第83話 患者もいろいろ-尿が出た

 尿の出る出ないは患者さんの死活問題で、すこぶる医者は神経を使います。


 つい最近、82話とは逆に、尿が出てくれた事例を経験しました。


 80代の男性で、食べられないため相当衰弱して、施設から搬送されました。


 来院時、話しかければ答えられます。脳の病気ではなさそうです。


 すぐ胸部レントゲン写真を撮ってみると、両側の胸腔に中等度の胸水が溜まっています。両下肢もパンパンにむくんでいました。


 血液検査をすると、血清アルブミン値が2.9と低下していて、低栄養状態ということが分かります。(⇒豆知識①)


 腎機能はクレアチニンは0.7と正常で、尿素窒素が42.2と上昇し、脱水状態が考えられました。(⇒豆知識②)


 車椅子に座らせて経口摂取をすすめると、少しずつですが食べられたのです。


 そのままで様子を観察していると、入院 4日目に39.9°cの高熱を出しました。尿は混濁した感染尿で、尿路感染による熱と思われます。


 それまでやっとの事で保たれていた全身のバランスが、高熱によって破綻したのでしょう。


 うとうとと傾眠がちになり、経口摂取もできなくなりました。


 すぐ補液を始め抗生物質を投与しました。


 しかし尿路感染からの敗血症を起こしたようで、尿が出なくなったのです。(⇒82話 尿が出ない の豆知識③を参照)


 クレアチニンは3.7、尿素窒素62.2と上昇し、腎不全を来たしたのです。


 利尿剤のラシックスを2アンプル静注しても、1日で100mlほどの尿量です。


 胸水もあり下肢もむくんでいるので、もっと尿が出てもいいところですが、アルブミン2.3の低蛋白血症になっていて、サードスペースには水が溢れ、血管内には水が不足している状態と考えられました。(⇒豆知識③)


 こういう時は、タンパク製剤を静注して、その浸透圧を利用してサードスペースから水を血管の中に引き込み、続いて利尿剤で腎臓から排出するというのが、この場合の一般的な治療法です。


 ところがこのタンパク製剤は、50mlで5000円などと非常に高価で、しかも保険によって月に3日までと、回数が制限されています。


 出来高払いならいざ知らず、"まるめ"の保険では、到底使うことができません。(⇒豆知識④)


「このまま腎不全による尿毒症で絶命するしかないのか……」


 またまた"おしっこ"と、にらめっこです。


 そうこうしているうちに、神の助けか、妙案を思い付きました。


 グリセオールという薬があります。(⇒豆知識⑤)


 この薬は浸透圧を利用して、脳梗塞などに随伴する脳浮腫を取るのに使われる薬です。


 これを使って浸透圧利尿をすれば、尿は出るのではないかと思い付いたのです。


 ネットで色々文献を調べてみました。ところがこのグリセオールは、脳や眼疾患以外に使うことは一切書いてありません。


 しっこを見ながら、自問自答しました。


「う~ん誰もこれをやったことがないのか……」


「このまま座して死を待つより、やってみよう。脳梗塞を起こしていると考えれば、使えないこともないよな」


 放っておけば、遠からず死亡してしまうのです。


 世界で初めて(←(^ω^)大げさだね)というリスクがあるので、家族に話して承諾してもらいました。


 グリセオール200mlにラシックス1A、ソルコーテフ100mgを入れて1時間ぐらいで点滴静注しました。


 すると打ち始めて10分くらいして、利尿剤を投与した時に出てくるやや薄めの独特な尿が、カテーテル内に流れ始めたではありませんか。


 薬に反応したのです。


「出たぞ!」


 思わず叫んで、ナースセンターに駆け込みました。


 この時の嬉しさは、出ない時の切なさの真逆です。小躍りして喜ぶとは本当ですね。 踊ってました。


 みるみるうちに、留置した尿道カテーテルの中に尿が充満し、尿バッグの中に流れ落ちました。


 そしてついには、その1日で1400ml の尿が出たのです。


 それからというもの、尿量は1日2000ml前後と出過ぎといえるほどに増え、滴下スピードを減らしたほどです。


 胸水と全身のむくみはどんどんと引いていきました。熱発して18日後のクレアチニンは0.5、尿素窒素20.8と正常になったのです。


 胸部レントゲン写真では、胸水はほとんど消退しました。


「これからはケアさんたちの出番ですよ!」


 3週間近く寝た切りでしたから、病気が改善したといっても患者が治ったとはいえません。


 ケアさんの試行錯誤が始まりました。


 点滴をぶら下げたまま、患者さんを車椅子に乗せてホールに出しました。


 ホールの雰囲気に刺激されて、患者さんの表情がきりっと引き締まりました。


 ベッド上にいた時は何をあげても吐き出してしまうのに、話しかけながらゆっくりと差し出すと、飲み込んでくれるようになったのです。


 手をかえ品をかえ食べられるものをいろいろ工夫し、時には厨房にスタッフがとんで行っておにぎりを作って来ました。


 間もなくして点滴はなくなり、ホールでみんなといっしょに体操をするまでに回復したのです。


 めでたし、めでたし、でした。


*豆知識


①血清アルブミン 血清中に存在する分子量約66,000のタンパク質です。血清中タンパク質の約50~65%を占め、健常人の基準値は約4~5g/dLです。


 機能には、浸透圧の保持、物質の保持・運搬、pH緩衝作用、各組織へのアミノ酸供給、抗酸化作用があります。


出典:Wikipedia


②クレアチニン(英: creatinine, 略号Cr, CRE, CREA) 筋肉へのエネルギーの供給源であるクレアチンリン酸の代謝産物です。


 クレアチニンは主に筋肉で作られて血中に入り、糸球体で濾過された後、殆ど再吸収されず速やかに尿中に排出されるので、血清Cr値は腎臓のスクリーニング検査に用いられます。


出典:Wikipedia


③サードスペース(third space) 体内のうち、機能しない細胞外液が溜まる場所のことをいいます。


 手術や外傷によって生体が刺激されると、血管の透過性が向上し、血管内のナトリウムなどの体液が血管外に漏れてしまいます。この漏れてしまった体液が溜まるところがサードスペースです。


 この体液は非機能的なため、拡大すると循環血液量の不足や尿量の低下、浮腫などが見られ、血管内脱水や臓器機能不全を引き起こすことがあります。


出典:ナースpedia


④まるめ 包括医療制度のことをいいます。


 包括医療制度とは、 医療機関が保険者に請求できる診療報酬の額が病気の種類や入院日数などによってあらかじめいくら、と決められている制度です。


 包括医療制度の導入の本来の目的は、投薬すればするほど、検査すればするほど医療機関が儲かるという構造を是正し、薬漬け、検査漬けを防いで医療費の削減をはかろうというものです。


 病院経営の為に必要な検査や薬剤が省略される場合もあるのではないか、という危惧もあります。


出典:YAHOO JAPAN! 知恵袋


⑤グリセオール注 濃グリセリン10%・果糖5%・Nacl 0.9%を成分とする薬です。脳圧降下作用、眼圧降下作用および利尿作用を有します。


 高浸透圧物質であるグリセリンは、静脈内に投与されると血清浸透圧を上昇させ、組織から血管内へ浮腫液を引き込むことで抗浮腫効果を発揮します。


 眼内圧下降、頭蓋内浮腫の治療、頭蓋内圧亢進の治療に使われます。


出典:MEDLEY


〈つづく〉


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