第131話 さまざまな看取りー私の義母の場合
「生き死に」の有り様(よう)は、人それぞれです。
末期(まつご)にあって、一分一秒の延命を望む人もいれば、いっさいの治療を固辞した人もいます。
まさに人それぞれなのです。
ここに私の母(義母)の看取りを書いてみます。
私は高校を卒業すると、実家(愛知県)から離れた北陸の大学に入りました。卒業後は関東の病院に就職したため、両親の世話は長男夫婦がやってくれていました。
一方、私たち夫婦は、結婚以来、東京に住む女房方の両親を世話してきました。
義父は84歳の時に脳梗塞で倒れました。まだ介護保険がない時代で、東京の病院や介護施設を転々としました。
そして4年の闘病生活を経て亡くなりました。
義母(以降、母と記す)は独居となりました。
独居が可能なADL(日常生活動作 Activities of Daily Living))でしたが、手近で世話する方が得策と考え、私たちの住んでいる自宅近くに呼び寄せました。
母は素直に私たちの求めに応じてくれました。50年近く住み慣れた持ち家を離れ、埼玉に引っ越して来たのです。
わが家から歩いて数分のところにマンションを借りて、そこに母は住みました。
私たちの住居は借家で、母が同居するには手狭だったことと、別々に住んだ方がお互いに気を使わなくてベターだという判断からそうしたのです。
母は生活すべてを独りでこなすことができました。歩いて数分のところなので毎日わが家に通ってきては、女房と庭いじりをしたり、食事をしたり、時にはいっしょに、外食に出かけたりしていました。
そうこうしているうちに、引っ越しから5年目に脳梗塞で倒れました。
近所の病院に1か月ほど入院し、その後、介護施設(老健)に移りました。
最初に入った老健は街なかにあって、自然の風景はいっさい見られませんでした。空調がきいているので、施設内にいると季節感はありません。
自然の陽(ひ)が入らないため、空気は何となくよどみ、陰気な感じが私にはしました。人工の光はいくら明るくしても、太陽のぬくもりをかもし出すことは出来ません。
食欲が無くなり、個室に入り点滴を受ける毎日になりました。次第に衰え、幻覚が出てきてしまいました。
少し食べられるようになった時機に、郊外の老健に移りました。
田園の中にあって、遠くには富士山も見えます。車椅子で外を散歩すれば、田植えや稲刈りを目の当たりにすることが出来ます。
そばには小学校があり、元気に叫ぶ子供たちの声が聞こえて来ます。
日増しに元気を取り戻しました。
数か月後には介護タクシーを使って、公園に行ったり、外食したり、時折りわが家を訪れるまでになりました。
右片麻痺は残りましたが、介助で車椅子に移乗し、自力で動かすことができました。
その頃、女房は、このような「詩(うた)」を詠んでいます。
┌----------
お母さん
あなたが倒れてから1年6ヶ月
やっと 車イス生活に慣れ始めたようですね
これからは もうずーっと車イス そして他人の手を借りて生きていく
この生活をやっと全身で受け入れられたのですね
今までは
私があなたを食堂のテーブルまで送ったり ベッドまで送ったりしてから帰ってきていました
この前からは あなたが私をエレベーター前まで送り
ドアが閉まるまで見届けてくれます
気を付けてねと言って
その後で あなたは 左手で車イスをこいで食堂へ行くのですね
施設での生活に慣れてきたお母さん
嬉しいはずなのに 涙があふれ出ました
└----------
女房は1日おきに施設に通いました。
勤務先から子供たちが帰省してくると、家族みんなでお見舞いに行きました。
正月やお盆には、介護タクシーを利用してわが家に帰って来て、みんなといっしょに過ごしました。
そして4年の施設生活を送り、少しずつ衰えていきました。
95歳になった頃、いよいよ食事が取れなくなりました。
女房が持参した差し入れも食べられなくなり、施設で点滴することが多くなりました。
施設の主治医に、病院に移った方が良いと勧められました。
母は尊厳死協会に入っており、無理な延命はしないでほしいと、かねてから女房に言っていました。
施設では看取りができないというので、近くの病院に移ることになりました。
病院の介護病棟に入院しました。経口摂取がほとんどできず、末梢からの点滴も入らないので、IVH(中心静脈栄養)をするかどうか主治医が相談にきました。
私たちは話し合いました。
私は、母の意識がしっかりしているのでIVHも一法だと、医療者的な発想で言いました。
女房は一週間考えていました。
そして結論を出しました。
本人の意思を尊重して、IVHはしないことにしたのです。
その代わり毎日病院に通って、食事の介助をしました。
最期の頃は、冷たいものが口当たりが良いようで、アイスクリームを1個ぐらい食べていました。
いよいよの時、私は女房と娘とお見舞いに行きました。
私を見ると母は私の手を両手で強く握りしめ、
「ありがとう、ありがとう、ありがとう……」
5分くらい繰り返して呟(つぶや)いていました。
それから3日して亡くなりました。
葬儀は本人の意思で家族葬にしました。
参加者は親族の9人でした。
〈つづく〉
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