カルテット番外編「うるさい連中」

椎堂かおる

第1話

「君に足りないのは、能力ではない」

 晩飯時を待つ学寮の居室で、イルスが長椅子に仰向けに寝そべり、暖炉の熱を浴びていると、いつもより遅く戻ってきたスィグルが、脇に立つなり突然そう言った。

「え、なんだって」

 その口調が別の誰かを彷彿とさせたので、イルスは聞き返した。

「君に足りないのは、能力ではない。私が思うに、それは努力」

 面倒くさげな無表情で、そう教え、スィグルは手に持ってた紙束を、イルスの腹の上に放り投げてきた。

 どさっと落ちてきたそれには、けっこうな量があり、びっしりと文字が羅列されている。

 思わずイルスが覗き込むと、見覚えのある公用語の筆跡は、シュレーのものだった。

「そして視力だ」

 断言して、スィグルは屈み込み、懐から出した眼鏡をイルスにかけさせた。

 ぼんやり滲んでいた文字が、急にはっきり見えた。

 唖然と紙を見ているこちらの顔を、スィグルは首をそらせて、尊大なふうに見下ろしている。

「似合わないなあ……」

 顔をしかめて頷き、スィグルは納得したふうに言った。

「でも、それで、良く見えるようになったのかい」

 イルスは頷き返して、受け入れがたいという渋面をしているスィグルの顔を、ガラスごしに見上げた。そして、こいつはこんな顔だったのかと思った。いつも、だいたい見えていたけど、細部まではっきり見たのは初めてかもしれなかった。

「これ、なんなんだ」

「猊下からの、伝言だよ。君に足りないのは努力。それは哲学の口頭試験のための詰め込み資料。猊下直筆。読んで丸暗記……」

 顎で紙束を示すスィグルの顔を、イルスは見つめた。いかにも厭そうに伝える内容は、表情に反して、どことなく律儀さを感じさせる。白い顔の中で、暖炉の薄い灯りを受けて、黄金のような目が輝いて見えた。

「それから、君の不甲斐ない視力を補うための眼鏡。君の試験勉強に粘りがないのは、目が悪いせいじゃないかという、猊下の分析により。僕が遣わされたわけ」

 ずる、と示し合わせたように、スィグルが言い終えるのと同時に眼鏡がずり落ちた。

 人差し指をのばしてきて、スィグルがそれを押し上げた。

「居室に逃げても無駄だ、フォルデス。この追試をしくじったら、君は落第なんだからな。これを読んで分からないことがあったら、レイラスに聞け。伝言は以上」

 腕組みをして、スィグルは渋面のままため息をついた。結っていない黒髪が、はらりと頬に落ちかかり、深い陰影を生んだ。

「僕を、患わせないでくれる? そして、落第しないでくれる? 落第すると、君には補習があるらしい。君がそれに行くと、飯時の予定が合わなくなるというので、猊下の機嫌が悪い。料理を温め直すのが、いやなんだって」

「そんなの自分でやるよ」

 顔をしかめて、イルスは答えた。余計なお世話だった。

「いや、そうじゃなくて。温め直すと、まずくなるんだって。せっかくの料理が」

 驚愕の事実、という口調で、スィグルは教えてくれた。

 イルスは返す言葉もなかった。

 シュレーは料理にのめり込んでいて、それもやつの性格を写し、ちょっと楽しむという感じでではない。

「学院生活の教訓。あいつは、聖堂では天使、厨房では暴君。付き合い方のこつは、とにかく、諦めて跪くこと。跪け(トーレス)……イルス・フォルデス」

 スィグルは疲れた真顔で金言を与えてから、制服を脱ぎに、寝室に引っ込んでいった。

 イルスは唖然として、暖炉の火を見つめた。いつもと同じように揺れる火影が、ガラス越しには、いやにくっきりと見えた。

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