旦那様は小学4年生。

原口 凛

第1話 川田正樹の悩み。

 あれほど真面目に一生懸命働いて、自分も同期入庁者と同じくそこそこ昇進できる気がしていたのに何故かきれいさっぱりとそんな事はもう手の届かない場所へ行ってしまった。

「ああー、眠れなくて食事もとれないんですね。それは辛いですよね」

妻にほぼ、無理矢理に連れてこられた精神科の医師は正樹が記入したマークシート型の検査用紙を見ながら言葉を続ける。もうあのマークシートを塗りつぶすだけで体力も気力も消耗してしまった。今はただ、早く家に帰って毛布にくるまって寝たいとそればかりが頭の中で浮かんでは消える。

「し、仕事にも行けなくなってしまって・・・」

妻の襟子はハンカチを顔に当ててもごもご言っている。彼女の頭の中は多分、正樹が思い描く言葉の何十倍ものことが渦巻いているのだろう。特に金銭面のことは正樹の何倍も腐心しているのに違いない。

 医師は特に物珍しいふうもなく、パソコンと心理士が渡した検査結果をかわるがわる見ている。

「そうだねえ、仕事も行けないくらい具合が悪いのではねえ。少し休養をされますか」

「えっ」

と最初に声を出したのは襟子だ。

「どのくらいですか」

また襟子が聞く。

「とりあえず1か月というところかな」

何故、自分の病状について自分以外の人間が話し合っているのだろう。違和感はあったが敢えて口は出さない。面倒だ。

「じゃあ、ひと月が経てば良くなるんですね。治るんですね」

「それは今は何とも言えないですよ。ご主人の経過次第なんだから」

医者もしつこく聞く襟子に少し辟易しているように見える。

「まあね、診断名は『うつ症状』となりますけど、今は10年前よりかなり認知されている病名ですから。ご主人の職場にも同じような症状のかたが増えているのでは」

流行っているからと言わんばかりの医師の口調だ。

 抗うつ剤、安定剤の名前をつらつらと言われ、薬の説明らしきことも聞いたような気がしたが、正樹は一秒でも早くこの場を去りたかった。

 自分はもうずいぶん悩んで来たのだ。医者が休めと言えば休もう。自分で決めるのが億劫で仕方がない。楽になりたかった。

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