真冬の風物詩 -4-
「はい、交代」
なんとか死なずにスタッフルームまで戻ってきた真がデッキブラシを投げ渡すと、智弘は心底嫌そうな表情を浮かべた。
暖房の効いた部屋は暖かく、凍った指先に熱風をまとわりつかせる。
霜焼けにならないように、両手を擦り合わせながら椅子へと腰を下ろす。
「寒そうだな」
その様子を見た智弘が、確認するかのように言う。
「超寒い」
「行かなきゃダメ?」
「当たり前だろ」
雪掻きをしようと言い出したのも、その正当性を述べたのも、元はと言えば智弘である。なのに、いざ自分の番になったら嫌がるあたりが、なんともクズだった。
智弘は、この店の中でも比較的真面目な部類ではある。それは真もよく知っている。だが、根本的にクズだから首尾一貫性がない。例えるなら、寝転がって鼻をほじりながら人の悩み事を最後まで聞くタイプである。
「あ、そうだ」
智弘が何か思いついたように明るい声を出した。
「貸した金チャラにするって言ったら?」
その提案に、真の心は大きく揺れた。
智弘には今月、五千円の借金がある。先週、飲みに行った時に代わりに払ってもらった分と、スクラッチ十枚を買った時に借りた分である。スクラッチは勿論、二百円しか当たらなかった。
返すつもりは勿論あるが、それを無しに出来るのであれば非常に助かる。五千円は大金だ。二回ぐらい飲みに行けるし、スクラッチも買える。今よりもう少しまともなスニーカーだって買えるかもしれない。
「まじで?」
「まじで」
「うわー。悩むわ」
あの寒空の下に放り出されることが、五千円と匹敵するのか考える。時給として考えれば非常に美味しい話であるが、その五千円はどこからか振り込まれるわけではない。智弘の頭の中にある借金表から、一行消されるだけである。
そう考えると、途端にやる気が落ちて来た。その五千円は自業自得であるが、そんな反省が出来るなら真は今頃、もう少しマシな人生を歩んでいる。
「どーすっかな」
「なんだよ。じゃあ今すぐ五千円返せよ」
「いや、それはおかしいだろ」
「おかしくねぇよ。金借りてるのは事実だろ」
「事実だけど、まだ返す段階じゃねぇし」
恐ろしく不毛な言い争いは、どう考えても真の不利だったが、それを根拠のない強気で押し切る。
根拠も自信もないが、もしかしたら明日あたりスロットで大当たりするかもしれない。五千円を気軽に払える程度の勝ちが来る可能性もゼロではない。もしそうだとすれば、歯を食いしばって外に出る意味はないのである。
それを真なりの言葉で口にすると、智弘が心底軽蔑したような視線を返してきた。
「バッカじゃねぇの。それで当たるなら、なんで毎月俺に借金してるんだよ」
「お前の金と俺の財布の相性がいいんだよ」
「んなわけねぇだろ。金は金だ」
「結城は夢がねぇなー。まだ若いのに」
「夢じゃなくて妄想って言うんだよ、それは」
正論で返されて真は眉間に皺を寄せた。
確かに年下に金を借りるのも、返さないのも、変な理屈をこねるのも、良いことではない。それぐらいは知っている。
だからと言って、反省するつもりなどノミの毛ほどもない真が、殊勝になるわけはなかった。
エブリデイエブリナイトクズ。
夢見るクズほど役に立たず、そして厄介な存在もない。
「俺だって金は返したいんだよ。だから未来の俺に期待すれば、結城だってハッピーライフだろ」
「んな理屈がこの世に存在して堪るか。俺の知ってる世界を返せ」
どちらも一歩も退かない、というよりも盛大に価値観がすれ違っているために何処にも到着しない会話が延々と続く。
圧倒的に有利であるはずの智弘が声を荒げたり強行手段に出ないのは、一秒でも長く室内に留まっていたいからであり、決して年上である真への遠慮などではない。
一方の真は自身の説が正しいと思い込んでしまっているので、これも年下の智弘に配慮しようなどと思わない。
「金返さねぇなら、雪掻きして来いよ」
「返さないし、外にも行かねぇって言ってるだろ」
不毛すぎる時間が経過する間にも、非常階段から落ちた積雪が室外機に衝撃を与え続けている。
そして遂に、一つの室外機が不気味な悲鳴を上げても、二人の口論は止まらなかった。
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