第10話


「エルネスタ先生」

「何ですか、ユートさん」


 いつもならバイトから帰宅して寝ているはずの深夜、悠人はエルネスタからちょっとした講義を受け、お手製のテストを解かされていた。講義といってもエルネスタの世界の文字を書き取らせ、いくつか単語を覚えさせただけなのだが、全く馴染みのない言語なため、教える側も教わる側もなかなか骨が折れた。


「わかりません」

「何でわからないのよ⁉︎ ちゃんとあたしの話し聞いてたの?」

「聞いてたけどさー」

「ちゃんとしないとぶつわよ!」

「ちょっと、何かキャラ変わってねぇか?」


 エルネスタは伊達眼鏡をクイっとあげ、教鞭代わりに握った菜箸を振り上げてみせた。悠人に勉強させるため、エルネスタはまず形から入ることにしたらしい。


「俺、どうせ『女教師』がテーマなら、そういうきっつい先生じゃなくて、ほわぁとした先生のほうがいいな」

「なんだと」

「いや、きっつい先生でもいいんだけど、それなら服装はワイシャツにタイトスカートで、胸もお尻もパッツンパッツンみたいな……あ、すまん」

「あ、謝らないでよ! わかった! そんなにぶたれたいならぶってあげるわよ!」

「嫌でーす! ぶたないでくださーい!」


 エルネスタが本気で菜箸を振りかぶる仕草を見せても、悠人はニヤニヤしている。完全に小学生のじゃれあいだ。色気なんてあったもんじゃないわね、とエルネスタは思う。


「先生、質問でーす」

「何よ、ユート」


 何だかんだ文句をつけつつ、悠人は教師と生徒ごっこが気に入っているらしい。小学生のように元気良く手を上げて、質問したい意思を伝える。


「先生、ヘンリエッテの胸は本物ですか? 魔術ですか?」

「……はぁ? あなた、魔術舐めてるの? 真面目にやりなさいよ」

「いや、真面目だって。もしあの豊かな胸を魔術で作り出せるんだったら、せっかくこうして魔術を習い始めたんだし、俺は豊胸専門の魔術師を目指そうかなって」

「……なってどうするの?」

「こう、悩める女性に『大きくおなり〜』って授けて回るんだよ」


 悠人は持っていたペンを指揮棒のようにふりながら言った。ふわりと手を広げてパタパタと揺らして、彼なりに『妖精』をイメージしているようだ。


「……ちょっと、あなたさっきから変じゃない?」


 そんな悠人を、エルネスタは呆れつつ可哀想な人を見る目で見ていた。


「だってさー、俺、深夜のテンションなんだもん。そりゃ変なことも言うよ」

「……ごめん」


 本当なら悠人は大学とバイトのあとで疲れきっているはずなのだ。それをエルネスタが魔術で覚醒させているだけで、起きているが、思考はかなり不安定だ。悠人は、酒には強いが眠気には弱い。


「手伝うって言った手前、投げ出す気はないんだけどさ、エルの世界の言語は難しいって。すぐには覚えられねぇよ」

「でも、悠人は三種類の自国の文字と一種類の他国の文字を覚えて使いこなしてるじゃない。悠人が使ってる文字のほうが余程難しいと思うんだけど」

「あー、漢字と片仮名と平仮名とアルファベットのこと言ってんだな。まぁ、そりゃ今では使いこなしてるけど、順々に練習してったわけだから」


 そう言って悠人は、手元にあった紙に適当な漢字仮名交じり文を書いてエルネスタに見せる。


「この、丸っこい字があるだろ? これが平仮名って言って、この国の人間は子供のとき一番最初に習うんだ。次に習うのが、この固そうな片仮名っていう字で、主に外国から入ってきた言葉とかを書き表すときに使うのな。最後にこのごちゃごちゃしたのが漢字って言って、さっきの二つが音しか表さないのに対して、こっちは一文字一文字意味がある。大昔はこの漢字しかなかったんだけど、それだけじゃ難しいし不便だから、漢字をアレンジして平仮名と片仮名を作ったってわけ。というわけでいきなりこのごちゃごちゃしたのを書けたわけじゃねぇのよ」


 深夜モードの悠人は、変なスイッチが入ったらしく、ペンを指示棒代わりに熱心に解説を始めた。ちょうど最近、言語学の講義で平仮名や片仮名について聞いたばかりだったため、するりと口から出たのだ。

