第132話 ステロイドは妙薬 -「凧の法則」

 私が医者になった1970年代は、50年代に夢の薬として登場したステロイドがあまりに汎用されたため、副作用、例えば高血糖、免疫低下などが問題視され、安易なその使用に警鐘が鳴らされた時代です。(⇒豆知識)


 私はステロイド慎重派の影響をもろに受けました。先輩から、ステロイドの危険性を口すっぱく教えられたために、偏見に近いステロイド拒否の医療観を持っていました。


 ところが臨床でその優れた効果を経験するたびに、ステロイドに対する抵抗感はなくなっていきました。今ではステロイドは、料理で言えば「隠し味」みたいなものだと思って、必要なときは直ちに使っています。


 ステロイドの素晴らしい効果を初めて経験したのは、ホスピス医療をやっていた時の事です。瀕死の状態の人が、モルヒネとステロイドを使用して数時間後には、ニコニコ笑っている姿には驚愕したものです。


 実例を書いてみます。


 その第1例は、今書きました乳がん末期の女性です。つらさのあまり、ぐったりと今にもくずれ落ちそうな姿勢で車椅子に乗ってやって来ました。ただちに入院させ、ステロイド(リンデロン2mg)とモルヒネを皮下注射で投与しました。


 外来診療を終えてすぐさま病棟にとんでいくと、ベッド上の彼女は私を見て頭をもたげて軽く会釈をしました。傍らに置かれた小さなラジオから音楽がなっています。ラジオが聞けるというのは、心身ともにそうとう余裕がある証拠です。「とても楽になりました」と笑顔で答えたのです。


 投与して2時間後にはラジオを聴くまでになった姿を見て驚嘆しました。


 2例目は、脳炎疑いの患者さんです。


 高熱で入院しました。


 話しかければ何とか受け答えはできるのですが、すぐにうとうと寝入ってしまいます。


 血液検査やレントゲン、CT検査などを行ったのですが、特別な異常は見られません。


 付き添っていた奥さんに、普段の様子を尋ねてみると、


 「いつもはまったく普通の人です」


 とりあえず高熱なので補液と抗生物質を投与しました。


 翌日になっても熱はひかず、意識も傾眠がちです。


 同僚の医師に相談してみました。


「脳炎かも知れませんよ……」


 腰椎穿刺をしましたが、髄液圧は高くなく、採取した髄液も透明なきれいなものでした。髄液検査には時間がかかるので、ソルコーテフ500mg静注というステロイドパルス療法をしてみました。


 翌朝病室を訪れると、患者さんはベッドに座って奥さんと穏やかに話していました。奥さんもニコニコ顔で、


「うちの人はいつもこんなんです」


 ソルコーテフ(ステロイド)一発で、こんなに良くなるとは驚きでした。熱は下がり、意識はまったく普通になったのです。


 3例目は高度の認知障害のあるおばあさんで、肺炎で入院しました。その少し前にも入院したのですが、ちんぷんかんぷんな人で、治療する前に病院を抜け出して勝手に帰宅してしまいました。しばらくして肺炎で再び入院してきたのです。


 その時抗生物質にステロイドを混ぜて治療しました。肺炎は2週間くらいで良くなりました。


 1カ月ほどした頃です。回診にナースと病室を訪れると、そのおばあさんはベッド上に正座して、三つ指をついて深々とお辞儀し、


「先生様、お疲れ様です。いろいろお世話になりありがとうございます」


 驚いてナースと目を見合わせました。


 認知障害が全く消えてしまったのです。消えたという表現がピッタリです。


 それからしばらくして私はその出張病院から転勤しましたので、 その後の彼女の様子は残念ながらよく分かりません。


 つい最近でも似たような例がありました。アルツハイマー型認知症末期で植物状態にあった高齢の患者さんが、脳梗塞様の発作を起こしました。脳梗塞の一般的な治療である、グリセオールにシチコリンを入れ、そこにソルコーテフ(ステロイド)を加えて投与したところ、脳梗塞から回復したのはもちろんのこと、それから1~2カ月して、しゃべり出したのです。ついには、「東京音頭」をそらで歌っているのを目の当たりにして、


「どうなってんの!?」


 スタッフは驚愕の声を上げました。


 これらの例は、私の記憶に強く残るステロイド効果のあった患者さん達です。


 その他にも数え切れない多くの患者さんにステロイドを使いましたが、ほとんどの人が素晴らしい効果を示しました。しかも強い副作用が出たという記憶はありません。


 長年のステロイド使用の経験を通して、私はステロイド効果にある種の法則があることに気付きました。その法則を私の同僚に話すと「まるで凧(たこ)のようだね」(←(^ω^)凧上げの凧のこと)と言いました。それでそれを「ステロイドの凧の法則」と勝手に命名したのです。


