第87話 患者もいろいろ-重症気胸の自然経過
患者さんは、77才の男性Eさんです。
車椅子を自ら操作して、移動するADL(日常生活動作)の人でした。
車椅子から立ち上がった際に、その脚に足を引っかけ転倒したのです。その時、車椅子の肘掛けに胸を強く打ちました。
診察すると、認知症があるせいか、痛みの訴えはありません。呼吸苦なども全くありません。ただその打撲部位を押すと“痛い”と顔をしかめます。
あまりにケロッとしていて、何ごともなかったように行動しているので、週末だったこともあり、そのままで様子を見ることにしました。
週明けに、なおもその部位を痛がるので、胸部や肋骨のレントゲン写真を撮りました。
すると左の肋骨が2本折れていて、左胸は肺完全虚脱の気胸(⇒豆知識①)を起こしていたのです。
肋骨の骨折端が肺を傷つけ、空気が胸腔に漏れてしまったのです。それで肺はしぼんでしまったのです。
これだけの外傷があれば、普通なら痛みや呼吸苦があるはずですが、 驚くことにまったくその訴えがないのです。
肺の完全虚脱なら、通常はすぐに胸腔ドレナージ(⇒豆知識②)をおこないます。
胸腔ドレナージの適応は虚脱が50%以上の時ですから、完全虚脱つまりほぼ100%なら、その絶対的な適応なのです。
ただし認知症がありますから、胸腔ドレナージをしても、チューブを自己抜去されかねません。
どうすべきか家族と相談しました。
緊張性気胸(⇒豆知識①)でもありませんし、呼吸苦などの特別な症状もありませんので、保存的に行くことに決めました。
私はかつて、こんな重症な気胸を保存的に治療した経験はありません。
保存的といえば聞こえはいいですが、はっきりいえば何もしないで放っておくということなのです。
肺の循環動態( 肺の血流状態のこと )が変化し、心不全をきたしたり呼吸不全をきたしたりしないように、慎重に様子を観察しました。
それにしても本人はケロッとしています。笑顔さえ見せて食事もよく取っているのです。
「認知症って、すごいなあ」
正直、そう思いました。
翌日胸部レントゲン写真を再度撮ると、少しふくらんでいました。症状もありませんし、 血圧や酸素飽和度などバイタルサインは正常です。
これなら保存的に行けそうだと読んで、そのまま様子を見たのです。(←(^ω^) すごい勇気だね。というより、患者さんがすごいわね)
何事もなく3週間が経ちました。
胸部レントゲン写真を撮ると、完全に左の肺はふくらんでいました。
肋骨骨折もそれ以上の害は無く、そのまま保存的に見ることができたのでした。
前回の慢性硬膜下血腫やこの気胸の例を経験してみると、高齢者の場合はあわてていじくりまわすより、症状を見ながら保存的に行く方が、案外病気は良くなるような感触を得ました。
ただ現代医療ではすぐに手を出してしまうので、こういった重症例を保存的にフォローした経験がないというのが、本当のところでしょうね。
☆豆知識
①気胸
気胸(ききょう、Pneumothorax)とは、胸腔内に入った気体が肺を圧迫し、肺が外気を取り込みにくくなった状態をいいます。
病因 多くは自然気胸で、肺胞の一部が嚢胞化したもの(ブラ Bulla)や胸膜直下に出来た嚢胞(ブレブ Bleb)が破れ、吸気が胸腔に洩れる事でおこります。
交通事故などによる肋骨骨折が原因となるものや、点滴の誤穿刺、気管支鏡検査による合併症、鍼による肩背部・胸部などへの直深刺などによる外傷性気胸もあります。
症状 多くは突然発症します。呼吸をしても大きく息が吸えない、激しい運動をすると呼吸ができなくなるなどの呼吸困難、酸素飽和度の低下、頻脈、動悸、咳などが見られます。
緊張性気胸 胸腔に漏れ出した空気が対側の肺や心臓を圧迫している状態を緊張性気胸といいます。この場合は血圧低下、ショックを来たし、緊急に胸腔穿刺を行わなければ死に至ります。
診断 胸部X線写真で血管影を伴わない空虚な領域は気胸を疑われます。血胸・血気胸では血液を含む胸水によるX線透過性の低下した像を認めます。
治療 初期段階では無理な姿勢や運動をせず、無理な呼吸をしないで、安静にするのみで自然治癒を待ちます。これが気胸の基本的な治癒方法で、自覚症状が無いまま完治してしまうこともあります。
軽度の気胸や止血された血気胸であれば、通常は胸部の脇の部分を数mm切開し、胸腔ドレナージ術による吸引を行います。これは胸腔内を脱気し肺が膨らみやすくなるようにするのが目的です。
②胸腔ドレナージ
胸腔ドレナージとは、胸壁に小さな切開を入れて、胸腔内に専用チューブを挿入し、胸腔に貯留した空気や液体を排出する処置で、胸水・気胸・血胸・膿胸などの治療として行われます。
チューブ挿入後は、肺の虚脱防止と再拡張、排出した空気や液体の逆流防止、胸腔内の陰圧保持などの目的で、専用のバッグに接続して持続的に吸引します。
参照:Wikipedia
〈つづく〉
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