 悠人は実家で弟の勉強を見ているため、教えるのがなかなかうまかったのもあって、エルネスタは自分が教える側であることを忘れて聞き入っていた。


「……これ、使えるわ!」


 悠人の話に聞き入っていたエルネスタだったが、突然何かを閃いたらしく立ち上がった。


「悠人、難しくて覚えられないのなら、簡単な文字を作りましょ!」

「……どういうこと?」

「だからね、新しく文字を作りましょって言ってるの! あなたが魔術を使うための、簡単な、新しい文字を!」

「……おぉ!」


 スイッチが切れ、反応が鈍くなった悠人だったが、エルネスタが何か思いついたことは伝わった。

 それでも、そのリアクションを最後にパッタリと丸テーブルに突っ伏して動かなくなった。


「え? ユート、寝ちゃうの? ……疲れてるもんね」


 もう一度覚醒の魔術をかけようかと考えたエルネスタだったが、気持ち良さそうに眠る悠人を見るとそれはできなかった。

 振り上げた杖で代わりに、悠人の体をふわりと浮かび上がらせる。以前燭台を浮かせて見せたのと同じ要領なのだが、背の高い悠人の体を上手く横にすることができない。仕方なく、自分の体に寄りかからせてベッドに運ぶことにした。


「……起きないでね」


 シルエットだけ見るとまるで抱きしめられているような格好になって、エルネスタは浮かせた悠人を運んだ。恥ずかしさと嬉しさをそっと噛みしめて、大した距離もないのに無駄にゆっくりと。



 次の日、チャイムが鳴る前のざわついた講義室で、悠人は夢の中で感じた浮遊感について考えていた。ついでに、夢うつつのときに嗅いだ良い匂いのことも。

 丸テーブルで力尽きたはずなのに朝はベッドで目覚めた。それはつまり、エルネスタが運んでくれたということだろう。

 意識が一瞬引き戻されたとき、自分がエルネスタの髪に顔をうずめていることに気づいて少し焦った。だが、眠たくてたまらなかったし、不快ではなかったため、そのままもう一度眠ったのだった。

(欲求不満ゆえに見た妄想、じゃないよな)

 ふと不安になりながら、自分の胸に手を当ててみる。


「おい、悠人。顔がやらしいぞ。朝っぱらからシャンプーの匂いするし。朝風呂とは良い身分だな、コンチキショー。何か良いことでもあったのかよ?」


 そんな悠人を見て、やさぐれ気味の翔太が絡む。今朝はヘンリエッテからの手紙がもたらされなかったせいで不機嫌なのだ。


「いや、別にやらしくはねぇよ。昨日バイトから帰って色々忙しくて風呂入れないまま寝たから、朝シャワー浴びただけだって」

「その『色々忙しくて』っていうのがまたやらしくていかんね! 悠人、お前やらしいんだよ! 何か色っぽい話があるんだろ? な?」


 平然とする悠人になおも翔太は絡む。イケメンが台無しなほどのやさぐれぶりだ。


「ところでさ、悠人はエルネスタちゃんかニコルちゃんのどっちかと、何か進展あった?」


 やさぐれ翔太が、探るような目で悠人に尋ねる。悠人は、それに対してどう答えるべきか考えた。隠すようなことでもないが、正直に話してもいいのだろうか、と。


「進展ってわけじゃねぇけど、昨日もエルネスタの勉強の手伝いしてたんだよ」


 嘘をついて見抜かれても困るため、悠人は当たり障りのないことを答えた。どちらかというと勉強をしているのは悠人なのだが、手伝いという意味では合っている。


「まさか、魔術の勉強か⁉︎」


 色っぽい話でなければ興味を失うと思ったのに、予想外に翔太は食いついた。しかも、とんでもないことを言っている。何も知らない人が聞けば、翔太は痛い人扱いだろう。周囲を見回して、室内が騒がしいことに悠人は少し安心する。


「は? な、何言ってんだよ?」


 心底びっくり若干引き気味という顔を作って悠人は言った。実際に、一体それをどこで知り得たんだという驚きはある。


「いや、手紙でヘンリーが『私は魔術師なの』って言っててさー。大樹は『きっと欧風ジョークだって。可愛い子はギャグセンスも違うな』って言ってたんだけど、俺はマジだと思ったわけ! だからさ、エルネスタちゃんもニコルちゃんも魔女だってことだろ?」


