとか、考えてみればコートロゼの範疇だな。

トーストさんにいろいろ教えて、ケーキとか作ってもらおうかなと言ったら、ミートパイの作業が終わった後でお願いしますとカリフさんに突っ込まれた。トーストさん、死なないで下さいね。


  ◇ ---------------- ◇


従業員は、フロア3名と調理場1名を採用した。

スーシェフのデルフィーヌと、サービスのクラドックはマリーの推薦だ。


本来はそのくらいで行きたかったのだが、個室があるためどうしてもサービスの人数が必要になったため、応募をかけてもらった。

一人くらい亜人のサービスを入れたかったのだが、時間が無くてすでに訓練されている人で募集したため、応募がなかったのだ。

カリフさんにナーフを貸して下さいよと頼んだら、彼女は打たれ弱いからダメですと拒否された。

まあ、初めのうちは嫌な思いをすることもあるだろうしなぁ、しかたないか。


調子に乗って、エールメースにコックコートとギャルソン風の制服も発注した。形は大事よね。

「こ、ここの胸の所を革で作っても……」

「だめです」


なんてやりとりがあった結果、エプロンベルトが、なんか格好いい革製になってた。まあ、そのくらいなら許そう。


その後は、何度かスタッフによる試食会(そのたびに、なぜかハロルドさんを始めとするいつもの人たちがいたのだが……)を経て、ついにヴァランセがオープンする日が来たのであった。


  ◇ ---------------- ◇


「本日いらっしゃるようなお客様は、流行に敏感で新しいものはとりあえず試してみる人たちです」


オープンに先立って、なにか挨拶をお願いしますと言われたので、従業員の前で話をしている。


「このお客様を楽しませることができれば、口コミでヴァランセの地位も確かなものになるでしょう。練習通りにやれば大丈夫です。緊張感をもってサービスして下さい」

「「「「「はい」」」」」


初日だけあって、最低が小金貨1枚という世間的にはなかなか高額な料金でも席はびっしり埋まっていた。そう、この世界ではまだ珍しい、全席予約システムを採用したのだ。

実際は飛び込みで亜人がいてトラブルという事態を避けるために、うちは亜人を差別しない店だと言うことを大々的に謳いつつ予約を受けたわけだ。

禁煙席ができはじめた頃、うちは全席禁煙ですよといって予約を受けたのと、大体同じようなものだ。


そうそう、亜人オーケーのケモナーマークも作ったよ! なんで亜人なのでケモナーなのかって? 発端がリーナだから。ただそれだけ。

この世界にケモナーって言葉はないみたいだから、全く問題ないし。このマークを貼ってある店は亜人オーケーな店って意味だから、それが嫌な人はあらかじめ避ければいいだけだしね。



個室以外の予約は、しばらく前から先行してオープンさせたミートパイの販売カウンターで行っている。


このカウンターでは、1ホールなら小金貨2枚もするミートパイの1/6カットを銀貨2枚で販売し、好評を博している。値段が安い(充分高いけど)のは、本店のサービス価格ってことにしてあるが、実際は食事の料金とのバランスをとったのだ。

あとは、お食事後に次回のご予約も受け付ける予定だ。


予約をやってみて思ったのは、これが一般向けに行われてないのは、電話や細かい住所がない世界だからだろうってこと。受付と本人確認がどうにも難しいのだ。


仕方がないので、予約時に割り符をお渡しして、それを持ってきていただくことにした。


偽造? ふっふっふ。何を隠そうこの割り符はノエリアが苦労に苦労を重ねた結果作られたチタン製だ。偽造できるもんならしてみやがれってんだ。そいつを雇うよ。


なお、個室の予約だけは、商業ギルドのシステムを通して受け付けることにした。

この時代、遠方から予約されると、その日に必ずつけるとは限らない。商業ギルドを通せば、最低料金を先払いで支払って貰えるため、そこに保険がかけられるわけだ。

ただし、最低料金のうち20%は商業ギルドの手数料に持って行かれる。いや、それはちょっと高くない?


そうして記念すべき一組目の貴族のお客様のリストを見ると――


「えっと、カリフさん、これって……」

「商業ギルドにこの店を登録したら、翌日にご連絡を頂きまして」


そこには、ヒョードル=トルゾー伯爵と、サリナ様ご一行の名前があったのだ。

ええー、ボレないじゃん!


「そこですか!」


サリナ様では仕方がない。無償でご提供差し上げて、ついでに、いくらくらいが妥当が聞いちゃいましょう、そうしましょう。

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