真冬の風物詩 -3-

「あーーーー! 寒い!」


 誰も聞いていないが、とりあえず叫ぶ。

 二年前にワゴンセールで買った五百円のスニーカーは、撥水性も防水性もないため、雪の冷たさと冬の寒さの前では無力だった。

 真が持っている靴は、この腐りかけのスニーカーだけだった。百円ショップで購入したビーチサンダルも持っているが、殆ど履いたことはない。


 オールシーズンワンシューズ。

 そろそろスニーカーの精霊とやらが感謝を述べに来ても良いのではないかと、真は常日頃思っている。ただし、洗っていないスニーカーが精霊になっても、薄汚れたオッサンみたいなのしか出てこないだろう。


「ブーツ買えばよかった」


 今更愚痴っても始まらないが、何か言葉を発していないと肺の中まで凍り付いてしまいそうだった。

 真は白い息を吐きながら空を見上げる。非常階段の終点は、六階に繋がっており、真はまさにそこに立っていた。


 見上げる空は灰色で、白い雪が無数に舞い降りてくるのが忌々しい。よくドラマや映画、漫画では恋人達を祝福するような雪が美しく表現されているが、その上には間違いなくこの空がある。


「さっさと終わらせるかー」


 真は煙草を口に咥えると、ライターで火を点けた。少しは暖かくならないかと思っての行動だったが、別に何も変わらない。こういう行き当たりばったりな感じで生きて来た真には、しかしそれも大した誤算ではなかった。

 店の中から持ち出してきた、デッキブラシを雪に突き立てる。

 東京都心にあるビルに、雪掻き道具なんて洒落たものはない。智弘と掃除用具入れを引っ掻き回して、唯一見つかったのがこれだった。


 雪を磨くかのように前後にブラシを動かし、非常階段の手すりの隙間から雪を細かく掃き落とす。

 非常階段は完全にビルの敷地内に入っており、雪が公道へ落ちる心配はない。落ちる雪の被害を受ける可能性があるのは、偶にビルの中に入り込んでくる野良猫か、客ぐらいだった。

 猫に関しては多少申し訳ないとは思うが、客のことは知らない。こんな日にこんな店に来る方が悪いのである。


「よ……っと」


 昇ってくる途中で自分で踏み固めてしまった雪を取り除こうと、少し力を入れる。羽織っているコートが、前かがみになったことで裾の位置が下がり、濡れた手すりに擦れた。

 真の趣味ではないダッフルコートは、客の忘れ物である。一か月前に店に来た女が忘れて行ったものだが、取りに来る様子もない。この店では色々な客が色々な物を忘れていくが、中にはわざと捨てて行く客もいる。

 コートなんて忘れようとしてもなかなか忘れられるものではないし、恐らくこれを置いていった女は、どこかで新しいコートを買い、それを着替えて帰っていったに違いなかった。


 ともあれ、こうして使えることは真にとって幸運だった。汚れようが濡れようが知ったことではないし、罪悪感もない。

 真は男としては小さい方なので、コートに難なく袖を通せた。背の低いのも偶には役に立つ。


「これ、戻るまでに死ぬんじゃねぇの。俺」


 先ほど点けたばかりの煙草は、風でその発火を煽られて、半分ほどの長さになってしまっていた。凍えた唇でフィルターを噛んでみるが、感覚が麻痺しているのか、噛んだ気がしない。


 立ち止まっていても仕方ないので、デッキブラシを持ち直して下へと移動する。踏みしめる雪が冷たさを通り越して痛かった。

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