 「ステロイドの凧の法則 」を少し説明します。


 凧には3つのタイプがあると思います。


①いくら走って引っ張っても地面をこするのみで上がらない凧。


②いっときは空中に上がりますが、風にのらず次第に落下してしまう凧。


③いったん空中に上がると、自らどんどん上昇し、上空でそのまま舞い続ける凧。


 この3つです。


 ステロイドの効果にも、これと似た3タイプがあることに気づいたのです。


 ステロイドは使い始めて3日もすれば、患者の生体に何がしかの反応が出ます。


①反応がほとんど見られない場合は、地面をこするのみで上がらない凧に相当し、そのまま早々(数週間)に死に至ります。


②反応が一時的には見られるが、ステロイドを打ち切るとすぐに減衰する場合は、いっときは空中に上がるが、次第に落下してしまう凧に相当します。生体活力の起伏を繰り返して数カ月後に死に至ります。


③反応がすこぶる良好で、みるみるうちに回復する場合は、自らどんどん上昇し、そのまま舞い続ける凧に相当します。ステロイドを終了してもどんどんと元気が回復し完全に病気は回復します。


 この法則を頭に入れておくと、ステロイドを使った時の生体反応から病気の予後が大むね推測できるので、患者家族に病状説明をする際、大変役立ちます。


 ステロイドは、料理でいえば「隠し味」のようなものです。これを上手に使うと、まるで魔法を使ったように回復することがあります。瀕死の重症だったのが、翌日ケロッとしているということが起こるのです。


 もし医師の方がこの拙文をお読みになられましたら、他に手立てのない時にはダメ元で、ステロイドを使ってみられることをお勧めします。


 私の使い方を簡記します。


 一番の適応は、肺炎などで39°C以上の高熱が出て敗血症を思わせる時です。


 抗生物質の点滴ボトルの中に、ソルコーテフ200mgを加え3日間連注します。その後100mgに減らして2~3日行い1週間未満で終了します。その際にはH2ブロッカー(ファモチジン)を同時に使用します。


 つい最近重症肺炎の患者さんに、隔週に3クール投与し完治させました。副作用は全くありませんでした。

 

追記:終末期患者の緩和ケアには、リンデロン2mgを経口投与または点滴注射します。倦怠感が取れ食欲も出ます。苦痛にはフェントステープ(フェンタニル)を併用します。


 ただしその副作用をしっかり頭に入れて使用してください。私が注意している副作用を書いてみます。


①興奮:ステロイドを投与すると直ちに興奮作用が出ます。この効果が元気づけをして、生体の回復を早めていると私は思います。しかし興奮の余り、血管ルートの自己抜去あるいはベッドから転落するなどの事故が起きる可能性があることを十分注意する必要があります。


②血糖を上げる:血糖が上がりますので元々耐糖能障害のある人には要注意です。必ず1日に1回か2回血糖チェックをします。高血糖の場合はインシュリンで補正します。私は血糖が400を超えたらインシュリン使用を検討しています。


③胃潰瘍:ステロイドを長く使用しているとステロイド潰瘍ができてきます。その予防としてH2ブロッカーを必ず併用しています。


④免疫抑制:パルス療法のように高容量のステロイドを使うと、1週間でリンパ球が減少し、易感染となります。なので1週間以内に終了します。例として私の使い方を上げますと、敗血症の時には、抗生剤の点滴ボトルの中にヒドロコルチゾン(商品名ソルコーテフ)200から300 mgを入れ、5日間くらいで終了します。


*豆知識


ステロイド:医療におけるステロイドとは、ステロイド系抗炎症薬(ステロイドけいこうえんしょうやく、SAIDs:Steroidal Anti-Inflammatory Drugs、セイズ)をいう。主な成分として糖質コルチコイドあるいはその誘導体が含まれており、抗炎症作用や免疫抑制作用などを期待して用いられる。代表的な医薬品:プレドニゾロンやベクロメタゾン、ベタメタゾン、フルチカゾン、デキサメタゾン、ヒドロコルチゾン等がある。


  臨床適応: 臨床適応は極めて多岐にわたり、全ての医療用医薬品において最も健康保険の適応となる疾患が多い医薬品である。さらに適応外ではあっても、積極的に臨床応用されている疾患も多く、いわば「万能薬」的な存在ともいえる。その適応症は湿疹・皮膚炎、虫刺されのようなありふれたものから膠原病・悪性腫瘍などの難治性疾患にまで及ぶ。


  副作用:副作用として過剰な免疫抑制作用が発現することによる感染症、クッシング症候群、ネガティブフィードバックとして副腎皮質機能不全、糖新生の促進による糖尿病、骨量の減少に伴う骨粗鬆症、消化管粘膜におけるプロスタグランジン産生抑制による消化性潰瘍などが知られている。


  ステロイドパルス療法:ステロイドを静脈より短期間(通常は3日くらい)に大量に投与する治療法。一般的にはメチルプレドニゾロン(mPSL1,000mg/day)を3日間投与し後療法としてPSLの大量療法を行い徐々に減量していく。


 参照:Wikipedia


〈つづく〉



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