第54話 患者もいろいろ-もう帰る

 意識障害の患者の話をもうひとつ。


「救急車が入ります。昏睡の男性です」


 当直をしていると、明け方に受付から電話がありました。


 サイレンの音を聞くと、一瞬緊張します。どんな患者か見当がつかないからです。救急といっても、自分で歩いてくる人から(←(^ω^)こんな人、救急じゃないよね)、心肺停止した人まで、千差万別なのです。


 50代の男性が運ばれて来ました。意識はありません。


「どうしたんですか」


 救急隊員に、いきさつをてっとり早く聞きます。


「路上で倒れているという通報があったんです」


「じゃあ事情の分かる人はいないんですね」


「そうです」


 救急隊員とそんなやりとりをしながら、救急処置を手順通りに行いました。


(はて、意識障害の原因は何だろう?)


 処置の手を動かしながら、頭で考えています。


 意識がない場合は、救急医学的には、血糖異常以外は大体が脳の疾患の場合が多いのです。


 意識障害のある患者が来た時は、すぐバイタルサインを取って、ABCの処置を行います。(⇒前話参照)


 念のために、挿管(気管チューブを気管内に挿入すること)しておきました。突然、心肺停止をきたすこともあるからです。


 並行して血管確保をすると、まず低血糖による意識障害を考えて、50%のブドウ糖を、20㏄ から40㏄静注します。そうしておいてから、次の手を打ちます。


 夜間は、すぐにCTは撮れません。救命救急センターのようなところでは、すべての部署が常時臨戦態勢になっていますが、一般病院では、マンパワーの関係でそうはいかないのです。


 電源を入れ稼働の準備をしてから、頃合いを見計らってCTの検査を行います。


 CT室からオーケーの連絡が入り、ストレッチャーで患者を運んで行きますと、患者がわずかに手を動かしました。


「お、手を動かしたぞ」


 CTを撮りながら、窓越しに患者を見ていると、少し意識が戻って来たような感じがしました。撮り終わるころには、意識がはっきりとしてきたのです。


 喉にチューブが入っていますから、それが邪魔らしく自分の手でいじり出しました。


「おいおい、それを触っちゃ駄目だ!」


 CT室の窓越しに、それを見て叫びましたが間に合わず、患者は自分の手でチューブを引き抜いてしまいました。


 「ゲホッ」と、ムセこんでいます。気管深くまで入っていますから、一気に引き抜けばむせるのは当たり前です。


「ああ、苦し……」


 喉のあたりをなでています。そばに飛んで行って、


「大丈夫ですか!?」


 心配して大声でこちらが聞くと、驚いた顔をして、


「何が!?」


「何がって、あんたは意識が無かったんだよ!」


「え、本当!?」(←(^ω^)意識が無けりゃ、分かるはず無いから、しかたないよね)


 こんなやり取りをしていて、できあがったCTの写真を見ると、全く脳には異常ありません。


「う-ん、大きなものは無さそうだね」


 ひとまず安心しました。脳ヘルニアを起こすような、大きな所見は見当たらないからです。


「一過性脳虚血発作かなあ」(⇒豆知識)


 レントゲン技師やナースと話していると、救急隊のおじさんが、本人の薬手帳を持ってきてくれました。患者のポケットに入っていたのです。


 救急隊員も情報が全くありませんから、搬送する救急車の中で、患者の持ち物を物色するのです。(←(^ω^)失礼な言い方だよね)


 見ると「糖尿病」とあります。


 早朝ですから、血液検査は出来ません。急いで、簡易測定器で血糖を測りました。


 90と正常です。ますます分からなくなりました。


 ああでもない、こうでもないと議論していると、意識の戻った患者が、


「もう帰る」


と身支度を始めたのです。


「ちょっとちょっと待ってよ、様子を看るのに1日でも入院して」


「なんで?なんともないよ」


 意識が戻ると、本人は普段と変わりませんから、「もう帰る」となるのです。


 こちらとしては、帰したはいいが、帰る途中でまたおかしくなっても困ります。


 時にそういうこともあるのです。不安定狭心症といって、心筋梗塞の一歩手前のものがまさにそれです(⇒豆知識)。


 外来に来た時には症状がおさまっていて、心電図をやっても正常にでます。それをいいことにして、帰してしまうと、家で心筋梗塞を起こして、すぐまた病院に飛び込んで来るのです。


 患者は現金なもので、元気になるとすぐ帰ると言い出します。家族が付き添っていないと説得するのが難しくて困ります。


 そうこうしているうちに、病院の通常業務が動き出し、血液検査ができるようになりました。


 すると、付き添ったナースが機転を利かし、救急室で血管ルートを取る際に採血した血液を、急いで検査室に持っていきました。


 血糖値は19でした。


「低血糖だ!」


 やっと原因が分かりました。


 救急室で血管ルートを取ってから、真っ先にブドウ糖を静注したので、血糖が上昇し、簡易測定時には90と正常に出たのです。


 低血糖で昏睡になったことをまさしくこんこんと説明すると、糖尿病で治療中のこともあって、患者は納得して入院してくれました。


 独り身の人は、意識が無いと救急室でも大変です。日ごろから、身分証明になるものや診療手帳などを身に付けておくことが、いざというときには大変役立ちます。


 そういう私もいい歳になりましたから、携帯電話の中に、それらの情報を打ち込んでいます(どうだい)。(←(^ω^)よく考えてみると、意識が無い場合は、携帯のどこにそれが入っているのか現場の人には分からないよね。まだまだ工夫が足りませんね。トホホ)


* 豆知識


①一過性脳虚血発作(いっかせいのうきょけつほっさtransient ischemic attacks:TIA)とは、脳の循環障害により起こる一過性の神経症状(顔や手足がしびれる、ろれつがまわらないなど)をいいます。


症状は突発的に起こり、数秒ないし15分以内、長くても24時間以内に一旦消失します。繰り返し起こることで脳梗塞を併発する恐れがあるので、脳梗塞の危険信号(前兆)と考えられています。


TIA発症後90日以内に脳梗塞を起こす可能性は15ないし20%、TIAを疑った時点で速やかに治療を開始した場合、90日以内の大きな脳卒中発症率が2.1%まで低下するといわれています。


②狭心症(きょうしんしょうangina pectoris)とは、心臓の筋肉(心筋)に酸素を供給している冠動脈の異常(動脈硬化、攣縮など)によって起こる、一過性の心筋の虚血のための胸痛・胸部圧迫感などの症状です。完全に冠動脈が閉塞、または著しい狭窄が起こり、心筋が壊死してしまった場合には心筋梗塞といいます。


不安定狭心症(unstable angina):症状が最近3週間以内に発症した場合や発作が増悪している狭心症。心筋梗塞に移行しやすく注意が必要です。 (参照:Wikipedia)


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