 情報の意外な出処に、悠人は唖然とした。おいヘンリエッテ、と心の中で突っ込みを入れつつ、目の前の友人をどうしたものかと考える。


「……そ、そうなんかなぁ」


 考えた結果、悠人は知らないふりをすることにした。面倒くさいことに巻き込まれたくないからだ。ただでさえ、ヘンリエッテと翔太の恋愛(?)模様は面倒くさい様子なのに、さらに何の意図かわからないがヘンリエッテが自分が魔術使いだと教えているだなんて、面倒くさいニオイしかしない。


「俺さ、ヘンリーが魔女だってわかって、思ったんだ。これは運命だって」


 嬉しそうに言う翔太に、何をどう思ったらそういう解釈ができるんだと突っ込もうとしたとき、ちょうどチャイムが鳴った。

 講義を受けながら悠人は、これが終わったら残念イケメンな友人をどう巻こうかと考えていた。



 その頃エルネスタは、食堂で遅めの朝食をとりながらヘンリエッテとニコルに詰め寄っていた。


「ねぇ、胸が大きくなる魔術って知らない?」

「エル、どうしたの? いきなり」


 脈絡のないその発言に驚いて、ヘンリエッテは飲んでいたお茶を噎せた。


「……ちょっと気になって。ねぇ、何か知らない?」


 さりげなく切り出したつもりだったのに友人たちがあまりにも目を丸くして見つめるため、エルネスタは戸惑った。


「……ユートが大きい胸が好きって言ったの?」


 容赦のないニコルは、いきなり核心に迫る。「ちょっと、そんな聞き方しなくても」とヘンリエッテがたしなめたが、ニコルはニヤリとするだけだった。


「べ、別にそんなんじゃないわよ。向学心よ、向学心。あなたたちが美容と健康の観点から魔術の研究に取り組んでるのを面白いと思ってるから、そういうのがもしあれば聞きたいなぁって思っただけよ」

「ふーん。まぁ、好きな人が大きい胸のほうが好きなら、気になっちゃうよね」

「うっ……そうなの。気になっちゃうの」


 エルネスタは懸命に誤魔化そうとしたが、ニコルはそんなこと聞いちゃおらんという態度だ。仕方なく、エルネスタは観念した。


「でも、ユートくんは別に私の胸なんか見てなかったわよ? そんなことで女の子を選ぶ人ばかりじゃないってことよ」

「そ、そうかしら」

「でも、貧乳好きだとありがたいね」


 ヘンリエッテの言葉にホッとしかかったエルネスタに、ニコルの言葉が突き刺さった。エルネスタは少年のようとまでは言わないが、潔いほどにすっきりとした体型をしている。そのことを常々気にしているため、ストレートな表現はやはり傷つく。


「ひっ……ひんぬー……」

「もう、ニコルが余計なこと言うから。エル、あなたは細身なだけよ」

「うぅ……」


 優しくフォローしてくれるヘンリエッテの豊かな胸元が目に入ってしまい、エルネスタは泣きたくなった。脳裏に昨夜の悠人が言った「大きくおなり〜」がリフレインする。


「まぁ、恋すると悩みは尽きないわよね」

「え? ヘンリエッテ、恋してるの?」

「うん。私ね、ショータのことが気になるの」


 話題を替えるためにか、ヘンリエッテが物憂げに語り始めた。『ひんぬーショック』から立ち直れないエルネスタも、言葉は発さないが真剣に耳を傾ける。


「大して意味はなかったんだけど、タイキとショータに手紙で『私は魔術師なの』って言ったの。だって、そこを隠したままだと辻褄を合わせるためにたくさん嘘をつかなくちゃいけないでしょ? それが面倒で。そしたら、タイキは冗談だと思って信じてくれなかったんだけど、ショータは『すごく素敵だね。箒に乗って飛んだりするの? ヘンリーがどんな魔術を使うのか気になるな』って返事をくれたの」


 余程嬉しかったのか、ヘンリエッテはうっとりしている。そんな彼女をエルネスタとニコルは「好きになるツボがわからん」と内心で思った。



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