第81話 患者もいろいろ-安易にいった言葉
安易にいった言葉が、とんでもないことになった事例を経験しました。
ホスピス病棟でのことです。
50代の男性でした。この方は会社の社長さんです。ホスピス病棟から時々会社に出向いていました。
切除不能の膵頭部がんがさらに進行して、十二指腸閉塞をきたしたのです。(⇒豆知識①)
胃液の流れが十二指腸でさえぎられ、嘔吐を頻繁に繰り返していました。そのために、鼻から管が入っていました。(^ω^)⇒経鼻胃管といいます(⇒豆知識②)
その管で胃液を抜くと、食べることこそできませんが、嘔吐は防げるのです。
中心静脈栄養(⇒豆知識③)で栄養を受けていました。
ホスピス病棟から自分の会社に通う時、彼はいつもヘパリンロックした中心静脈栄養のチューブと、鼻から胃に入った経鼻胃管をぶら下げていました。
本人は明るい性格で、それを恥ずかしがることもなく、ホスピス病棟を出入りしていたのです。
私が診察するといつも、鼻の管を指差し、
「なんとかならないかなあ」
と訴えていました。
中心静脈栄養は、ホスピス病棟に戻ってきて夜中のうちに注入します。会社に行く時はヘパリンロックして服の下にしまっておけば、外見上は分かりません。(⇒豆知識④:へパリンロック)
しかし鼻の管は、閉じると数時間もすれば胃液が貯留し、嘔吐してしまうので、閉じることが出来ません。いつも鼻からチューブをぶら下げて、チューブの先端にはA4版くらいのビニール袋が付いているのです。
行動する上でそれは、見るからに具合悪そうでした。
あまりに頻回にそのことを訴えるので、
「胃と腸を吻合すれば、胃液はバイパスを通って流れるから、チューブは抜くことができるけどなあ」
私はついそういってしまったのです。
それは医学的には事実なのですが、彼にとっては適切かどうかは分かりません。
彼はその言葉に飛びつきました。
「このチューブさえなければ、もっと仕事ができる。是非ともやって下さい !」
身を乗り出して懇願しました。
手術にはリスクがあることを説明しても、時すでに遅しです。
「やってください」の一点張りでした。
そこで外科の先生に相談しました。
胃空腸吻合術自体は大した手術ではないので、外科の先生はすぐに引き受けてくれました。
私を含めたすべてのスタッフが安易に考えていたのです。
いざ手術をしてみると、とんでもないことが起こりました。
上腹部正中切開で手術に入りました。上腹部正中切開は、みぞおちからヘソまたはその下3cmくらいまで腹壁中央を切開します。
「この出血は何なんだ!」
執刀医が叫びます。
腹壁切開創から凄まじい出血が見られたのです。
膵頭部のがんが門脈周辺に浸潤し、門脈を圧迫していました。そのために、側副血行路がきょくたんに増大していたのです。(⇒豆知識⑤)
開腹のためだけに30分を要し、多量の出血をきたしました。大量輸血を必要としたのです。
手術は何とか終えたのですが、術後に肝不全が起きてしまいました。
もともと末期がんで全身状態が弱っていたところに、多量の出血をきたしたため、肝不全が起きてしまったのです。(⇒豆知識⑥)
術後数日にして、黄疸が出てきました。
1週間後には、黄土色のような高度の黄疸になったのです。
そのまま10日ほどで、亡くなられました。
ついに鼻のチューブは、抜くことが出来なかったのです。
安易に私がいった言葉が、こんな事態をまねいたのです。
患者さんは、ワラをもすがる気持ちでいます。たとえそれがほんのわずかな可能性でも、それに全てを託すのです。
医療者は常に、それを肝に銘じていなければならないことを、あらためて知り反省したのでした。
☆豆知識
① 膵頭部がん
膵臓を大きく分けて3つに分けると、十二指腸に近い部分の膵頭部、中央の膵体部、脾臓に近い膵尾部となります。
膵がんは、膵頭部にできる膵頭部がんが最も多く、約60%を占めます。膵尾部がんがこれにつぎ、膵体部がんは少なくなります。
膵がんは、早期発見が非常に困難な上、転移や浸潤を起こしやすく、消化器がんのなかで最も予後不良のがんです。
膵がんの国内の死亡数は女性4位、男性5位で(2009年)、国内の年間の死亡数は26,000 人を超えます。
②経鼻胃管
経鼻胃管(けいびいかん)とは、鼻から胃に挿入するポリ塩化ビニルやシリコンゴムなどでできた柔らかいチューブの総称です。胃液の採集や、流動食を投与するなどの目的で使用されます。
③中心静脈栄養
中心静脈栄養(ちゅうしんじょうみゃくえいよう)とは、手術後や消化器疾患のため経口摂取できない患者に対して施される、栄養投与の処置のことです。主に鎖骨下の大静脈にカテーテルを挿入して高カロリー輸液で栄養補給を行います。(Intravenous Hyperalimentation=IVH)。
IVHで注入される輸液は非常に濃度が濃く、通常の点滴のように腕などの末梢静脈に注入すると血栓性静脈炎を引き起こし、静脈閉塞や疼痛、腫れ等を引き起こすおそれがあります。そのため、カテーテルを挿入して大静脈に直接注入します。
④ヘパリンロック
ヘパリンロックとは、点滴を中断する際、カテーテル内の薬剤をそのままにしておくと、先端部分の血液が逆流して凝固し、カテーテルを閉塞させるので、これを防止するために、抗凝固剤のヘパリンをカテーテル内に充填しておくことです。
⑤側副血行路
側副血行路(そくふくけっこうろ)とは、血行障害により主要な血管に閉塞が見られた際に、血液循環を維持するために新たに形成される血管の迂回路のことです。
⑥肝不全
肝不全(かんふぜん)とは、肝臓の機能が大幅に低下した状態のことです。
ウイルス性肝炎、アルコール性肝障害など、あらゆる肝臓の病気の結果として生じます。敗血症などさまざまな臓器障害を合併し、致死的になることもあります。
参照:ナースpedia(ナースペディア)
https://www.kango-roo.com/word/
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