第53話 患者もいろいろ-変なおじさん

 今回は、若手医師の話。何事も経験が浅いと、不手際が起こるものです。(←(^ω^)私は歳だけは中堅になってました)


 私が病棟回診をしていると、若手の内科医A先生から電話がありました。


「こ、このおじさん、変なんです!」


 どこぞのテレビ番組で聞いたようなセリフ。相当慌てている様子です。


 走って救急室に行ってみると、意識を無くした患者がベッドに寝かされています。


 顔色はそんなに悪くはないのに、痰がからんで、息づかいが荒いのです。


「こりゃいかん、すぐ挿管だ!」


 医師は、救急時にはABCをまず行えと訓練されています。Aは気道確保(AirwayのA)、Bは人工呼吸(BreathingのB)、Cは心臓マッサージ(CirculationのC)を意味しています。(⇒豆知識)


 腕に血管ルートを確保すると、患者の顎(あご)に手を当てて気道の確保をしながら、


「どうしたんだ!」


 あわてふためくA先生に聞きました。


「気分が悪いというので、頭部CTを撮っていると、突然意識を無くしたんです」


 A先生、緊張して顔が引きつっています。


 それを聞いて、脳ヘルニア(⇒豆知識)でも起こしたかと思いましたが、CTに異常はありません。


「変だなあ、何も無いぞ!」


 とにかく呼吸と心拍を確保しようと、顎のエラに手をそえて、指でぐいと強く引き上げました。


 すると突然、そばで見ていた奥さんが、


「そんなことやったら、痛いんじゃないですか」


 心配げに言い寄って来ます。


 普通ですと、付き添って来た家族は心配しながらも外で待機し、処置はスタッフにすべて任せます。しかし、この奥さんは、患者のそばから離れようとしないのです。


 この時気付けば、あわてずにすんだのですが、すでにみんなあわてまくっていますので、しっかり(?)と見逃したのです。何と夫婦愛の深いことかと、感心していたのです。


「緊急事態だから、しょうがないでしょ!」


 声を荒げてそう叫び、いざ挿管と患者の口を力ずくで開けると、またその奥さん、そばにやって来て叫びます。


「痛いんじゃないですか、そんなこと止めてください」


「こんな時に何言ってるんですか、外にいて下さい!」


 ついに怒鳴ってしまいました。


 こちとらは、患者に向いたり奥さんに向いたり、大忙しでワイワイやっていると、そのうち少しづつ患者の意識が戻ってきました。


「あれ、眼が覚めてきたぞ……」


 その瞬間、脳裏にひらめきました。


(もしかしてテンカン?!痰がからんだように見えたのは、口から泡を吹いていたのかも……)


「ケイレン起こさなかった?」


 ナースにそう聞くと、そっけなく、


「起こしてました」


 二の句が継げないような返事。


「う……」


 焦った分、倍加して緊張がうせました。


「これはテンカン発作だ。それなら気道確保して観察してれば大丈夫だよ」


 テンカン発作は、車の運転など危険な場面でなければ、本人の命には見かけほど危なくはありません。


 周りにとっては、それに気づかないと、何事が起きたのかと仰天してしまうほどの大事なのです。(多数の死傷者を出したクレーン車の交通事故があったのは、記憶に新しいところですね)


「テンカン、まだ見たことが無かったもので……。す、すいません」


 挿管チューブを握りしめたまま、A先生は平身低頭して謝りました。


「奥さん、旦那さんは、前にもこんな発作起こしたこと無いですか?」


 遠くで見ていた奥さんを呼び寄せて聞いてみると、耳元で小声で言いました。


「今もテンカンで治療しているんです」


「わあ」


 A先生、それを聞いて、がっくりとへたり込みました。


 どうりで「そんなこと止めて」と、奥さんが何度も叫ぶはずです。旦那さんの病気を知っていたのです。


 なぜそれを黙っていたかというと、旦那さんの会社の同僚がいっしょにそこに来ていたので、病気を知られたくなかったからでした。テンカンの患者は、知れると不利な立場に立たされるのです。


 はじめに言ってくれれば、こんな大騒ぎにはならなかったのになあ。人騒がせなこと。(だけど奥さんの心労を察して、許しちゃいました。←(^ω^)そうだ。えらいえらい)


* 豆知識


①心肺蘇生(CardioPulmonary Resuscitation; CPR)のABC


A:Airway(気道確保)口の中に異物があれば除去し、頭部を後屈させ、顎先を挙上することにより、気道を確保します。


B:Breathing(人工呼吸)鼻を押さえ胸部がふくらむよう、マウストゥーマウスで息を吹き込みます。


C:Circulation(心臓マッサージ) 胸の真ん中に手の付け根を置き両手を重ねて、肘を真っ直ぐ伸ばし、100回/分くらいの速さで、5cm以上沈むように圧迫を繰り返します。童謡の「どんぐりころころ」のリズムがちょうど良いようです。別に歌う必要はありません。(←(^ω^)当たり前)


②脳ヘルニア


脳腫瘍、脳出血などで起こる脳浮腫や血腫により頭蓋内圧が異常亢進した場合に、脳組織が一定の境界を越えて隣接腔へ嵌入した状態。


嵌入するとその部位が圧迫障害され、意識障害や自発呼吸の消失、すなわち心肺停止をきたします。


(参照:Wikipedia)

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