夏の風物詩 -3-
「社長が連れてくる途中で買わせたんだってさ。で、「話し合い」するから暫く此処にいろって」
「へぇ」
智弘は平淡にそれに応じたが、内心は少し恐怖を感じていた。
そもそもの事件発覚は三ヶ月前だった。その更に前から売り上げが合わないことは多々あったが、数百円単位のものだったので返金時のミスか何かだろうと片付けられていた。
だが三か月前、まだ春とは言え肌寒い時期に一晩で七千円の損失が出た。その時にシフトに入っていたのがシフトリーダーの神戸正人、智弘、明日香の三人であり、当然のことながら個人宛に問い合わせが来た。
あの時のことを思い出して、智弘は明日香に尋ねる。
「電話来たんでしょ、あの時。どう答えたんスか」
「えー、なんだっけ? 私は本職の方が大事だからこんなところで前科作りませんって言った」
「あぁ、なるほど」
「そっちは?」
「俺そもそも、その日は金いじってないから知らないって言った」
つまりその時点で犯人は正人だと目星を付けられていた。そして翌日、正人は金を持って逃げた。しかし三ヶ月経ってどうして捕まえてきたのか。智弘は当然の疑問を口にする。
すると明日香は真の方を一瞥した。
「そんなんこいつが垂れ込んだからでしょ」
「なんの話かわからん」
スルメイカを口に入れ、それをビールで流し込みながら真が答える。
「嘘ついても無駄だって。SNSであいつに接触してさ、何処にいるか聞きだしてたじゃん」
「なんで見てるんだよ。まさか俺のスマフォ見たん?」
「勝手には見てないよ。通知が来ているの見ただけ」
「盗み見ていることには変わんねぇだろ」
ふざけるな、と言いながら真は別段怒ってもいなかった。
「じゃあ神戸さん売ったってことか?」
智弘がそう尋ねると、真はヘラヘラと笑う。
「だって社長がお礼してくれるって言うから」
雨に交じって、何か悲鳴じみたものが聞こえた。
智弘はそれを猫の発情期だと片付ける。夏に発情している猫など聞いたことがないが、ヒートアイランド現象とかエルニーニョ現象とか、とにかく何かの現象で発情期がずれてもおかしくない。
「杉野さんこそ、神戸さん連れた社長と偶然鉢合わせたなんて、随分運がいいな」
「えー、何のことだろ。知らないな」
年上の男女が顔を見合わせて、同じビールと同じ煙草を手に笑っているのを見て、智弘は溜息をついた。
この職場には碌な人間がいないことを再認識する。就職していようが、就活に勤しむ真面目君だろうが、髪の毛青色のハッピーバカだろうが、きっと全員クズである。
そう考えたほうが何かと楽だった。此処には自分の劣等感を刺激する存在などいない。
「あ、今の聞こえた?」
明日香が淡々とした口調で階下を指さす。それに応じるかのように、何か重い物を引きずり倒す音がした。
「誰が修理するんだろうね」
「言わずもがなだろ」
「修理代とこのツマミ代と……。んー、まだ足りないかな。あいつが持ち逃げした分には」
窓の外は、雨と雷が絶え間なく続いて、まるでこのビルを世間から切り離しているかのようだった。やがて階下が静かになると、真が「終わった?」などと言いながら鮭とばに手を伸ばす。
智弘はいつの間にか自分が開けたチーズ鱈がなくなりかけているのに気付いて慌てて何本か確保した。
「ねぇスギノンは知ってる? なんで神戸さんが金盗んだか」
「え、知らないの? ゲームの課金だよ」
「いくら?」
「えーっと……元々借金が百万……」
一際大きな雷が鳴って、会話が途切れた。
それに続き、明日香の時より遠慮がちなノックが聞こえて、社員が顔を出す。
「お酒足りてる?」
「足りてません」
真が四本目のビール缶を手にして答える。
「もっと高いお酒が欲しいなー、なんて」
明日香も楽し気にそれに便乗した。まるで気前の良い上司に強請るような口調だった。こういう時は乗るのが吉であると智弘も知っている。
「唐揚げとか枝豆とかあれば最高なんスけどね」
「ふーん、わかった。暑気払いだからね。ちゃんと暑さは払わないとね……」
意味深に呟いて、社員は扉を閉めた。明日香がきょとんとした顔で二人を振り返る。
「なに? 暑気払いなの?」
「そうっスよ」
智弘が応じ、真も頷く。
「えー、折角なら暑い中のビアホールとかさー」
「あ、そうか。ビアホールって手があった!」
くっそー、と残念がる真を見下ろし、智弘は冷たく言い放つ。
「いや、だから金ねぇんだろ?」
だからかつてのバイト仲間を軽々と売った男は、罪悪感など微塵もない様子だった。
「暑気払いって暑さを打ち払う意味があるんだよ。まぁ大抵はそれにかこつけて飲むんだけど。これじゃただの雨の日の飲みだから」
明日香は笑いながら新しいビールを開ける。意外と飲むペースが速く、既に三缶目だが、表情は変わらない。
「いいじゃないんスか?どうせタダなんだから」
智弘がそう言えば、年上二人は「確かにー」と声を揃えて笑う。
タダ酒ほどおいしい物はない。それが雷雨の中、買い出しに追い立てられる元バイト仲間のものであっても。
三人ともそれなりに彼とは付き合いが長く、一緒にスロットや飲みに行ったこともある。しかしそんな交流は現在あっさりと無になっていた。
クズの中でも真面目でさえいれば、こうして恩恵に預かれる。脱落した連中など、この大雨によって営業できないビアガーデンくらい価値がない。
そもそも暑さを跳ね除けたところで、向こう一か月はまだまだ暑さが続く。あくまで気分的なものだということは説明されるまでもなく三人ともわかっていた。
だからこそ人の金での暑気払いの素晴らしさも理解できる。その程度には全員賢かった。真が高々と缶を掲げ、酒にやられた喉から歓声をあげた。
「暑気払い最高ー」
「いぇーい」
「うぇーい」
互いに打ち合ったアルミ缶が音を立ててへこむ。それすら暑さのせいにして、全員喉を逸らしてビールを流し込んだ。
END
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